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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第4回

彩蘭弥 


 

薬師如来 〜描くことは瞑想することである!〜



 ネパール歴2074年9月5日火曜日。ここはネパール第二の都市、ポカラ。前回4月に訪れた時、ヒマラヤに昇る朝日にチベット式仏画のタンカの世界を感じ、そこに祈りの美の本質があるように思えて仕方がなく、どうにかして学びたい一心で、気が付いたら再びこの地に降り立っていた。

 雨季真っ只中だが、一日中雨ばかりかと言えばそうでもない。午前中はピッカピカの晴天で、汗ばむような陽気なのに、午後から一気に雨雲が空を多い、ゴロゴロバッシャーーーン!!と雷鳴を轟かせ、バケツをひっくり返したような豪雨になり、道は一瞬にして川に変わる。午後出歩く時は足がさらわれそうになって大変だ。

 世界の屋根エベレスト、白く輝くヒマラヤで名高いネパールは、標高が高くて寒いんじゃないかと思っていたが、実はほぼ奄美大島と同じ緯度に位置し、山の麓は温暖な亜熱帯気候なのだ。

 特にポカラはネパールの中でも標高が低く800メートル程なので、南国の雰囲気が漂っていた。ヤシの木とハイビスカスの花がそこかしこに生え、道端にはマンゴーやバナナがたわわに実り、みんな勝手にもいで齧ったりしている。穏やかに広がるフェワ湖のほとりには、卓球台が設置されていて、地元民達が集まってゲームに興じていた。

 湿度の高い、ムシムシとした空気を全身にまといつつ、つい数ヶ月前に訪れたばかりのポカラを歩く。私の大好きな山、「魚のしっぽ」という名前の付いた、名峰マチャプチャレが霞の向こうに聳え立っていた。山の頂がまるで二手に分かれた魚の尾ビレのように見えることから、こんな可愛らしい名前が付いたのだそう。魚好きの私としては何とも親近感のわく山であり、美しく個性的なこのマチャプチャレを拝みながら仏画修行がしたい!というのも、ポカラに再訪した理由のひとつだった。

 首都カトマンドゥの喧騒は全く感じられない、のどかなポカラは長期滞在するのにうってつけのように思う。ただひとつ気がかりなのは、今回の滞在のメインテーマである仏画修行をする場所がまだ決まっていないという事。カトマンドゥならばタンカスクールがいくつもあるので、授業料さえ払えば学校に入る事は可能なのだが、この田舎の湖のほとりで仏画を本格的に学べる所がはたして存在するのかも、疑わしいのだ。

 まあ、どうにかなるでしょう。いつも行き当たりばったりの旅なのだから。

 仏画を学べる場所を求めて、湖を横目にゆっくりと散歩した。


 レイクサイドと呼ばれる観光地の南の外れの静かな通り沿いに、その店はあった。一組の夫婦が肩を寄せ合って、人の背丈よりも大きな仏画に向かって一心に筆を走らせている。漆黒の下地に金一色で描かれた千手観音菩薩。薄暗い店内に差し込む光が真っ直ぐに観音像にあたり、ぼうっと発光しているようだった。吸い込まれるようにして店内に足を踏み入れる。二人の仏画師は、メガネの上の隙間から、ちらりと私を一瞥しただけで、またすぐに作業を再開した。モンゴロイド系の顔つきは、日本人にそっくり。しかし、なんて緻密な絵なのだろう。よく見るとその絵は、ケシ粒くらいの細かな点描で描かれていた。金の粒の集積で、人の背丈ほどもある千手観音像が生み出されていく。あまりの神々しさに、目を奪われた。

 暫くして、仏画から目を離し、ゆっくりと店内を見回してみる。赤い壁紙の上に、大小様々な大きさの仏画や曼荼羅が、隙間なく画鋲で貼り付けられている。髪の毛ほどの細さで描かれた金色の文様が怪しく光り、天井からはお経の書かれた五色の旗タルチョや、何やら意味ありげな魔除けがぶら下げられ、店の隅からは細くお香の煙が燻っていた。

「ナマスカール、あの!私にタンカを教えていただけませんか!」

 気が付いた時にはもう言葉が口をついて出ていた。二人の仏画師がこちらに振り返る。

「ん?ナマステ。でも、タンカはすごく難しいし、描くのはとても大変なんだよ。知ってるのかい?」

 男性の方がそれに答える。

「分かっています。修行には何年もかかることも。でも、その心意気だけでも学びたいんです!!」

「まぁチャでも飲みながら話を聞こう。」

 その後、私は自分が幼い頃から絵描きを志し、毎日絵を描いてきたことや、仏教美術に興味があること。仏画を学ぶために日本から来たことや、両親を説得するまでの経緯を長い時間をかけて説明した。   いつのまにか日がかげり、ゴロゴロと遠くで雷の音がし始めた。

 何杯目かの甘ったるいチャを飲み干して、しばらく2人の仏画師は顔を見合わせ、うむ、と頷く。

「本当にやる気があるのなら、明日朝7時に店に来なさい。」

「あ、ありがとうございます!宜しくお願いします!」



 次の日、約束の時間に店兼工房に到着。

「ほう、ほんとうに来たか。」

 と一言。まあ座れ、チャでも飲めと、熱くて甘いミルクティーをいただく。ミルクで紅茶を煮出し、大量の砂糖とカルダモンなどのスパイスを入れてブクブク沸騰させたチャ。はじめこそあまりの甘ったるさに驚くけれど、慣れてしまえば甘さの後に来るスパイスの香りが癖になる危ない飲み物だ。このチャを日に何度も飲むもんだから、お母ちゃん達はみんなまーんまる!何をするにも、どこへ行っても先々でチャを勧められる。チャ無しでおしゃべりするなんでアリエナイのだ。熱々の朝のチャをすすりながら話をする。ただ彼の英語はあまりにも辿々しいもので、奥さんの方はからっきしといったところ。やれやれ、こりゃ本格的にネパール語を覚えなくっちゃ!この日から絵と同時に、猛烈にネパール語も学んでゆくことになる。私はベンガル語を少し話せるので初めのうちはベンガリ、英語まじり文とジェスチャーで会話を進めた。

「私の名前はブッダ・ラマ。覚えやすいだろ?女房はニシャ・ラマ。夫婦二人三脚で長年タンカを描いてるんだ。」

「えぇ!?ブッダ・ラマさん!?失礼ですけど、ブッダって本名ですか?」

「あぁもちろん。ネパールには仏教やヒンズー教の神の名前の人がすごく多いんだ。ヴィシュヌとかクリシュナなんてごろごろいるよ」

「へぇそうなんですか。日本で神様の名前を子供につける人はあんまり聞かないですね。」

「ラマというのにも意味があって、普通はチベット僧という意味で使われるけど、うちは何代も続くタンカ絵師の家系で、ラマはその屋号のようなものなんだ。僕らの爺さんはチベットから来たんだよ。」とブッダ師匠。

「私達はタマン族っていう部族で、タマン語を使ってタマン族の衣装を着ているけれど、お祈りの仕方とか、タンカの描き方とか、チベットの人達とまったく同じ文化なのよ」と嬉しそうにニシャさんも言う。

「あ、ちょうどいいところに来た。うちの子供達を紹介するわね。長男のスレス、長女のマニシャ、次男のスメスよ。」

 20代後半であろうガタイの良い長男スレスは私には目もくれず、友達とバイクに乗ってさっさと行ってしまった。24歳のマニシャはこの家で唯一英語が出来る貴重な存在で、多くのネパリ女子と同様に腰まで髪を伸ばして、茶髪に染めている現代っ子。21歳の三男スメスは恥ずかしそうに「ナマステ」と一言いい残し店の奥の居住スペースに引っ込んでしまった。


「さてと、では始めるか」

 ブッダ・ラマ師匠とのマンツーマン、スパルタ仏画生活の幕開けだ!

「まず何が描きたいのか、言ってみなさい」

「え、いいんですか!カトマンドゥで幾つかタンカスクールを見学したんですが、みんな最初は小さなマンダラから練習するって決められていました。」

「都会のスクールは生徒が多いだろ?だから先生にとって効率がいいようにカリキュラムが組まれてるんだよ。ここは学校じゃないんだから、お寺で修行を積んだブッダ・ラマから個人レッスンが自由に受けられるんだ。バイニー(妹よ、年下の女性に親しみを込めて呼ぶ呼び方)、君はすごくラッキーなんだよ。」

 そういって師匠はニヤリと笑った。


 師匠と相談し、最初に挑戦するのは薬師如来に決めた。サンスクリット語ではバイシャジャグル。画面中央に大きく薬師如来を配置し、なるべくシンプルな絵柄にする。こだわりは私の大好きなモチーフであるマチャ(魚)のデザインを取り入れた事。まず、土台になるキャンバスを用意しなければならない。日本ではいつも雁皮や楮から出来た和紙を使って制作しているが、タンカはコットンのキャンバスを使用する。シーツのようなペラペラの頼りない布と、針と糸とがが手渡された。

「今日の作業は娘に任そう。マニシャ、教えてやりなさい。」

 そう言って師匠はまた自分の描きかけの千手観音に取り掛かかった。


「エー、バイニー。裏で作業を教えるからついて来て。」

 2歳年上のマニシャに導かれ、店の横の細長い路地を通り、裏手にまわる。始めてプライベート空間に立ち入る時のドキドキ感は特別なものがある。初めてのネパール人のご自宅訪問だ。

 そこはタンカ屋を含む、店三軒分の家の共用炊事場になっていた。タンカ屋の右隣はインドから移り住んで来て床屋を営んでいる家族、左隣はこれまたインドから働きに来ているトレッキング用品専門店の家族だ。その三軒の住民がここでダルバートと呼ばれるカレー定食を作り、皿を洗い、洗濯をして、トイレに行き、体を洗う。決して広くないこの一区画に、三家族が肩寄せ合って暮らしていた。この空間に生えている木や、ちょっとした釘などに紐が四方八方に張り巡らせてされていて、色とりどりの洗濯物が、幾重にも重なるカーテンのように干してあった。高さもまちまちなので、庭の奥に到達するには身を屈めたり、左右に避けたりして進まなければならない。

「バイニー、見ていてね。次からは全部自分でやるのよ。」

 そう言ってマニシャは布の端を、四辺袋縫いにして、きれいな長方形に整えた。

「この袋縫いしたスペースの中に紐を通して、そう、ビスターリ(ゆっくり)」

 布の端に紐を通し、その紐に引っ掛けるようにして、ピンと張るように木枠に縫い止めてゆく。木枠の大きさは一片が130cm程。腕を大きく動かして、ぐるぐると縫い付ける。裏庭には二羽ニワトリもいるし、蚊も多いし、頭上では鳥がヘチマを取ろうと躍起になっているので、小枝がボトボトと落ちて来て気が気じゃない。

 その間にマニシャが魚膠を煮ておいてくれた。

「日本でも膠を使って絵を描くんだよ!でもこんなに濁っているのは初めて。」

「臭いでしょ。カトマンドゥに行けばもっと高いクオリティのもあるとは思うけど、私達はもっぱらコレ。」

 そう言って差し出されたのは、ベコベコのミルクパンで溶かされた真っ黒の膠だった。臭いがかなりキツく、不純物が浮いている。

「灰と膠を混ぜて下地を作るよ。この刷毛で画面全体に塗り伸ばして。」

表と裏に灰と膠を塗りつけて乾かす、これを3回繰り返す。ペラペラだった布はすっかりぶ厚くなり、薄い黄土色になっていた。

「ここからは父に教えてもらってね。頑張って。」

 室内のアトリエに戻り、師匠に次の指示をもらう。次に使うのは、男性の拳より大きな丸石と、膠水に浸した薄い布、そして木の板だ。

「ヘルノス(見ていなさい)」

 木枠を床に倒し、板を画面の下に敷いて布で画面に膠水を塗る。濡れた部分を石でゴシゴシ擦って平らになめしてゆく。

「タパイ、ガルノス(あなた、やってみなさい)」

 うわぁ、大変だ。こりゃ体力のいる作業だわ!膠水が乾く前に素早く重い石を動かさなければならず、息があがる。この作業を表裏行い、乾かしてまた表からもゴシゴシ。不純物だらけの灰と膠でゴテゴテだった画面は、非常に滑らかでスベスベになった。


 さて、まずは下描きだ。キャンバスに鉛筆で直接描いてゆく。これと言ったお手本は無く、師匠の頭の中のイメージを紙やキャンバスに直接描いてもらい、それを見ながら模写したり、今まで師匠が描いた絵をヒントにしてだんだんと形作っていった。床に座り、木枠にくくり付けたキャンバスを壁に立てかけて描く。手の形が上手く描けず、何度も消してやり直しているうちに画面が毛羽立ってきてしまった。夕方になり、スコールが降りはじめた。裸電球に雨宿りの蛾や虫達が集まってきて、頭上が騒がしい。あれ?いつまで経っても終わりの合図がでないぞ?最初は朝10時から午後5時までの約束だったのに、5時に帰ろうとしたら止められる。

「腹が減ったのなら、チャでも飲んでもう一踏ん張りしなさい」

 結局夜9時まで作業は続いた。

 あぁ!念願叶っての仏画修行だけど、こんな毎日が3ヶ月も続くなんて!お昼休憩も取らないので言葉通りぶっ続け。体力も集中力ももつかしら?ネパール語の指示を聞き取るだけでも集中力が必要だが、その内容が仏教用語だったり、覚えなければいけない技術も多く、脳みそがチリチリと音を立てて毎日ショート寸前という感じ!

 猛烈に仏画と語学の勉強に励む日々は飛ぶように過ぎていった。


「お早うございます!今日もよろしくお願いします!」

「おぉ来たかバイニー。さっそく昨日の続きから始めようか。」

 今日もいつものように、ひんやりとする紅色の床に継ぎ接ぎだらけの座布団を敷き、木枠に張った絵を壁に立て掛けて、細い筆を手に取る。

「今日は空を点描で描こう。筆の先で小さな点を打ち、隙間なく埋めていくんだ。画面の上には濃い色の青で点を打ち、下にいくにつれて徐々に薄めつつ綺麗なグラデーションを作る。青の絵の具は用意してあるかな?」

「はい、昨日青い岩を一日中すり鉢ですり潰したのでバッチリです!」

「よろしい。では早速膠と混ぜて点を打ってみなさい」

「テンテンテン・・・こんな感じでしょうか師匠?」

「全然だめだ!もっと細かく丁寧に!色むらや筆跡なんて一切いらないんだよ。仏様を描くのだから完 璧を目指す必要があるんだ。いつも言っているだろう?タンカを描くという事は即ち僧侶の修行と同じなんだよ。瞑想するように無心になって描くんだ。」

 師匠はいつも絵を描く行為は瞑想であり、タンカ絵師の道は仏道修行そのものだと言っていた。僧侶も絵師も共に道を求める求道者。一生かけて理想を追い求める終わりの無い修行の日々。出来上がった絵を誰かに褒めてもらったり、厳しい仏道修行の成果を見せびらかしたりするのは本来の意味ではない。苦労して仏を一心に想いながら描くこと、それこそ最高の功徳なのだ、と。それにしても、タンカはほんとうに手間のかかる絵だ。普通の絵は、まず下地の色を画面全体に塗り、面積の広い部分から徐々に重ね塗りしてゆき、最後に細かなディテールを描き込む手法が多いと思う。しかしタンカは最初から1番細かい部分を描き始めてしまう。しかも点描で!背景を描き込む時も、手前のモチーフを避けて徐々に点で埋めていくように描く。気の遠〜くなるような作業量だ。あるとき一度師匠に聞いてみたことがある。

「師匠、なんでこんなに効率の悪い描き方をするのでしょう?なんで広い面積も細い点や線で埋めなければいけないのでしょう?ハケのようなもので一気に塗りつぶしてはいけないのですか?」

「タンカはね、時間をかければかける程良いとされているんだ。その分長くその仏様と向き合っていられるだろう?なるべくゆーっくり手間をかけて描くべし。なんだよ。」

 私は目からウロコが落っこちるかと思った。というのも、美大で描く絵には必ず提出期限があり、その日までにいかに手数が入れられるか、というのが勝負どころのような気風があったからだ。そのため講評の日から逆算して、大体の工程を考えて効率よくボリュームのある作品を仕上げることに苦心していた。しかし、タンカは違う。ゆっくりであればゆっくりであるほど良いなんて!その間ずーっと神様と向き合い続けられるのだから、もの凄く功徳がありそうだ。

 仏画や宗教建築、宗教芸術は自分のための作品制作じゃない。神仏に捧げて失礼でないもの、様々な人から見て、あぁ、救われるなぁと思われるものを作らなくてはならない。これにはやっぱり純粋な慈悲の心、素直でまっさらな心がないと、どうしても作れないのだそうだ。私は仏画師になる訳ではないけれど、今後はこの心持ちで絵を描き続けようと決めた。いつも「これを仏様に見せて失礼ではないかな?」というのを基準にすればよいのだ。これは絵に限ったことではなく、日々の生活全てに当てはめられることだそうだ。朝一番に今日という日を迎えられたことへの感謝の祈りから始まって、食べ物や、家族や周りの人への感謝の祈りがあり、自分の仕事が仏様への功徳であるということを意識し、祈るように事を行えば自然と正しい結果が生まれる。絵を描くとは祈りである、私たちの日々は祈りの日々である、とタンカを通じて教わった。


 ネパールへ来て1ヶ月、右も左もわからない、言葉も分からないところからスタートした薬師如来がようやく完成した。薬師如来はその名の通り、医学の仏さま。でもチベットの薬師如来は日本で見るお姿とはちょっと違う。肌は青く光り、右手は左ひざの前で施無畏印を結び、親指と人差し指で薬草を持っている。左手には薬壷を持ち、結跏趺坐で座り、僧の赤い袈裟を召している。細かな点と線の集積で描くチベット式タンカを作るには、とにかく集中力と根気が必要だ。ちなみにチベット仏教の薬師如来の真言は、

「テヤター オン ベーカンゼ ベーカンゼ マハ ベーカンゼ ランザ サムガテ ソワハー」

 この真言を心から信じて唱えれば、薬の効果が格段に高まり、病気も治るとのこと。他人に対しても有効だそうです。ぜひお試しあれ。

 師匠から「初めてにしては上出来」とのお言葉をいただき、はじめてホッと胸を撫で下ろすことができた。




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