イカ釣りの星を探しに、いざ佐渡へ
中野真備
私は思い切りがいいほうだと思う。
よく言えば行動力があるし、悪く言えば見切り発車で計画性がない。
特に大学生のときは、あまり深く考えず、一度思いついたらもうそれをやらないと気が済まなかった。
星の伝承を探しに海へ行こうと思い立ったら、もうその日から心は海にあった。
問題は、どこの海に行くかということだ。
図書館の書架に潜り、鈍器のような本を片っ端からめくっては1行あるかないかの記述を探すのとは、わけが違う。
ここになかったら次へ、と果てしない旅をするには(もちろんそれが理想ではあるのだが)、時間もお金も足りなかった。
ましてや、その伝承を語るのは生身の人間なのだから、どうにかして巡り会わなければいけない。
最終的に、まったく確証はないけれど運よく聞けるとすればここだろう、と絞り込んだのが新潟県西部の離島、佐渡島だった。
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「生活や生業を営むために星が必要」という状況をいくつか想像してみると、まず夜間に活動をする場合が考えられる。
たとえば夜におこなわれるイカ釣り漁も、実際に星の伝承のなかで語られてきた(第3回を参照)。
正確には、恒星だけでなく惑星や星団、月などのあらゆる天体に漁師たちは目を向けてきた。
イカ漁の釣具の変遷や出稼ぎ漁民のライフヒストリーから、日本海沿岸の漁撈技術の伝播に迫った『近代の漁撈技術と民俗』(池田哲夫、吉川弘文館 2004年)に、次のような記述がある。
…イカは日暮時と朝方に一番よくついた。朝と宵が勝負だった。イカというものの習性はおかしいもので、月や星の関係でついたりつかなかったりした。三角星とかスバルとか、スバルノアトボシだとかいういろいろな星がある。そういうヤクボシになれば必ずイカがつく。はあ三角星が出るとトンボをやっているわけさ。闇になれば磯へ行って寝たものさ。闇になるとイカがつかねえといわれとったから。月があがると行って捕ったものだ。…
明治38年生、新潟県佐渡市相川町稲鯨出身の漁師の語り
佐渡島出身の著者によるこの本は、月や星とともに移りゆく海辺の景観や、臨場感あふれる当時の漁の様子を、漁師らの語りをもとに鮮やかに描き出す。
天体の知識は漁のために利用され、ときには必要不可欠なものですらあった。
何より人々にとっては親しみ深い日常の景観であったし、海も空も陸も一帯となった海辺の情景だった。
それを思い浮かべるだけでも、逸る気持ちを抑えられなかった。
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そうして2014年、大学3年生の春に佐渡島で初めての調査をした。
東京駅から夜行バスで新潟へ向かい、その足で佐渡汽船のカーフェリーに乗った。
だだっ広い2等船室には、私のほかは地元のひとらしい親子が1組いるだけだった。
バックパックに頭を預けて船室の床に寝そべり、ぼんやりと着いてからのことを考えた。
佐渡島では、姫津と稲鯨という2つの漁村に向かう予定だった。
『近代の漁撈技術と民俗』[池田 2004]のなかでも、星について語る漁師たちが姫津や稲鯨の出身ということもあり、ここなら何か聞けるのではないかと思ったのだ。
もうひとつは、後に『日本の星名事典』という労作を編む北尾浩一氏が、2009年にも姫津で星名伝承を記録していたからだった。
1978年からはじまる北尾氏の丹念な星名伝承の調査も、この姫津が最初の地であり、約30年後の再訪だったという[北尾 2010、2018]。
それまで、所属していた研究会などで漁村や山村に集団で行き、聞き取り調査に参加したことは何度かあった。
ただ、それは先輩が築いてきた地域の人々との信頼関係や、先発の学生による趣旨説明や周知などの根回しのうえに便乗しているだけで、自分ひとりで調査をすることはこれが初めてだった。
どちらかといえば人と話すのが苦手な自分が、明日から本当に大丈夫なのだろうか。
星の伝承がもうまったく聞けなくなっていたらどうしようか。
ほんの数日間しかないのに、星のことを語れる漁師に出会えるのだろうか。
あぁ、こんなことならもっとたくさん本を読んでおくのだった。
やることもない船のなかで、期待と不安、すこしの反省をゆらゆらと持て余していた。
***
両津港に上陸し、まだ揺れているような感覚のまま小一時間ほどバスに乗り、相川に着いた。
海岸方面からは、日本海の荒波がたたきつけられるような音がしていた。
本当に来てしまった、と思いながら、高いビルもまぶしい光もない真っ暗な空を見上げたとき、嘘のようなことが起こった。
シュッと一瞬、視界の隅に光が細く走った。
流星だった。
最後に流星を見たのがいつだったかも思い出せないのに、まさか、こんなタイミングで見ることがあるなんて!
「私の天文民俗学」は、他でもない流星からはじまって(第2回までを参照)、紆余曲折しながらここ佐渡にたどり着いたのだ。
あるいは、元から組みこまれていて、今日ここに導かれたのだろうか。
またしても願い事を唱えることはなかった。
3回どころか1回も、思いつきもしなかった。
それでも、この数日間の旅がきっと上手くいくような気がした。
単純なことに、不安になっていた気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。
大丈夫、何とかなる。何も考えてないけど。
***
「イケる気がした」としか表現しようのないこのときの感情を、今でもよく覚えている。
何も唱えなかったが、あの流星に私は確かに吉兆を見出していた。
どうなるかわからない翌日からの調査の成功を、思いがけず目撃した流星を通してたぐり寄せようとしたのだった。
引用文献
池田哲夫『近代の漁撈技術と民俗』吉川弘文館、2004年
北尾浩一「天文民俗調査報告(2009年)」『大阪市立科学館研究報告』(20):21-26、2010年
————『日本の星名事典』原書房、2018年
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