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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第5回

彩蘭弥 


 

五智如来 〜肌の色の違う5人の仏さま〜



 ネパールに来る前の私は信仰の違いでいがみ合うなんて全く愚かしい事だと思っていた。みんな違ってみんないい。お互いを尊重し合って幸せに生きていけばいいじゃん! と。そんな私がまさかあんな気持ちになるなんて……。ネパールには様々な民族、宗教の人々が肩を寄せ合って生きている。中でもヒンドゥー教徒の割合が多く、次いで仏教徒が占めていた。私は元々仏教に興味を持ってネパールに来ていたし、滞在していたホテルも、もちろんチベット式仏画“タンカ”の師匠家族も仏教サイドの人達だった。みんな信仰心が篤く、気が遣えて綺麗好き。肉も祭りの時以外はあまり口にせず、師匠の娘、マニシャにいたっては完璧な菜食主義者だった。そんな彼らが大好きになった私は、ある時から仏教徒とヒンドゥー教徒の違いが気になるようになっていった。まず1番目につくのが、仏教僧院とヒンドゥー教寺院の境内だ。こんな事言ったら悪いけど、ヒンドゥー教の寺は一言で言えば汚いのだ! 土やタイル張りの床の上にお香の燃えカスや、溶けたロウソクや、お供え物の果物や花が腐ったものや、ティカの真っ赤な色の粉や、お香やお供え物を包んでいたビニール袋や、ネズミや鳩の死骸や、寺院によっては供物であるヤギや鶏の喉を掻っ捌いた時に飛び散った血がべっとりとこびり付いたままになっている。あの強烈な雰囲気が旅情を誘うとも言えるけれど、なにしろ境内は裸足で歩かなければならず、足に得体の知れないものが次々と突き刺さってきて気が気ではない。一方、仏教僧院は私の見た限り、どこもこざっぱりとしていて気持ちが良かった。小僧さんや僧院に住み込みで掃除や諸々の作務を行う人がいて、彼らがせっせと境内を掃除している。仏教では掃除も大事な修行のひとつと考えられているので、抜かりないのだろう。ヒンドゥーの神さまは何でもっと早く掃除の大事さを説いてくれなかったのかと恨めしく思うくらいだ。あの、怖〜い神々がひとこと「掃除をしないと八つ裂きにしてやるぞ〜!」と言ってさえ下されば、インドやネパールの路上からはすっかりゴミが消えるはずなのにナ。


 次に、私が滞在序盤に出会ったヒンドゥー教の人々はおしなべてスケベだった。これにも参った。カトマンドゥでぶらぶらお散歩していると、いたるところに円盤状の石の上に細長い円柱が立っているモニュメントを見かける。これは“ヨニ”と“リンガ”と言って、女性器と男性器をかたどった性交するシヴァ神を表す像だ。街の角々で天に向かってすっくと起立するシヴァ神のリンガ。この像の前を通るたびに撫ぜ撫ぜし、人によっては白いミルクをかけては撫で回す。この祈りの行為自体はとても興味深いものだが、ヒンドゥー男子達の篤い“シヴァ信仰”にはほとほと嫌気がさしていた。道を歩けば「ヘイ姉ちゃん! 上手いチャを奢るよ! こっちへおいでよ」だの「日本人女性はみんな美しいな! 結婚しよう!」だの「今から俺ん家に来い! 忘れられない夜にしよ〜ぜ〜」などとのたまい迷惑極まりない。勿論仏教徒の男子諸君も負けてはいないのだが、エッチな話に持っていこうとするのは決まってヒンドゥー男子だった。毎日必ずどこかで遭遇するこの手の掛け合いに私はすっかり疲れていた。


 そんな気持ちを抱えていた頃、私はタンカの制作を一旦お休みし、アンナプルナ地域にある仏教とヒンドゥー教の聖地、ムクティナートへ5日間の巡礼の旅に出かけた。ポカラから乗り合いバスで崖っぷちの酷い悪路を進む事十数時間。ジョムソンというカリガンダキ川沿いの小さな集落に一泊し、翌朝ムスタン地方の秘境、カグベニでまた一泊した。私はこのカグベニという集落が一目で大好きになった。仏教徒の住む集落で、中央にベンガラ色の大きな僧院が建っている。標高2870メートル地点から見る空は、私の仏画修行の拠点であるポカラとは比べものにならないくらい濃い青をしていて、宇宙が透けて見えるようだった。陽射しが強く、目の奥に直接光線が突き刺さる。全てのものに深い紫色の影が落ちていた。毎日午前11時を回ると突然強風が吹き荒れて、夜まで止まることがない。立っていられない程の強風で、慣れない人が外出するのはとても危険なほどだった。名産品であるリンゴの木が折れてしまうのではないかと思うほど大きくしなる。黄土色の荒涼とした大地がどこまでもどこまでも広大に続いていた。時に大きくうねり、太古の地層を露わにしながら聳え立つ大地の光景はこの世のものとは思えない。チベット密教と土着の神々がうまく混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出している魅惑的なカグベニ。後ろ髪を引かれつつ、明朝、ジープをヒッチハイクして目的地の聖地に到着。標高3798メートル。空が近く、風が強い。まずは少し手前にあるムクティナラヤンというヒンドゥー寺院にお参りしてから、ゆっくり仏教寺院をお参りしようと思い、山を登り始めた。ムクティナラヤン、二重の塔の周りにはこじんまりとした境内と、沐浴場、それから108の蛇口から聖水が流れ出る壁があり、その水を順に飲むと大変罪行消滅の功徳があるという言い伝えがある由緒あるお寺。この泉の水でキャーキャー言いながら遊ぶ若い巡礼者達を横目に、私も一応お水を触り、靴を脱いで境内に入った。地面は案の定、ティカの粉やお供え物のカスでベトベトとしている。ヒンドゥー教の僧にあたる人にマッラという紐を首に結びつけてもらい、ティカを付け、御本尊にお祈りした途端、吐き気とめまいで気分が悪くなった。今まで何ともなかったのに、ここへ来ていきなり高山病!? 今さっき結んでもらったマッラが首を締め付けるようで、ひどい吐き気がし、おでこのティカから後頭部まで鈍痛が走った。「ゔゔっ」。そのままよろよろと次の目的地にしていた仏教僧院ジョラムキ・ゴンパへ向かい、尼さんにご祈祷してもらい、症状を訴えた上でティカとマッラを取ってもらったら嘘のようにすっかり治ってしまった。あれは一体何だったのだろう? 私はヒンドゥーの神様に心の中を見透かされたのだと思った。この時期ヒンドゥー教徒へのイライラがピークに達している頃で、境内に入った時も、敬意を払うどころが床の汚さに気を取られて、嫌だなと思っている自分がいた。信仰心もなく形だけの祈りを捧げた私に、神がお仕置きをしたのかもしれない。私は深く反省した。ヒンドゥー教寺院で祈るのならば、まずヒンドゥーの神々に敬意を払わなければならないのは当たり前なのに。


 この旅からポカラに帰った後、仏教徒の友達の他にヒンドゥー教徒の友達が沢山できて、ヒンドゥーのお祭りにも参加し、ヒンドゥー教徒だからと人を一括りにして考えてしまった自分を恥ずかしく思うようになった。無知から来る誤解が、イメージの中のヒンドゥー教徒像を勝手に作り出してしまっていたようだ。でも、もしかしたら古今東西様々な争いは、案外こんな風に起こるのかもしれない。相手のことを深く知らないから、そのイチ側面だけを見て、自分の価値観との違いから勝手に苛立ち始める。宗教や国籍でその人をくくって見てしまうのは全くもってナンセンスだ。目の前にいる一個人と向き合うべきだという当たり前の事に改めて気付かされた。


 ムクティナートへの巡礼を終え、私は再びタンカの修行を再開した。この時描いたのが五智如来の絵だ。大学の卒業制作で選んだモチーフに再び挑戦したのだ。左から順に宝生如来、阿閦如来、大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来を描いている。肌の色も印相も違い、見た目には異なった仏さまに見えるが、実は全て同じ大日如来の智慧を表しているのだ。表面的な見た目が違っても、本質的には皆繋がっていて、同じもの。なんだか私達人間とそっくりだ! 五人の仏様が揃って、はじめて調和がとれる五智如来のタンカ。宗教の違いに囚われ目が曇っていた私が、ネパールで気付かされたように、この絵で大事なことに気付いてほしいという願いを込めて、一筆一筆丁寧に仕上げていった。




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