top of page

魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第22回

  • 彩蘭弥 
  • 2 時間前
  • 読了時間: 7分

彩蘭弥 

天空の禅寺—群馬の台湾を訪ねて


 2021年に出会い、数年間お世話になった台湾の禅寺の話をしよう。

 前編では群馬県伊香保にある別院「佛光山法水寺」での日々を、後編では台湾・高雄にある総本山を訪ねた時のことを綴りたい。


 伊香保というと昔ながらの温泉や石段の街並みが有名だが、実は異国情緒漂う、まるで台湾に来たかのような場所があるのをご存じだろうか? 新宿バスタからJRバス「上州ゆめぐり号」に揺られること約2時間半。伊香保温泉のバス停で下車し、迎えに来てくれた車に乗り換えて、今回の目的地「佛光山法水寺」に到着した。


 目の前には238段もの石段がそびえ立つ。息を切らせながら登り切り、振り返ると、そこには空の上から下界を一望できる大パノラマが広がっていた。快晴の空のもと、遠くの山々まで見渡せ、心がすっと晴れ渡るようだった。


 端がぐりんとそり返った、立派な中国建築の門をくぐる。連なった赤い提灯、ピンク色の布袋さま、青空の下、鮮やかな赤褐色の建物が立ち並ぶ。そこはもう台湾だった。


 建物はコの字型に並び、正面にはもっとも大きな本堂「大雄宝殿」が構える。ほかにも千手観音を祀る慈悲宝殿や、地蔵菩薩の部屋、座禅部屋などがあり、それぞれにお参りさせてもらう。本堂に鎮座する大理石の純白の大仏は圧巻で、天井絵や壁に埋め込まれた約2000枚の仏板彫刻からも寺の壮大なスケールが感じられた。また、寺の建つこの山は全て境内であり、手入れが行き届いていて、各所で牡丹が咲き誇っていた。


 「佛光山法水寺」とのご縁を繋いでくれたのは、大学時代に英語クラブで一緒だった台湾出身の友人だ。私のアジア各国を旅し、祈りを描く活動を応援してくれている。彼女の母親が佛光山で長くボランティアをしており、

 「仏教に興味があるなら、次は台湾の仏教を知るべきだ!」

 と熱心に勧めてくれた。友人親子の強力かつ温かなサポートにより、私はあれよあれよと言う間に濃密な台湾仏教の世界へ足を踏み入れることになった。


 台湾・高雄にある佛光山の総本山は1967年に開山し、今では全世界各地に300以上の分院や道場をもつ。ここ伊香保の別院は日本の総本山として2018年に建てられた。宗派は臨済宗系で、比較的新しい教団だが、信者も多く、エネルギーに満ちた寺である。


 法師様も檀家さんも台湾や中華圏の方々で、境内には中国語が飛び交っていた。しかも台湾語と仏教用語を混ぜて禅の話などをしているのだ。ここに法師様達の作務のお手伝いとしてポンと日本人一人で飛び込むのである。中国語を勉強し始めたばかりの私には、ハードルの高い場所だった。


 案の定、働き始めてすぐに足手まといな“挙動不審外国人”と化した。

 禅寺の1日は忙しい。朝日と共に起き、座禅、読経、そして厨房で大量の精進料理の準備。巨大な中華鍋を操る先輩檀家さん達の手際の良さには圧倒され、「何か手伝えることはありますか…?」などと恐る恐る声をかけようものなら、ポイと追い出されてしまう。昼は参拝者の対応やベジカフェのお手伝い。夜はまた厨房に入り、夕食後に再び座禅と読経が待っている。


 言われた指示が聞き取れない、そもそも寺のルールが分からない。仲良くなりたい、手伝いたいという気持ちとは裏腹に、最初のうちは邪魔ばかりしていたような気もする。それが悔しくて、東京に帰って毎日中国語を勉強した。


 毎月一度は泊まり込みで通ううち、顔と名前も覚えられ、中国語も少しずつ耳に馴染んできた。会話が通じるようになると法師様や檀家さんたちと他愛もないお喋りや、冗談が楽しくなり、一緒に作って食べる精進料理の味が格段に美味しくなったように感じた。みんなで作ったパイナップルケーキのあたたかな味は、今でも忘れられない。


 お祈りの際には台湾式の五体投地を行う。何度も通ううちにその動作も身につき、夜明けと共に始まる朝のお勤めの時間には、群馬の山々から登る朝日に自然と五体投地をした。


 日本人の私はこの寺では珍しい存在だった。ヘンテコな中国語をどんどん話す“外タレ”的な立ち位置が功を奏し、次第にみんなの「おもちゃ」的ポジションを獲得していった。また、どの法師様にも派閥のようなグループがあり、誰と食事をするのか、誰と座禅を組むのか、などその見極めが非常に難しいところなのだが、私はあちこちからお呼びがかかり、外国人という立場を利用して八方美人を貫いていた。結果、方々で可愛がってもらい、それぞれの部屋でお茶やお菓子を振る舞われ、お腹がいっぱいで夜の精進料理を食べるのに苦労するほどだった。


 私の画号は「彩蘭弥」で最後の「弥」の字は「阿弥陀仏」の「弥」であることから、法師様達から親しみを込めて「阿弥」(あみ)と呼ばれていた。日本語では「みーちゃん」くらいのニュアンスになるのだが、漢字にするとちょっと畏れ多い感じもする。


 法水寺では無料で宿泊・食事をさせていただける代わりに、しっかりと作務を行うという決まりがある。広大な境内の掃除や花の管理、全国各地から集まる信者団体のアテンド、宿坊のシーツの洗濯や、季節ごとに変わる境内の装飾など多岐に渡る。その中でも私の主な持ち場はベジカフェ「滴水坊」だった。台湾の名物料理、特に夜市で売っていそうなメニューを肉類を使わず提供するお店だ。ルーロー飯やベジバーガー、パイナップルケーキ、タピオカミルクティー、日本では珍しい仙草ミルクティーや、千と千尋の冒頭で千尋の両親が食べていたブヨブヨの食べ物のモデルと言われる「バーワン」などメニューは豊富だ。


 「滴水坊」は日本人の参拝客にも人気で、特に週末は大繁盛する。必然、日本語での対応も必要となり重宝された。注文や値段、お会計の方法などの中国語が飛び交い、瞬時に判断して動かなければならないので、ここで随分鍛えられたように思う。日本人の参拝客には「え、日本人なんですか?すごい、中国語ペラペラなんですね」などと言われたりもして嬉しかったが、内心ずっと冷や汗ダラダラで指示を聞きのがすまいと必死だった。


 法水寺には約10人の女性法師様が常駐しているのだが、そのほとんどは何年も日本にいても日本語を話さなかった。信者の規模が大きく、生活や信仰に必要なあらゆる業者が信者で賄えてしまうので、日本に馴染む必要がなかったからだ。よって日本人に無理に布教することなども一切ない。土台が安定していることに感動を覚えると同時に、地域の伊香保の住民からはだいぶ不審がられているようで、もっと上手く説明して地域に受け入れてもらえないものかなぁ、などとも思った。


 宿坊はホテルのように快適だったが、個室ではないので、必ず誰かとルームシェアする事になる。夜は中国語と日本語、筆談も交えながら、それぞれの人生を語り合った。なぜ仏の道を選んだのか、どんな困難を乗り越えてきたのか、その話に何度も心を打たれた。家族の死、心の病、苦しい時に佛光山に出会い、救われ、生涯を信仰に捧げる決意をしてここへ集まってきている。虫の音だけが響く静かな山の夜、疲れた体のまま語り合う時間は、まるで夢のようだった。


 お寺での出会いは一期一会だ。法師様達は世界各地のお寺を定期的に巡回しており、次行った時にはもう会えない事も多い。深い縁のようでいて、意外とドライな感じは、執着しないという仏の教えの実践なのかもしれない。少し寂しいけれど、旅も人生もそういうものだと思った。


 佛光山は教育や文化活動にも力を入れていて、総本山はもとより、各国の分院には画廊がある。一年以上通い、だいぶ仲良くなった頃、お寺のギャラリーで3ヶ月間個展をやらせてもらえる事になった。私は大作を15点ほど展示し、同時に子供たちへのワークショップも行った。2025年現在、本業に追われしばらく足が遠のいているが、この原稿を書いているうちに、またあの晴れ渡る“天空の禅寺”に行きたくなってしまった。



 後編、「まるでエレクトリカルパレード!?超巨大キラキラ総本山編」に続く


ree

ree

ree

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

© 2022 なぎさ created with Wix.com

bottom of page