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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第12回

彩蘭弥 


平安京から宇宙へ駆ける 



 あの日、私は確かに時空を超えて、平安時代の京都から宇宙まで全速力で駆け抜けた。いや、私が走ったのではなく、何か強力な磁力によって引きつけられ、時空の彼方へすっ飛ばされてしまったと言う方が正しいかもしれない。

 2018年6月10日午前4時半。大きくて冷たい鳥居をくぐり、まだほの暗い山道を少し登ったところに赤山禅院はあった。多くの提灯に照らされ、境内はぼうっと朱色に染まっている。目線を上に移すと空には朝焼けに染まる薄雲がたなびき、嵐の前の静けさのような、ピリピリとした静寂が深い山全体を包み込んでいた。青白い三日月がこちらを見下ろしている。この日、私は縁あって比叡山延暦寺で戦後14人目に千日回峰行を達成された釜堀浩元大阿闍梨の京都切り廻りに随喜者として参加させていただける事になり、早起きして京都の表鬼門にあたる比叡山の麓までやってきた。阿闍梨さまは普段は比叡山の中を歩いてご修行されているけれど、毎年6月、普段のコースを大きく外れて1日だけ京都市内を歩き、人々のために祈る。ここに随喜、つまり“喜んで付いて行きます”という人達の中に混ぜていただいたという訳だ。

 境内には多くの随喜者が集まっていた。みんな全身真っ白な装束を身につけている。勝手が分からない私はとても緊張していた。薄緑色の作務衣姿のお坊さまにお布施を渡し、梵字で埋め尽くされた仏塔が描かれた護符と、塗香のような香りのする陀羅尼をいただく。陀羅尼はお水と一緒に飲むそうだ。うん、これはネパールの寺で参加した祭り、マニ・リンドゥでもらった丸薬と同じ役割なのだろうな。しばらくすると、

 「皆さん、まもなく阿闍梨がいらっしゃいます。跪き、目を閉じて、しっかりと指を組む外縛合掌をし、心を集中させて下さい」

 との声かけがあった。多くの人がいる境内が一瞬にして静寂に包まれる。聞こえるのは風の音だけ。シャリシャリと砂を踏む音が近づいてくる。あ、阿闍梨さまがいらっしゃったんだ。

 ご祈祷が始まった。人々の幸せを祈る言葉や、般若心経や様々な諸尊の真言が境内に響き渡る。その声は山間をうねりながら吹き抜ける風のようだ。その後、一列に並び、跪いてお加持を待つ私たちの元へといらっしゃり、

 「ナーマクサーマンダー バーサラナン…」

と囁くように唱えながらお念珠で頭と両肩に触れられた。ゾワっ、鳥肌がたつ。


 ブオーブオーと法螺貝の音。どこからともなく「お発ちだっ!」と声が上がる。いよいよ出発だ。

 先頭に阿闍梨さまと百日回峰行中の行者さまお2人。その周りを比叡山のお坊さま方が歩き、先祖代々阿闍梨さまをお守りしてきた息障講社(そくせきこうしゃ)と呼ばれる支援者の方たちが後ろにつく。さらに山伏姿の法螺貝隊が阿闍梨がいらっしゃった事を告げるため、法螺貝の音を響かせながら外周を固めてゆく。その後ろからお遍路姿のような全身白装束の私たち随喜者が数十名から時として100名近くの大集団で1日かけて京都の所定の場所で参拝を行うのだ。なんとも不思議な光景。

 この日、京都中を疾風のごとく走りゆく阿闍梨さまに朝5時から夜10時まで全力疾走で必死について行くことになる。あらゆる祠、お寺、神社、ご信者さん達の家で手を合わせ、お経を唱えながら、時にはバスが行き交う大通りを、時には猫が通るような名もなき小さな道を駆け抜けた。阿闍梨さまたちは、未明に出発して比叡山での回峰をひと通り済ませ、比叡山と京都市中との結界でもある赤山禅院に下りて来られる。そして赤山禅院から、随喜者が合流し、粟田神社(青蓮院)―真如堂―八坂神社―庚申塚―清水寺―六波羅蜜寺―因幡薬師―五条天神―神泉苑―北野天満宮(北野寺宮)―西方寺―上御霊神社(上出雲寺)―下鴨神社―河合神社を巡り、随喜者と別れた後、また比叡山に戻って行かれるのだ。その行程は約80キロにもなる。なんてこった!

 阿闍梨さまの行く道々には多くの人々がお加持を待っていらっしゃって、足もとに跪いて

 「おおきに、ありがとうございます」

と感謝しておられた。その光景はずっと昔から何も変わらないのだろう。ほんとうに、京都は凄まじいところだ。事情を知らない観光客たちは、真っ白な集団が必死の形相で街中を走り抜けるのを、ある人は興味深そうに、またある人はお化けでも通り過ぎたかのような顔をして見ていた。ちなみに一同白装束なのは、阿闍梨さまが千日回峰行を行う時の格好、考えかたに基づいて私達もそれに従っているからだ。白は汚れなき色であり、また、回峰行者は行が半ばで挫折するときは自ら生命を断たなければならないという厳しい掟があるため、つねに死装束をまとっているとも言われている。

 私は切り廻りに参加出来ると決まってから、まずは真っ白い服を揃えるところから始めなければならなかった。お遍路さん用の白装束とお念珠、そして河原町の靴屋で白いスニーカーを購入した。この靴屋のお姉さんが仏教系の大学を卒業したとのことで、私が切り廻りに参加すると聞くと飛び上がるほど喜んで、防水スプレーをサービスしてくれたり、なんだかんだと話が弾み、すっかり打ち解けてしまった。いやぁ、やっぱり〝みやこびと〟は違うねぇ。

 観光客で溢れかえり、お土産物屋が連なる清水寺の参道を駆け上がるとき、それまで営業スマイルで中国人相手に商売をしていた店の人々がさっさとお客を放ったらかしにして店の外へと飛び出し、地面に深く頭を垂れて一心に祈りを捧げていたのを見て、ここが単なる観光スポットではなく、真の聖域だったことをガツンという衝撃と共に思い出した。祈りを捧げる彼らの姿が遠く平安時代の人々の姿に重なり、いつの間にか私の心は平安京へとタイムスリップしていたのだった。途中、ただの一般人の私にまで親切にお接待として飲み物や食べ物を下さったご信者さん達の篤い信仰心に心打たれた。


 今回の切り廻り参加は 、法螺貝の先生と彼に私を紹介して下さった方の手引き無しには不可能だった。その法螺貝の先生が切り廻り前日こんなことを仰っていた。

 「お釈迦さまの前世のお姿である常不軽菩薩さんという方は、側から見れば、まるで能無しのように全ての命に手を合わせ、お祈りしていました。花や鳥、乞食にまで手を合わせていたんですね。まわりは彼を馬鹿にしたけれど、この本当の慈悲の心が来世で仏陀になる基礎を作ったんです。千日回峰行は凄まじい荒業で、怖いようにも見えるけど、実はこの一切衆生への慈悲がもとになっているんですよ」そして

 「私は切り廻り中、花や鳥を見つけると、常不軽菩薩の心を持って祈っています。このように廻るのが本来であり、オススメです」と。


 そうかなるほどと思い、慣れないながら私も実践してみる事にした。ターゲットを花にしぼり、アジサイや野の花を見つける度、「ありがとう」と手を合わせてみる。全力疾走している時は心の中で感謝を伝えた。最初は小っ恥ずかしくて〝一体何やってるんだろう?〟なんて思っていたけれど、だんだんと天気が崩れ、大雨が降り、風が強まってくると、私と同じずぶ濡れになって、グニャリと傾きながらも、地に根を張って踏ん張るその姿に〝同士よ! 共に頑張ろうぞ!〟と呼びかけずにはいられなくなっていた。生きとし生ける命への感謝とともに心の中で唱えなければいけないのが、比叡山と赤山禅院で祀られている不動明王の真言

 「ナーマクサーマンダーバーサラナンセンダーマーカロシャーナーソワタヤウンタラターカンマン」だ。

 生きた不動明王として人々を救済する阿闍梨さまと、真言を唱えることで心をひとつにしようと試みる。阿闍梨さまが神社仏閣でお祈りする時にはそこの御本尊の真言や般若心経を一緒に唱えた。


 走っている時は汗をびっしょりとかき、暑くてたまらないのだが、阿闍梨さまがご信者さんの家でお加持をする〝お立ち寄り〟になると、随喜者は外で待っていなければならず、汗がひき、また、雨ざらしになり、震えがくるほど身体が冷えきった。これを何度も繰り返す。毎日30キロ、多い時には60キロ、合計地球1周分以上の距離の山道を7年かけて歩き続けている阿闍梨さまの脚力は、もちろん、常人のそれとはかけ離れている。阿闍梨さまの進むスピードはとんでもなく速く、うっかり赤信号で阿闍梨さま率いる先頭集団と切り離されると、あっと言う間に離れて見えなくなってしまうのだ。信号に捕まった後方の随喜者たちの絶望感は尋常じゃない。もう追いつけないんじゃないかと不安に駆られる。なので信号が青になった瞬間、一斉にスタートダッシュをきり、全速力で阿闍梨さまを追いかけるものだから危なくて仕方ない。特に雨で足元が悪く、マンホールや側溝に足を取られ滑って転ぶ随喜者もいた。そんな訳で足の速い人はつい先を急いでしまう。案の定、せっかちな私ともう一人背の高い女性がどんどん走って先頭集団に追いついた。と、そこへピシャリと強い口調で呼び止める人がいる。

 「ちょっと!! そこ、下がってください。私が見えないのですか」

 えぇ!?っと狼狽える私と、おそらく初参加であろう背の高い女性。

 「〝コウシャ〟なので。はやく私の後ろへ下がって」

 私たちを注意した独特の装束を身につけたその女性たちは、そう言ってフンッと怒って先へ行ってしまった。


 え〜!?〝コウシャ〟って何者!?唖然とする私たち。〝コウシャ〟と名乗るその女性には彼女を含めて5人の仲間がいて、皆白い着物に脚絆を付け、髪をしっかりと結い、唐草文様の半袈裟を着ていた。どの方も顔立ちがはっきりとしていて、気丈そうに見える。深々と頭を垂れ、外縛合掌をし、お加持を受けるその姿勢もピシッと揃っていて気品がありカッコいい。

 息障講社と呼ばれる人たちの歴史は千日回峰行と同じくらい古い。回峰行が始まった頃より先祖代々一番阿闍梨さまに近しい信者として阿闍梨さまをお守りしてきた。昔は息障講社であることは大変なステータスだったそうで、今でも彼らから滲み出るプライドの高さがそれを物語る。後日、この日息障講社をされていた方にお会いしてお話を伺う事が出来た。凛としたとても美しい方で、親切に色々と教えて下さり、感謝感激なのだが、ひとつ印象に残っている言葉がある。

 「あんた、あんまり深入りせんときな」

 ここは無知な〝アズマモン〟が深入り出来るような世界ではなさそうだ。


 切り廻り中、最初の赤山禅院、次に清水寺、西方尼寺、そして最後に河合神社でお加持を授かったのだが、回を重ねてゆくうちに、阿闍梨さまがお経を唱え始めると、カーッと全身が熱くなり、実際に火照ったようになっていった。目眩がするようで視界がグワングワンと揺れる。一体これはなんなのか。一緒に参加した随喜者の方も

 「お加持が始まると空間がグニャリと曲がる気がするし、とにかく聞き惚れてまう。もっと聞いていたい。はぁ、素敵」

 と、まるで恋する乙女のよう。この、ある種セクシュアルな興奮にも似たお加持のパワーに日本人は1000年近くもうっとりし続けてきたのだろうか。西方尼寺でお加持を授かったあと、お香水(おこうずい)と言ういい香りのするお茶をいただいた。ショットグラスのような小さなガラスの器にほんの少し注がれたお香水は、阿闍梨さま自らお香を薫きしめ、お茶に香りをつけられた、とても有難いものなのだそう。スーッと香りが体の隅々にまで染み渡る。阿闍梨さまがまとうお香の香りも、多くの人々をメロメロにさせてきた理由のひとつかもしれない。

   すっかり日も暮れ、暗闇に激しい雨が降り続く。星なんて見えるはずもないのに、私は何故か点の星空の中を銀河鉄道に乗って駆け巡っているような感覚に陥っていた。合計17時間も阿闍梨さまを追いかけて走ったので足の感覚はもうとっくにない。自分の足で走っていることを忘れ、大きな力に突き動かされるように意識の宇宙を旅した。ザーザーという雨の音ばかりが響く真っ暗な河合神社に辿り着き、最後のお加持を授かったとき、疲労困憊のなかで、これ以上ない恍惚とした心持ちになったことを忘れはしないだろう。


リタイアする人も多いなかで、何とか最後まで随喜することが出来た。この日の記憶を、私は縦1m横2mの横に長い日本画に描きおこした。迦楼羅炎を背負い、全ての世界に睨みを効かせている不動明王。その目線の先にある巨大な念珠のある赤山禅院を出発し、法螺貝の音に乗って人々を率いて進む阿闍梨さまを描く。阿闍梨さまに引きつけられ、祈る人々や木々がぐにゃりと曲がっている。これは私自身が感じた感覚だ。阿闍梨さまは蓮華笠という独特の笠を被っているが、これは修行中の身であることを表す開く前の蓮の葉をかたどったもので、絵の中でも蓮の若葉の上に足をかけているように描いた。比叡山に登った時に印象的だった滋賀の街と琵琶湖も画面中央に広がっている。宇宙的な磁力を感じた今回の切り廻り。琵琶湖の上空には宇宙が広がり、銀河が世界を巻き込んでいる。山を飛ぶように駆ける阿闍梨さまは時として白鷺に例えられるので、宇宙の力を味方につけてご修行される阿闍梨さまを白鷺の姿に託して描いた。大自然といにしえから人々の祈りの力が混じり合い、平安京から宇宙まで突き動かされた幻の1日が、また一枚の絵になった。




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