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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第13回

彩蘭弥 


富士山を描く 


 葛飾北斎の「富嶽三十六景」や、歌川広重の「江戸名所百景」、酒井抱一、狩野永徳、近代で言えば横山大観や東山魁夷、多くの名だたる日本画家が描いてきた霊峰富士山。そのすばらしい名画を見てきただけに、日本画を学んでいながらも恐れ多くて実は一度も富士山を描いたことがなかった。富士山を描くにはもっと修業を積んでからでないと、世間様に見ていただくのは恥ずかしい。古今東西の富士山の名画と比べられちゃたまらん! そんな風に考えていた。ところがあるご家族に富士山の絵を依頼される。しかも彼らが住むのは本家本元の富士山のお膝元、静岡県。小手先だけの絵では、毎日富士山をたっぷりと眺めている「富士山セレブ」の目はごまかせない。これはもう実際に頂上まで登ってみて体感しないと描けないぞ! そう思い、さっそく登山靴とスケッチブックを持って出発した。


 富士山に登るルートは何本かあり、私は山梨県の吉田ルートから登り、静岡県の富士宮ルートで下ろうと決めた。こうすれば山梨側からも静岡側からも富士山を描くことが出来る。2ヶ所ある富士山世界遺産センターを両方訪ねることも可能だ。山梨側にある世界遺産センターで大方の歴史や地形のことを予習し、期待を胸に、登山道へと踏み出した。幸い、ヒマラヤで不慣れながら何度かトレッキングをし、富士山の標高よりも高い場所で過ごした経験があったため、高山病の症状などはなく、天気も味方してくれて大変気分良く登ることが出来た。晴れ渡る青い空、どこまでも続く純白の雲海、噴火と共に飛び出した黄色や赤や黒の軽石の数々、濃紺と茜色の夕空にたなびく桃色の筋雲、凍える寒さの中で見た満点の星空と雲海の下に透けて見える街の明かり、そしてすみれ色の雲海の向こうから黄金の閃光を放ち、あまねく世界を照らすような優しく力強い御来光。富士登山をしていた2日間、毎分毎秒心震わされ続けた。登山道で出会う登山者たちともお互いに励まし合い、一緒にこの困難を乗り越えてゆこう! というような何とも言えない連帯感が芽生えた。


 景色や人だけではない。この登山で私は多様な祈りに出会った。富士山には神道の神々も、仏教の諸仏も祀られているし、ご先祖様が集まる場所だから祈るという人もいれば、樹海で命を絶った無数の霊魂のためのお祓いをする人もいる。麓の洞窟は母の体内に例えられ、生まれ変わりの儀式があったり、山頂は極楽浄土と言うけれど、神社が建てられていたりと実に多様で複雑だ。


 縄文時代の昔から、噴火をくりかえし人々の生活を脅かしていた富士山は荒ぶる神と恐れられてきた。平安期には浅間大神という神道の神さまとして崇められるようになる。社殿を建てて、噴火がおきないよう必死で祈りを捧げた。富士山の噴火活動が沈静化すると、今度は山の持つ神力、霊力を得ようと修験者などが山中に足を踏み入れるようになる。修験道は、日本古来の山岳信仰や密教が混ざり合ったもので、神々は仏の化身だと捉える。彼らはそれまで浅間大神であった富士山は大日如来の化身とし、富士山頂にはめくるめく仏の世界があると考えた。この浄土を目指し、修験者のように富士山の恩恵にあずかりたい! そう思った多くの庶民もまた、汚れのない白装束に身を包み、霊場を回りながら果敢に富士山に山頂を目指した。彼らは富士講と呼ばれている。私の登山中も「六根清浄、六根清浄」と唱えながら登拝する山伏姿の方を見かけた。観光登山が盛んになった現代でも、ご修行として登拝される方は健在だ。御来光に向かって法螺貝を吹くのは一体どんな気持ちかしら。ちなみに立ち上がる時ついつい言ってしまう「どっこいしょ」という掛け声は、この「六根清浄」が語源だそうだ。心身を清める祈りの言葉が訛った「どっこいしょ」を事あるごとに口にしていたなんて! これからは椅子から立ち上がる時もオリジナルバージョンの「ろっこんしょうじょう!」と言ってみてはいかがだろうか?


 ゴツゴツとした岩場を越え、ついに登頂! 目の前に広がる大パノラマの絶景と、いつも遠くに見ていた富士山のテッペンにいるのだという興奮とで、疲れも吹き飛ぶ。頂上でしか見ることの出来ない荒々しい噴火口が姿を現す。ここからまたいつかマグマが吹き出し、関東平野を飲み込む日も来るのかと思うとゾーっと背筋が寒くなった。噴火口の縁には八つの峰があり、仏様の座る蓮華座に例えられたり、それぞれの峰に仏様、あるいは神さまが宿っているとされていたりする。極楽浄土というよりは、うーん、どちらかと言えば地獄のイメージに近いけれど、とにかく人間界ではない、あの世的な世界であることだけは実感させられる。浅間大社奥宮へ参拝し、急峻な富士宮ルートを半ば転げ落ちるような格好で下山した。


 膝が笑って仕方のないなか、どうしても行きたかった静岡県富士宮市にある静岡浅間神社へ参拝した。ここはなんと富士山頂でお参りした浅間大社奥宮につながっているとされている富士信仰の中心的な神社であり、全国の2000社ほどある浅間神社の親のような存在。主祭神のひと柱が日本神話に登場する木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という女神さまだ。神話の神々はみな多分にクレイジーだが、この神さまもなかなかのもの。アマテラスオオミカミの孫で天皇家の先祖であるニニギノミコトに一目惚れされたコノハナサクヤヒメは結婚して一夜の契りで子供をもうけるが、ニニギノミコトが自分の子ではないのではないかと疑いをかけたため、身の潔白を証明するために自ら産屋に火を放ち、燃え盛る炎の中で出産をしたという。何だかひどい話だが、色々調べてゆくうちに、いつしか彼女の虜になっていった。私はこの女神と富士山の絵を描く事にした。作品タイトルは富士山詣曼荼羅図。桜の化身でもあるコノハナサクヤヒメを桜の木と共に大きく配した。この作品は画面下部から上部に向かって目線を移してゆくことで、私が登って見た景色を追体験することが出来るようになっている。鑑賞者と一緒に山頂まで登ろうという試みだ。言わずと知れた名勝、三保の松原から始まり、浅間神社で禊ぎをしたあと、修験者達と共に山道を登ってゆく。登山道の道々には神さまや仏様たちがいて、登山者を見守っている。深い森をこえ、岩だらけの斜面を這うように進むと、そこには今まさに夜明けを迎えようとしている霊峰が聳えている。印象的だった登山客が持っているライトの灯りの列も描き込んだ。


 縄文時代から現代に至るまで、様々な捉え方で日本人の心を魅了し続けてきた富士山。私はこの富士山こそが我々日本人のアイデンティティをぎゅっと詰め込んで可視化した日本人のあり方そのものなのだと思う。日本人として、日本画家として何を描けば良いのか分からず、アジア各地の祈りを求めて旅をしてきたが、まわり道をしてようやくしっくり来るあり方に巡り会えた。その時々に解釈を変えながら必要に応じて人々の祈りを受け入れる軽やかで大らかな性格を持ち、どっしりと構えたその姿からは何事にもブレない誇りを感じさせる。恐れ多くてなかなか描けなかった富士山だが、ご依頼のあった絵を皮切りに、この富士山詣曼荼羅図や、他にも多くの作品を描くようになった。ひとつの宗教や宗派にこだわりすぎることなく、自由に解釈しながら、呼吸するかのように自然に祈りを受け入れ、取り込んでゆく。自分の信じる道が一本通っていれば迷う心配はない。アイデンティティと表現を模索しながら不安と共に始まった一連の旅。日本の頂上で金色の御来光に照らされながら、画家としてこれから進むべき道がスーっと開けて見えるように感じた。この道を進めば大丈夫。そう言われているようだった。これからも幾多の困難が待ち受けているだろうけれど、富士山を見る度に画家として正しい道を進むことができるだろうと確信している。自分自身のために、絵を必要とする多くの人々のために、そしてこの美しい祖国がより良くなるようにと一筆一筆に心を込める。画家としての私の祈りである。





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