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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第3回

彩蘭弥 


 

ホトケの世界、ここにあり!



 高野山で密教美術に出会い、惚れ込んで以来、頭の中はぐるぐると曼荼羅や諸尊のことばかり。密教と言えばチベットが本家本元!(と、当時は思っていた。諸説あるけどここでは割愛)まずは源流まで遡ってチベット密教美術を学ぼう!特にチベット式の仏画である“タンカ”に強く心惹かれていたので、これを学ぼうと考えた。でもチベット自治区に学もコネも無い私が1人で滞在する事は難しく、代わりにチベット仏教徒が沢山いて、親日的と言われるネパールに行くことに決めた。

 ネパールへ行けば、きっと私の絵が良くなるに違いない!そんな根拠のない自信だけを胸に、飛行機に飛び乗った。

 羽田から中国の広州まで4時間、トランジットで5時間待って、ネパールの首都カトマンドゥまで4時間かかって到着した時にはもう23:00をまわっていた。小さな飛行機のタラップから降りて、初めてネパールの空気を吸い込む。スパイスや排気ガスの溶け込んだ“もったり”とした臭いが闇夜に溶け込んでいて、インドに旅していた頃を思い出した。日付が変わろうとしている時分のカトマンドゥの安宿街、タメル地区。道のいたる所で野犬が唸り声を上げている。若い男性グループがこちらを見ているような気がして、足早に前を通り過ぎた。バックパックの肩ベルトを握る手に力がこもる。ようやくゲストハウスに到着し、荷物をおろす事ができた。宿の受付にはこんな張り紙が。

 「カトマンドゥの水道事情は近年ますます悪くなっていて、最近はギョウ虫の卵が頻繁に検出されています。うがいにもミネラルウォーターを使いましょう。」

 うげっ、到着早々なんちゅう脅しをかけるんだ。

 早速ミネラルウォーターでうがいをし、心なしか黄色っぽいシャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。ところどころ剥落している天井を見つめ、これからの旅を思う。ひとり旅初日の夜はいつも不安でたまらない。あぁ、ついに一人ぼっちになってしまった。ちゃんと友達できるだろうか。実りある旅になるかな。何か盗まれたり、まさか事故なんかには巻き込まれないよね⁈ そんな事をイジイジと考えながらも、身体は疲労困憊していて、野犬の遠吠えを聞きながらぐっすりと深い眠りについた。


 翌朝、ぶらぶらと街中に繰り出す。道がボコボコしていて、時々大きな穴が空いているので、慣れない私は足元を確認しながらでないと歩けない。狭い道をスクーターが何台も折り重なるようにして突破しようとするもんだから、渋滞があちこちで起きていてプープーパーパー、クラクションの嵐。白く霞む視界。あまりの埃っぽさに、慌ててマスクを買った。アジア諸国でよく見るあの黒いガーゼマスクだ。頭上の電線は何十本も絡まり合い、どこまでも続いている。歩いていると、すぐに小さな広場に突き当たり、どこの広場にも小さな祈りの場が設けられていて、ある所はヒンドゥー教のシヴァ神の男根をかたどったリンガ。ある所はお椀をひっくり返してトンガリ帽子をかぶせ、目を描き込んだようなストゥーパ(仏塔)。またある所は、お釈迦様の仏像と象頭の神、ガネーシャが仲良く隣り合わせで祀られていた。

 ちょっと足を伸ばして工芸の町として知られる古都パタンを訪ねる。17世紀の歴史的な建造物が多く残るカトマンドゥ盆地全域がユネスコ世界遺産に登録されているのだが、2015年4月25日に起きたマグニチュード7.8の地震で残念ながらその多くが倒壊してしまった。私が訪れた時にはすでに震災後2年が経っていたが、歴史的建造物や民家の復興はちっとも進んでいないように見えた。パタンの広場でうず高く積まれた瓦礫の山を呆然と見上げていたら、いつのまにか隣に青年が立っていた。

 「本当に美しいネワール式のお寺でね。少し前までは、ここにみんなで集まって一日中おしゃべりしてたんだ。でもうちの国はお金が無いから、政府が文化財保護なんてしないんだよ。せっかく遠くから来てくれた君に見てもらえないのは本当に残念だ。」

 そう言って肩をすくめ、さっさと歩いて行ってしまった。

 ところで、道のあちこちに「Happy New Year 2074!」と書かれたカラフルなポスターが飾られているのが目についた。でも私が訪れたのは4月。新年のポスターを剥がし忘れちゃったのかしら?しかも何この数字?気になって通りすがりのおじさんに聞いてみた。

 「ナマステ!あの、このポスター何ですか?もう新年はとっくに終わったと思うけど…。」

 「え、知らないの?今日、西暦で言うところの2017年4月13日までが僕らが使っているヴィクラム歴2073年、明日からは2074年なんだよ。だから今日は大晦日!みんな一日中歌って踊るよ〜!」

なんてこった。どうやら私は街中が大晦日ライブで大盛り上がりの日に来てしまったようだ。


 宿に帰って来た時にはもう日が暮れていて、タメル地区全体がディスコと化していた。ミラーボールの光やレーザービームが飛び交い、あちこちから爆音で音楽が聞こえてくる。

大通りは通行止めになっていて、特設ステージが組まれていた。ステージからはDJが

 「イェーイ!みんなノッてるかい?来年も良い年にしようゼ!ハッピーニューイヤー2074!!!!フォー!!!!」

 と叫び、おしくらまんじゅう状態の観衆が狂喜乱舞している。ネパール人達に混ざり一緒にピョンピョン飛び跳ねて、初めてヴィクラム歴の新年を祝った。


 カトマンドゥにはその後数日滞在して、いくつか観光地は行ってみたものの、埃っぽさと騒音にだんだん辟易してきた。うん、もうこの地は十分に満喫した。せっかくここまで来たんだ。ヒマラヤに登ってみよう!装備も何も用意していなかったので、現地の旅行会社に相談して、5日程の簡単なコースを紹介してもらい、早速行ってみることにした。

 まずはトレッキングルートの出発地から一番近い町、ポカラで一泊。筋肉痛と日頃の運動不足でガタガタになりながらも、2日間かけてなんとかプーンヒルの麓、ゴレパニに到着した。


 翌朝早朝。枕元の窓のカーテンをそっと開ける。よし、晴れている。昨日の雨で心配していたけど、夜明け前のヒマラヤの空にはいく千もの星々が輝いていた。ダウンジャケットを羽織り、靴下を二重に履く。鞄にスケッチブックとパレット、筆を洗うための水と、鉛筆を詰め込んだ。シンと冷たいロッジの廊下に出る。ギシギシ軋む自分の足音がやけに響く。階段を降りるとそこには暖炉があり、数人のネパール人山岳ガイド達が暖をとっていた。軽く会釈して外に出る。

 大気は濃紺色をして、それでいて澄んでいた。吐く息が白い。ライトで足元を照らしつつ、村を斜めに横切ると、石を無造作に積み上げただけの小さな階段に突き当たる。

 階段の続く先に目をやると、いくつかの小さな光が列を作って揺れていた。行き着く先はまだ全く見えない。大きく息を吸い込み、一歩足を踏み出した。


 200メートル程登っただろうか、喉の渇きと共に手足の痺れが襲ってきた。鼓動が早い。もう一歩も踏み出せないように思う。少し山道をそれて岩に腰掛け、落ち着くのを待った。足元を見て、呼吸に集中する。吸って、吐いて、吸って、吐いて、、、。高山病というのは日中大丈夫な人でも、寝ている間にかかる事が多いらしい。日中は呼吸をしっかりして、水分補給をこまめにし、準備体操や、食事にも気をつけているけれど、寝ている間は呼吸が浅く、水も飲めていないからだそう。朝食前でまだ十分に脳が起きていない時に、急に勾配のキツイ階段をどんどん登っていったせいで、体が追いつかなくなってしまったようだ。

 ふと目線を上げると、そこには世界に名高い名峰たちが洗練された影絵のように姿を現していた。暗い中、足元ばかり見ていたので、空が淡い紫のような、青緑色のような色に変わってきている事を、この時まで気が付かなかった。夜明けが近い。急がなければならない。東の空は珊瑚色に染まっている。山々はこれ以上ない程の上品な群青色だ。


 呼吸に意識を向け、頭を空っぽにして一歩一歩踏み出す。途中途中で息を整えながら、ついに山頂に到達した。幸い、太陽はまだ姿を見せてはいない。8000メートル級の山々が目前に迫る。ダウラギリ山の右側面がピンク色に発光し、アンナプルナの天を突く見事な山容の遥か彼方には、憧れの名峰、マチャプチャレがひょっこりと顔をのぞかせていた。

 一度ぐるりと景色を見渡し、ダウラギリに焦点を絞ってスケッチブックを開く。かじかむ手で満足な線は引けないが、構わず筆を走らせる。ひとたび風が吹くと歯の根が合わなくなるほどだ。描きはじめて間もなく、世界中からこの地を目指してやってきたトレッカー達に囲まれた。彼らと他愛もない話をする。ああ、なんて幸せ。

 突然、歓声とともに世界が黄金色に包まれた。その瞬間、山々の遥か上空に、巨大な光の輪が現れたのを、私は確かに目撃した。それはヒトが命をかけてイチかバチかで挑戦する山を、ずっとずっと上から見下ろすようだった。たとえ特定の神を信じていなくとも、確かに人知を超えた大きな力がそこには存在していた。神聖な朝日に照らされた世界は、ありとあらゆる光と色の反射によって虹色に煌いていた。


 その時私は気がついた「あぁ!この光景がタンカそのものだったんだ!」

 タンカ(仏画)は決して形式的に描かれたものじゃなかった。今までネパールを旅する中で、お寺や土産物屋で何度も目にしたタンカだったが、どうにも平面的でノッペリしていると言うか、デザイン的でポスターのように見えていた。しかし、プーンヒルの頂上でご来光に照らされた時、タンカの見方がガラリと変わった。なーんだ、見たまま、そのままの景色なのだと。画面全体にはピンと張り詰めた空気。画面下部に描かれた、雪を被った山々。そのまた遥か下に森や、川や、動物たちがいて、空には虹色の雲が浮かび、画面中央にどーんと大きく光の輪を背負った仏が鎮座している。

 私が実際目にしている光景、まさにそのものだった。ホトケの世界ここにあり!仏教美術に惹かれてここまでやってきた私は、何かがストンと腑に落ちた。


 ところで、私が立っていたヒマラヤの山々は、かつて海の底にあった。今から2億数千万年前、インドは「パンゲア」と呼ばれる巨大な大陸の一部だった。パンゲアとユーラシア大陸との間には、テチス海という、広大で豊かな海が広がっていたそうだ。2億年ほど前、パンゲアはバラバラになり始めた。そして約5000万年前、長い長い時間の果てに、ついにユーラシア大陸に衝突。


 ゴゴゴゴ、、、、ドーーーーーーーーーーンッッッ!!!!


 と、いったかは定かではないが、大陸の衝突により、ものすごいエネルギーで、テチス海の海底は高く大きく押し上げられていった。どこまでも天高く。。。


 ヒマラヤ山脈からアンモナイトや三葉虫など古代生物の化石がザクザク出てくるのもこのためだ。

山と海とは、対極にあるものだとばかり思ってきた。地球上でもっとも宇宙に近い山の頂上に、かつての海の記憶がこんなにも鮮明に残されていたなんて。

 2週間の旅を終え、日本に帰国してから、私は世界の屋根のそのまた遥か彼方上空に、海を表す魚を描くことにした。今回訪れたトレッキングで見た光景そのままのような、私なりのタンカを。モデルの魚は魴鮄。漢字に佛という字が入っていて仏の化身として描くにはもってこいだったし、何より朱色の体に鮮やかな青の羽を広げ、飛ぶように泳ぐその姿が人知を超えているように思えたからだ。


 太古の昔に海に宿った命が、永遠にも思えた輪廻の世界を抜け出し、今まさに天へと向かう。その喜びを表現した。全ての生きとし生けるものに救いがあると説く、チベット密教の祈りの言葉にのせて。





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