彩蘭弥
「宇宙にもっとも近い深海」前編
チベットの 天に広がる 深海を 輪廻の果てに もぐってゆこう
地球の屋根にはアンモナイトの化石がある。大学卒業後すぐ、私はチベット仏画を学ぶため、単身ネパールへと旅立った。今回はその5年後、再び彼の地を訪れた時のお話。ネパールは世界一標高の高いエベレストを含む、ヒマラヤ山脈を有する国だ。標高4,000mを超える僧院を目指す道中。酸素が薄く、息苦しくて思うように足が進まなくなる。まるで水中を歩いているかのようだ。見上げる空は宇宙の色が透けて、恐ろしいほど鮮やかな群青である。足元にはアンモナイトの化石が転がっていた。それは太古の昔、その地が海の底にあった揺るがぬ証。1億5,000万年前からの静かな“ことづて“。その時私は気が付いた。ああ、私は今、宇宙にもっとも近い深海を歩いているのだと。チベットの乾いた褐色の波を越え、大宇宙の曼荼羅を描くため、沈黙のコロナ禍を耐え抜き、私は再びネパールへ足を踏み入れた。
2022年12月7日20:00、喧騒のカトマンドゥ。翌8日の朝にはイエティ・エアラインで、ネパール第二の都市、ポカラへと降り立っていた。冴え渡る空に、名峰マチャプチャレが輝く。故郷に帰って来たかのようなえもいわれぬ感慨が押し寄せた。以前お世話になったネパール人の家族や仏画の師匠、ご近所さんに手土産を持って挨拶回りをし、甘いチャを飲みながら長い長い近況報告を済ませる。ここからは気を引き締め、山へ入る心身に切り替えなければならない。ガイドのデバさんと共に入山許可証を発行してもらい、まだ真っ暗な朝6時に毎度お馴染み、オンボロ過積載のローカルバスに乗り込み、ジョムソンへと出発した。
今回の目的地について簡単に説明しておかなければならない。旅の期間は1ヶ月間。その中で主たる目的は、禁断の王国ムスタンに潜入し、幻の都ローマンタンを目指すことである。1991年まで外国人の立ち入りを禁止しており、2008年まではネパール国内にありながら自治王国であったムスタン。そのために「禁断の王国」とも呼ばれている。人口は9,000人ほど。今でも特別な通行証やいくつかの条件を満たさなければ入れない地域だ。チベット高原や中央アジアとインド平原を結ぶ回廊に位置し、かつてはヒマラヤで取れる良質な岩塩を運ぶ「塩の道」としても重要な地点だった。1951年、チベットが中国の軍事侵略を受け、中国化された際にも、ムスタンは自治王国として存続し「古き良きチベット」の風情を残す。そんなチベット文化のラストシャングリラにどうしても行かなければならないと常々思っていた。
ムスタンは標高2,700mのローアームスタンと標高3,500m以上のアッパームスタンに二分される。実は前回の旅でローワームスタンは訪ねており、その風情が素晴らしかったので、さらに難易度を上げてアッパーに挑戦したいという思惑もあった。まずはムスタン地方の玄関口であるジョムソンに到着。悪路を10時間以上かけてやってきたので、もうヘトヘトだ。季節は12月。極寒のオフシーズンど真ん中のヒマラヤである。宿泊客など誰もおらず、宿もみな閉まっていて、やっと一軒見つけて転がり込んだ。今後の旅では宿探しが毎度骨折りなのだが、その話はひとまず置いておこう。この時期は水道も全て凍り付いているため、水洗トイレやシャワーは使えない。地元の人と夜な夜な火を囲み、毛布にくるまり、四方山話をしながら太陽が昇るのを静かに待った。
朝の薄明かりに照らされて、バックパックを背負い歩き出す。ここからは徒歩で進む。カバンの中にはF6号のスケッチブックと、水彩絵の具、鉛筆、色鉛筆などがぎっしり詰まっている。荷物は1gでも軽くすべきなのだが、画材だけは手放せない。朝晩は凍えるほど寒いが、日中は空気の層で守られていない高山の太陽光にジリジリと炙られながら進むことになる。サングラスが無ければ網膜が焼き切れそうだ。そのうえ常に風が強く、時折立っていられないほどの突風が吹く。大自然の力に圧倒されながら、一日数百メートルずつ標高を上げていった。ベンガラ色の僧院が美しいガクベニを過ぎ、天然の洞窟をくぐり抜け、チャイレの村に到着。小さいけれど暖かい感じのする村で、居心地がいい。マニ車についた鈴がリーンと周辺の岩山に響きわたる。ここでも宿主や村人たちと肩寄せ合って夜を越した。いつの間にか挨拶はナマステではなく、タシデレになっていた。共通言語はネパール語でなはく、チベット言語になっていて全然聞き取れない。
明くる日は標高3,400mあたりからのスタートだ。人っ子一人いない奇岩の世界をゆく。異界に迷い込んだような錯覚を起こし、巨大生物に見下ろされている気分でちょっと落ち着かない。この日、私は1匹の黒い犬と出会う。毛足の長い大型犬で目の上に茶色い“まろ”がある。この後の道中、この子が私にピッタリと寄り添い、旅を導いてくれた。この地域に野良犬はよくいるものの、徒党を組んで吠えてきたり、普通そんなに懐くものでもない。しかしこの子は出会った瞬間から旧知の中のような顔で接してきて、それに私も疑問を抱かなかった。餌をやったわけでも世話をしたわけでもないが、私が抱きついてもただニコニコ尻尾を振るばかりである。このような不思議な土地だ、前世で関わりがなかったという方が不自然なくらいだった。彼は砂嵐が吹けば風よけになり、水場に案内し、私が歩けなくなった時は寄り添い、他のノラ犬や野生動物を追い払ってくれた。絵を描くために立ち止まると、私の足の甲に顎を乗せて休んだ。名前は付けなかった。やがて来る別れがもっと辛くなるからである。でもそんなことは何の意味もなさないほど、この1匹の犬との絆は強固なものとなっていった。
いくつもの吊り橋を渡り、凍った川を横切り、山小屋でネパールのソウルフード“ダルバート“を食し、一歩進むごとに景色に感動し、気が付けば標高4,200mを超えていた。峠に祈りの旗である“タルチョ“がはためく。毎日精魂尽き果てるまで歩き詰めだ。極寒のシャンモチェンで一泊、道々のマニ車をまわしつつ、幾多の峠を越えた。足元に朽ちたヤクの死骸が転がり、それをハゲワシが突いている。断層が赤や緑、黄色、紫と複雑な色彩で波打っていた。ブルーシープの家族が目の前を横切る。息が苦しくてこの世にいるのかあの世へ来てしまったのかもう分からない。ゆっくりゆっくり、生きていることを確認しながら前へ前へ。空に1番近い海の底を彷徨い歩いた。
ガミで一泊、そして河口慧海も長逗留したツァランに到着。ツァランの僧院で若いラマと人生の短さについて語り合った。悠久の時の流れを感じる土地にいると、自分達の持ち時間があまりに短いことを実感する。今世で善行をつみ、良い来世に生まれようとする、ある意味善業のポイント制(?)のような考え方が興味深い。ツァランにあるムスタン地域で1番古い城からみた景色は一生忘れることは無いだろう。もう朽ちたその城には、深い渓谷を見下ろせる王の見張り台があった。それは現代から、ムスタン王国の繁栄した時代、そしてアンモナイトが息づいていた白亜紀までも見渡せるようであった。チベットの乾いた風に吹かれ、私はひとときの時間旅行を堪能した。次回、ついに幻の都、ローマンタンへ!
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