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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第17回

彩蘭弥 


生き神クマリとの出会い


 あなたはネパールの幼い少女の姿をした生き神さま、“クマリ“をご存じだろうか? 強い信仰を集める年端もいかない女神さま。そんな彼女の住まうクマリの館が首都カトマンドゥのダルバール広場にある。基本的には人目に触れることのない神様なのだが、タイミングが良ければ、クマリの館に拝観料を支払うことで、中庭や窓から顔を出すクマリを数秒間拝顔できるかもしれないとのこと。あまり期待せず現地へ向かい、ヒンドゥー文化の雰囲気を感じられたらそれで良いと思っていたのに、まさかあんな事になるなんて!

 

 ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神タレジュの化身であるクマリ。32ある条件を満たした、初潮前の幼い少女から選ばれる。初潮を迎え、お役御免となるその時まで、特別な儀式以外に外出はせず、クマリの館の中で御付きの者達に囲まれて暮らすのだ。学校に行く事も不可能なため、社会から断絶されたクマリの状況は幼児虐待や軟禁状態にあたると人権擁護団体から非難の声もあがっているが、国の命運を予言し、様々なお願い事を叶えてくれる生き神さまとして、ネパールの人々の心の支えとなり、現在までその伝統は絶える事なく続いている。ちなみにクマリに選ばれるための32ある条件には例えばこのようなものだ。・健康である・全ての歯が欠けていない・菩提樹のような身体・子牛のような睫毛・獅子のような胸・鹿のような脚・アヒルのように柔らかく透き通った声・黒い髪と目・怪我の跡や不自由な箇所が無いことなどだ。また、クマリはネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストのサキャ(Shakya)族から選ばれる。サキャとは釈迦のこと。お釈迦様の末裔の一族からヒンドゥーの生き神様が選定されるのは興味深いことだ。

 クマリの館を訪れる前に、クマリとも縁の深いネパール王家の文化が学べる博物館があったので、ちょっと覗いてみることにした。王家の人々が婚礼や葬儀の際に使うお籠や、豪華な調度品の数々、男神と女神とが抱擁する姿をとる歓喜天の神像まで様々。ネワール式の緻密な木彫り細工の施された建物がかつての王家の繁栄を物語っていた。

 

 さて、本丸のクマリの館へ向かう。中庭のあるロの字型の館で、外から中の様子を伺い知ることは出来ない。中庭に入りぼんやりと建物を見上げていると、1人の中年女性に声をかけられた。

「あんたクマリに会いたいのかい? じゃあ本当にラッキーだよ! 今日はクマリが館の外におでましになる日なんだ。あんたも待ってみるといいさ」

 なんと! 祭りでもない今日という日に、クマリが外に出て来るって!? それは待たない手はない。噂が人を呼び、気づけばダルバール広場は黒山の人だかりになっていた。私はと言えば早くに情報を聞きつけていたので、クマリのお輿がセットされている真横に陣取り、人々に揉みくちゃにされながらその場所を死守していた。1時間ほど待っただろうか、突然、ラッパと太鼓、鈴の音が鳴り響いた。“来るっ!“  広場に緊張が走る。どこからともなく

「クマリ様ばんざーい!」

というような掛け声がおこり、みなそれに続いた。群衆の視線が一点に注がれるなか、ついにお付きの男性に抱き上げられて、女神クマリが姿を現した。彼女は原則、足を地面についてはいけないので、移動は抱えられるか、神輿に乗るかの2択である。真っ赤な衣服に身を包み、額には大きな第三の目が開眼している。目は真っ黒に縁取られ、目尻からこめかみに向かってスッとアイラインが伸びていた。どこか特定のものを見てはいけないので、クマリの目はぐるぐると虚空を彷徨っているかのようだ。その中で私と目が合ったように思うのは、イチ人間たる私のエゴかもしれない。手を伸ばせば触れられる距離にいた生き神クマリは、黄金の神輿に担がれて一瞬の後に群衆の中へ姿を消していった。香の残り香が一帯に漂う。ダルバール広場はすっかり柿色の夕日に染まり、興奮冷めやらぬ私は手の震えが収まるのを待たなければならなかった。

 

 帰国後、1991年までの7年間ロイヤル・クマリを務めた“ラシュミラ・シャキャ“が書いた自伝『from goddess to mortal』を拝読した。そこにはかつて神であった少女の素直な想いが綴られていた。現実を捻じ曲げて面白おかしくクマリについて伝えるメディアへの憤り、神から普通の人へ戻ることの苦悩、そして文化を伝えてゆく覚悟。ネパールの、文字通り生きた信仰を目の当たりにし、改めてこの地の力強さに舌を巻いた。一体いつまでクマリは続くのだろう、また会える日が来るのだろうか、一瞬見つめ合ったクマリの目が脳裏に焼きついて離れない。



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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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