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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第6回

彩蘭弥 


 

カーラチャクラ曼荼羅 〜祈って何になる!それでも私は祈る〜



 私が曼荼羅の魅力に取り憑かれたのは、やはり高野山に登った時だ。初めて目にしたのが梵字で出来た曼荼羅。うやうやしく掛けられたその意味不明な文字の筆跡からは、何やら異様なパワーがヌラヌラと立ち昇っていた。イスラミック・カリグラフィーのように芸術的な文字たちが、それぞれ緻密に描かれた蓮華の上に鎮座している。一体これは何なのだろう?もっと色々な曼荼羅を見て見たい!

 その後、小さな仏様たちがうじゃうじゃと描き込まれた巨大な掛け軸や、山や川などが緻密に描かれた風景画のようなもの、規則正しく決まった方角に配置された仏像群など様々な種類の曼荼羅を見た。子供の頃遊んだぐるぐる定規で描いたお花の模様みたいなものもまた曼荼羅と呼ばれていた。


 曼荼羅は、サンスクリット語のmandalaを音写したもので、元々は「本質・中心などを持つもの」という意味だ。曼荼羅の原型は、インドのバラモン教やヒンドゥー教の宗教儀礼で使われていたもので、その儀礼が仏教にも取り入れられるようになったそう。古代インドにはじまり、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わり、様々な形に変容して祈りの形は伝わり、その種類は数百以上もあるという。一口に曼荼羅と言ったって色々あるわけだ。

 あまりにも沢山の曼荼羅を一気に見すぎたせいで、頭の中に諸尊がどんどん増殖し、そのうち何を見ても曼荼羅に見えてくるようになった。様々な幾何学文様がやたらと目につき、そこからうわーっ!と想像が膨らんで世界が曼荼羅で埋め尽くされる。ネパールに旅立つことになったのはそんな時期だった。

 ネパールで日々を過ごし、曼荼羅の世界にどっぷりと浸かった修行生活もそろそろゴールが見え始めた頃、師匠が私に言った。

「バイニー(妹よ、親しみを込めてそう呼ぶ)そろそろ曼荼羅を描いてみないか」

「はいっ!描かせてくださいっ!」

と二つ返事をしたのは言うまでもない。

 ネパールにも、それはもう気の遠くなるような種類の曼荼羅が存在していた。仏さまの数だけ、その仏さまを表す曼荼羅がある。お経がグルグルととぐろを巻くように書かれた曼荼羅や、人間界や畜生界などを描いた六道輪廻マンダラなんてのもある。日本の曼荼羅と比べていちばん違うと感じたところは、日本式の曼荼羅は全体が四角いのに対し、チベット式の曼荼羅は丸いということかな。

 ネパールは、僧院の天井、民家の戸口、土産物屋、あらゆる壁という壁に極彩色のまあるい曼荼羅が描かれた曼荼羅天国だった! 草間彌生もビックリのマルの増殖っぷり。その中でも私が特に惹かれたのはカーラチャクラ曼荼羅という曼荼羅だった。


 カーラチャクラは「時輪」と訳され、「カーラ」とは時間、「チャクラ」は存在を意味する。”あらゆる時間は存在の中にあり、あらゆる存在は時間の中にある”という意味らしいけど、哲学的でちょっと聞いただけではイマイチよく分からない。でもこのカーラチャクラ、実は私たち日本人にもっとも馴染みのあるお経、般若心経と同じことを言っている。「本来、全ての命あるものにはみな仏性があり、誰でも仏となる可能性を持っている。そして全てのものの本質はみな空なんだよ」と。

 カーラチャクラ曼荼羅自体は大昔からあったが、今回私が挑戦するのはダライ・ラマ14世法王猊下が約30年前にリメイクされたデザインのもの。このバージョンのカーラチャクラ曼荼羅がはじめて発表された時のポスターカレンダーを師匠が大事に持っていた。もうすっかり色落ちし、白っぽく焼けてしまったこのカレンダーは彼の宝物だ。

 ダライ・ラマ法王猊下は自らこの曼荼羅を砂で地上に描き、カーラチャクラ灌頂の儀式で使う。いわゆる砂曼荼羅だ。灌頂を受ける者はこの美しい曼荼羅を目の前にして、無知の暗闇から抜け出て生まれ変わったと感じるのだそう。さて、一体どんな曼荼羅なのだろう。

 もう3度目となるキャンバス張りも随分慣れてきた。綿の布を縫い止め、糸を通し、木枠に力を込めてピンと張ってゆく。灰と膠を混ぜて何層にも塗り重ね、天日干しした後、石でゴシゴシとなめす。自分で描きたいと思う大きさの円を鉛筆で下描きしたら、いよいよ準備万端だ。

「よし、バイニー。準備は整ったようだな。ではまずこのカーラチャクラに描かれているものを丁寧に説明してゆこう。しっかり覚えるんだよ」

「はい、先生。お願いします!」

「まず初めに覚えとかなくちゃならないのは、曼荼羅とは全宇宙を表しているということなんだ。この世界に存在する全ての要素がギュッと凝縮してこの中に描き込まれている。そしてこの曼荼羅は平面に見えると思うが実はそうではない。このように四角錐になっていて、丁度曼荼羅の中心がテッペンだ」

「なるほど、ピラミッドを真上から見ているような感じですね」

と言って手でピラミッド型を作ってみる。

「ピラミ…? 何だそれは。まぁ、君のイメージで合っているだろう。では外側から見てみよう。いちばん外周に描かれているのが仏の智慧の炎だ。メラメラと燃えて、全世界である曼荼羅を守っている。と同時に内側の慈悲のエネルギーを外側に放出しているんだ。この炎を五色で描くことで、仏の五つの智慧を象徴しているんだよ」

「法界大性智、大円境地、平等性智、妙観察智、成所作智のことですね」

「ほほ〜! よく知ってるな。この炎の内側に順に緑・黒(灰色)・赤・青(白)・黄色の円が続く。これは世界を構成する物質の5大要素で、順番に空・風・火・水・地を表しているんだ。緑の輪にドルジェ(金剛杵)が描かれているのが見えるかな? これは煩悩を打ち砕く為の道具で、修行者を守っている。風は黒(灰色)、火は赤で表してある。ここは世界の墓場なんだ。この黒と赤の輪の上に書かれた法輪とサンスクリット文字で命あるもの全てへの慈悲の言葉が記されているのだよ」

「はい先生。その次の水輪は白いさざ波がたっていて分かりやすいですね。さらに内側の黄色い地輪も地面のように見えます」

「さよう。さらに内側へ目をやると、今度は丸ではなく、四角い世界が始まる。今までの部分は外宇宙。この四角い部分からが内宇宙だ。丸の中に四角を描くので、半円状にスペースが余ってしまうだろう。この部分にはタシダケ(八吉祥)と呼ばれるチベットで縁起のいいモチーフとされる物を沢山描き込み、諸尊への捧げものにするんだ。タシダケには法輪・双魚・宝瓶・宝傘・吉祥紐・法螺貝・白蓋・蓮華の他に勝利の旗・金剛杵・スカーフ・宝石・シンバル・鏡なんかが描かれることもある。この部分の下地の色にはそれぞれ意味があって、白が北、赤が南、黒が東、黄が西の方角を表すんだ」

「えぇ!? でも私が日本で勉強した時は、北が緑(青)、南が黄色、東が紫(黒)で、西が赤だったような……」

「でもね、バイニー。カーラチャクラではこういう風に表すんだ」

「はーい」

「さて、いよいよ内なる宇宙、内なるカーラチャクラの世界を見ていこう。かなりゴチャゴチャしていて見づらいが、ここには5つの曼荼羅が重なって描かれている。曼荼羅は立体なので、横から見たら大きな5階建ての僧院(宮殿)になっているわけだ。東西南北の方向にそれぞれ3階建ての門が建っていて、門を屈強な男達や動物たちがしっかりと支えている。門の小部屋の中には法輪を眺める鹿や、心願成就の木の下で祈る男女や、法螺貝、蓮華、経典を描き、修行者のあるべき姿を表しているんだ。内側に行くほど、つまり上に行くほど小さくなっているが、同じ構造のものが3段になっているのが分かるだろうか。蓮華の花びらで僧院の外壁を埋め尽くし、要塞のように城を守っている。黒字に金の文様が描かれている部分は、仏陀の特殊な力を表す真珠の冠飾りだ。そのさらに内側には不思議な形の宝石が描かれているだろう。これは仏陀の4種の法力を表し、円形は浄化、四角形は増益、半円形は敬愛、三角形は調伏を表しているのだ」

「ほんとに細かく色々な要素が描き込まれていて、全てに意味があるんですね! 沢山の動物たちが描かれているのも印象的です」

「そうだな。この動物たちもそれぞれ12ヶ月の月を象徴していたり、諸尊の化身だったりするんだよ」

「見た目のカッコよさは勿論、意味が分かるとさらにシビれる〜〜!!」

「さらに上の階に進もう。宮殿の4階に当たる部分には心身を浄化するための水を入れる瓶が描かれているだろう。そしてついに最上階の5階、世界の中心には蓮華が描かれているんだ」

「ありがとうございました! いやぁ、かっこいい!でもこれを描くなんて気が遠くなりますね〜」

「ゆっくり丁寧に、祈りながら描くのだよ、バイニー」

「はい先生。頑張ります!」

 ここからまた毎日コツコツ何時間もぶっ続けで曼荼羅とにらめっこする日々が始まった。もうまさに瞑想そのものだ。


 ちょうどその頃、事件は起きた。

 10月28日早朝6時頃、首都カトマンドゥの西約60キロのダディン郡での幹線道路プレティビーハイウェイにて、サプタリ郡からナランガード・ムグリン道路を通ってカトマンドゥに向かっていた50名以上を乗せていた大型バスがトリスリ川に転落し、少なくとも31名が死亡、16名が負傷する大事故が発生した。バス会社は乗車人数を把握していなかったため、本当のところ何人川に流されて行方不明になったのか未だによく分からない。

 ネパールでは、天候、季節、各種イベントによって交通障害が起こりやすく、予定通りに運行できないことが頻繁に起こる。ドライバーはこれらで起こった遅延を取り戻すべく、過度にスピードを出したり、無理な運行状況下でも走行したりするので、このような大事故が度々発生するのだ。今回も運転手のスピードの出し過ぎで、カーブを曲がりきれず、狭い道から谷底に落ちたのが原因だった。運転手は自力で脱出して逃走したきり行方が分からない。

 実はこのバス事故が起きた時、私は現場のすぐ近くにいた。エベレスト方面での祭りに参加するため、ポカラからカトマンドゥにバスで移動中の事だ。この祭りについては次章で詳しくお話しする。突然ガクンとバスがストップ。車窓から身を乗り出して外を見ると、あたりは大渋滞になっていた。あれ、いつもの渋滞とは様子が違うぞ? 川の一角に黒山の人だかりが出来ていて、みな口々に何か叫んでいる。川に救命用ゴムボートが何艘か浮かんでいた。

「事故だ。人が死んだんだ」

 隣に座っていた男性がそう言った。

 道路は何百メートルも先まで車でいっぱいでちっとも動かないし、運転手を含めた多くの人がバスを飛び降りて野次馬達の列に加わっていった。私はというと、崖の上から高みの見物をすることなど到底出来ず、ひたすら少しでも助かる人が増えますようにと祈りながら、バスの中で時が過ぎるのを待った。物々しい音ばかりが車内に流れ込んでくる。重苦しさと人々の好奇心が入り混じった異様な空気。

やっとの事でカトマンドゥに辿り着いた時はもう真っ暗で、ヘトヘトになりながらタクシーを呼び止め、いつもならちょっと頑張る値段交渉もそこそこに、ヘナヘナと乗り込んだ。案の定、運ちゃんは待ってましたとばかりにバス事故について話し出す。

「バイニー、ご苦労だったね。こんな時間だもの、凄い渋滞だったろう。ニュース見たかい? ネットニュースは事故のことで持ちきりだよ。ほら」

そう言って見せてくれた事故のニュースには日本のニュースでは決して報道しないような生々しい写真と動画のオンパレードで、私は頭がグラグラした。水を飲み込んで体がパンパンに膨らみ、真っ黒の顔をした男性。血だらけでバラバラになってしまった子供。ずらりと並べられたご遺体。泣き叫ぶ人々……。私が今さっき通りかかった崖の真下は地獄だったのか。

「なぁ、バイニー。君はネパール語も流暢なようだし、しばらくこの国にいたんだろ? ネパールは好きかい?」

「はい、ネパール好きです。優しい人ばかりだし、食べ物も美味しいし、宗教美術も素晴らしいし」

「ふん、君は間違っているな。君が好きなのはネパール人であり、ダルバートであり、タンカなんだろ? それはネパールが好きって事とは違うんだよ。俺はネパール人も食も好きだけど、この国は嫌いだ。みろよ、こんなに人が死んで、大事な家族が死んで、同胞が死んでも、なんの対策もとられないんだ。今までもそうだったし、これからも何もしない。政府の奴らは私財を肥やす事にしか頭を使わない。一般庶民が崖っぷちの危ないローカルバスしか使えず、崖崩れで道が細くなっていても何とも思っちゃいないんだ。奴らの国に対する愛はどこいった? マヤ モリョ(愛は死んだんだ)」

 このバス事故の2日後、今度は違う場所でまたバスの転落事故が起こり、少なくとも18人が亡くなった。


 ネパールのインフラはひどい。

 運転手が我先に道を行こうとして無理な追い越しや、スピードの出し過ぎ、過積載など日常茶飯事。そのためにいつも渋滞が起きて、何時間も崖っぷちで待っていなければならなくなる。ネパールの車やバイク、特にバスは沢山の御守りやペイントで装飾され、派手派手ゴテゴテの呪文まみれになっているものが多い。車の祭りというのもあり、リボンや聖水、色の粉でお清めし、交通安全を祈っている。以前日本で見たネパールを特集したテレビ番組でも、お祈りが終わった男性に「今なんとお願いしたんですか?」と取材班が尋ねたら、「バスで崖から転落しませんようにとお願いしました」と答えていた。


 ジョムソンからの帰りのバス内でも、

「このバスはガリプジャ(車の祭)をしたから安心だよ!」

と言われたが、現実は安心とは程遠いものだった。崖下には朽ちかけたバスと、まだ新しそうなバスが落ちているのが見える。タイヤギリギリの幅の断崖の道をバウンディングしながら進み、全く生きた心地がしない。また、田舎の人々にとって街と繋ぐ唯一の方法はオンボロのローカルバスで、本数も少なく、意地でも乗り込んで来ようとするもんだから車内はまさに混沌の極み。次にいつ町に行けるか分からない。なので家財一式出来る限り詰め込んでしまう。人も出来る限り詰め込む。次から次に来る人を詰めるので、車の左右の重さのバランスなどに気を取られてはいられない。屋根の上にもどんどん物を積んでいく。

 通路には米や芋やリンゴやヤギで足の踏み場もなく、人々は折り重なるように乗車し、満員も満員。私は一応席には座れたものの、シートベルトは無く、頭を天井にぶつけて痛いので、終始手で頭頂をガードしていた。車体が弾む度にジャガイモやリンゴが宙を舞い、背もたれと座椅子の蝶つがいは壊れてグラグラ。その上バスのヘッドライトは壊れていて、暗くなってからは注意喚起の為、クラクションをブーブーパーパー鳴らし続けて走行していた。運転手の兄ちゃんは何故だか怒鳴ったり窓から手を出して車体を叩いたりしているし、車内では爆音で流行りのインドポップスが流れ、それに合わせて乗客が大声で歌ったり、スパイシーフードを食べ散らかしたりしている。この空気に抵抗しようとすると気が狂うので、私も彼らに混ざって、負けじと大声で歌ったり、りんごを齧ったり、真っ暗な断崖絶壁でどんちゃん騒ぎをして12時間もの地獄の時間を乗り切ったが、今思えば随分恐ろしいことだった。


 こんなデコトラを丹念に作り込んで呪文を唱えるより、まず交通ルールを作り、道を整備し、いかにルールを守る事が大事か子供の頃から教育するべきだろう。

 このバス事故の一件で、私は祈りにしばらく疑心を抱くことになってしまった。神仏を称えて祈るだけで一体何になるというのだろう?お守りをぶら下げる前に考えるべきことがあるのではないか。


 世界最貧国のひとつであるネパール。貧しさから、先の見えない、未来に光なんかないように思える閉塞感を感じるのかもしれない。この世はとかく生きづらい。じゃあどうするのか。こんな世界から早く解脱して、苦しみのない、豊かな世界へ行こうと考えるのだろうか。


 この世は所詮いっときの仮住まい、良い来世を願って祈るのは素晴らしい事だが、少しこの世はどうでもいい、というようなきらいがあるように感じられた。何か問題があれば、「祈るしかないわ〜」とか言わないで、どうしたらより現世を上手く生きる事が出来るのか考えて、努力して、行動すべきだ。


 でも祈ることでしか心の決着をつけられない時もある。

 祭りを終え、ポカラに帰り、祈りの虚しさと力強さの両方を見た私は、カーラチャクラ曼荼羅に鎮魂の祈りを込めて描くことにした。タンカの見た目に惹かれて始めた修行だったが、最後はすがるような想いで祈りと命について思い巡らしながら曼荼羅と向き合うことになった。犠牲者の方々のご冥福をお祈りし、彼らに素晴らしい来世が訪れることを望んでやまない。オンマニペメフン。合掌。




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