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魚仏誕生—アジアの祈りを描く旅 第10回

  • 彩蘭弥 
  • 2023年11月29日
  • 読了時間: 11分

彩蘭弥 


新たなる旅立ち、ブータン王国 


 今までだって死を想うことあったけれど、ネパールで仏画の修行をしてからというもの、これまでになく生と死について真剣に考えるようになった。ルンビニの道端に転がる腐敗のはじまった死体や、ネパールのバス転落事故で死んだ子供の水死体を見て悶々とする日々。やはり死は誰にとっても恐ろしいもの。考えれば考えるほど分からなくなり、眠れない夜を過ごした。しかし、祈りや芸術はそれを軽減させる力を持ち、心の拠り所になること出来るのだということもネパールが教えてくれた。まだチベット仏教の死生観を、美術を学びたい。次なる旅の目的地は、世界一幸せな国と名高い“ブータン王国”に決まった。世界で唯一大乗仏教が国教に定められており、70年代までは鎖国政策をとっていて、今でも外国人のブータン入国には1日200ドル〜300ドルの公定料金を払い、ガイドと運転手を雇わなければならないという希有な国だ。バックパッカーが気軽に行ける国ではない。さて、国中の人々が来世を信じているとすると、みんな死ぬのは怖くないのだろうか? 世界一幸せな人々が住んでいる“ラストシャングリラ”なんて呼ばれているけれど、その実態はどうなのだろう? そもそも幸せって何なんだ?? 沢山の疑問を抱えつつ私はブータンへと旅立った。

 ブータンへ着いて間も無く、ガイドのプブ・ツェリンさんの口から衝撃的な言葉が飛び出した。

「私たちブータン人には幸せという概念がありません」

 えぇ!? じゃああの有名な“世界一幸せな国ブータン”の話は全部嘘だってことなの!?

「幸せという概念も、逆にストレスという概念も最近西洋から持ち込まれたもので、もともとブータン人はそんなことは考えたこともなく、ただ当たり前に仏さまに祈りながら生きてきたんです」とプブさん。

「祈ること、それ自体がブータン人にとっての幸せなのです。だから“あなたは幸せですか?”という問いに多くのブータン人が“幸せです”と答えたのでしょう。ひと昔前までは殆どのブータン人は自給自足のような暮らしをしていました。つねに家族と一緒に時間を過ごし、農作物を育て、それ以外の時間はお祈りしていたんです。ところが近年首都ティンプーに働きに出る若者が増え、みんな忙しくなり、スマホの普及も急速に進んできています」

 幸せの捉え方が少しずつ変わってきているブータンの現状を知った。


祈ること、それだけで幸せ

 一日中全ての時間を祈ることだけに費やしている人、それは僧侶とお年寄り達だ。首都ティンプーにあるメモリアルチョルテンという仏塔を訪ねた時のこと。仏塔の建つ公園の片隅に座り込み、一心に「オンマニペメフン、オンマニペメフン」とマントラ(真言)を唱えるお年寄り達の姿が目に入った。聞けばブータンに老人ホームというものは存在せず、子供が昼間働いている間はこうしてお寺などに連れられて来て、日がな一日マントラを唱えるお年寄りが多いのだとか。一体なぜ? チベット仏教では死んだ魂が何度もこの世に生まれ変わってくるという輪廻転生が信じられている。この世で功徳を積み、良いことをすれば良い来世に、悪いことをすれば虫に生まれ変わったり地獄に落ちたりすると考えられているのだ。そしてマントラを唱えながら仏様に祈り捧げることは大変功徳を積めること。つまり、よい来世に生まれ変わる為、お年寄りたちは最後の大仕事をしている真っ最中というわけだ。

「マントラを唱えることは死ぬまでの楽しみなんだよ」

「今日も祈れること、それが幸せなのさ」

と彼らは言った。“死ぬまでの楽しみ”があるとは何とポジティブな響きだろうか! やるべきことがあるというのは、生き甲斐を失わないということ。彼らは皆、手の込んだ刺繍の施された赤や青の民族衣装に身を包み、手には仏教五色の法具マニ車を持ち、仏の住む極彩色の極楽浄土の絵に囲まれてひたすら祈りを捧げていた。人生のクライマックスを迎えようとしている彼らの姿は実に晴れ晴れとしていて、まるで徳の高い僧侶と向き合っているかのような気持ちを抱かせる。お寺の参拝者から差し入れをもらったり、他のお年寄りとおしゃべりしたり、居眠りしながらも一心に祈るお年寄りたち。彼らの周りには絶えずお経が響き、色が溢れ、風が吹き、お香が香り、バターランプが揺らめいていた。そこに死の悲壮感はまったくない。

 それから私はプナカ・ゾンという大変美しい僧院を訪ね、昔そこの僧侶をしていて今は還俗し、プナカの村で民宿を営んでいる方に話を聞くことが出来た。常にニコニコしていてお料理上手のプナカのおじちゃん。おじちゃんの手料理をご馳走になり、食後に“アラ”という自家製焼酎を飲みながら、カラフルな絨毯の上に車座になって話は始まった。生まれも育ちも生粋のプナカっ子。幼い頃に憧れだったプナカ・ゾンの僧侶になり、日々修行に邁進して充実した日々を過ごしていた。ところが青年になった彼はパロ出身のある女性に恋をしてしまう。ブータン仏教の僧侶は結婚や、異性と関係を持つことを厳しく禁止している。もし恋を優先するならば僧侶をやめて還俗し、二度と仏門を叩くことは許されないのだ。それどころか俗世に戻ることは仏教的にも大変な重罪とされていて、村中の悪い噂の的になるのは勿論のこと、その僧侶は家族もろとも地獄に落ちるというのだ。それでも、若き日のおじちゃんは抑えきれない恋心を優先した。僧侶を辞め、リスクを覚悟でその女性と結婚したのだ。しかし最初の女性との結婚生活は長くは続かなかった。その後新しい妻を見つけ、沢山の子供を作り、今では一家の大黒柱だ。一番年下の子供はおじちゃんが60歳の時に生まれた子供だそう。大家族に囲まれさぞ幸せだろうと思いきや、おじちゃんからは意外な言葉が出た。

「私はとても後悔しているんだ。またあの時に戻れるなら僧侶を辞めたりはしないよ。あの頃、僧院での生活は窮屈に思えて仕方なかった。でも日々のやることに追われ、縛られているのはむしろこちら(還俗後)の生活だと分かったんだ」

「死ぬのが怖いと思いますか?」と尋ねてみた。

「怖い、怖いさ。私は僧侶の身でありながら恋をするという罪を犯した。死後の来世は地獄と決まっているんだ。怖くない訳ないよ。私は後悔しているんだ。」

 生まれた時から仏教に親しんできたわけではない私にとって、地獄の恐ろしさについては正直あまりピンときていない。でも、相当の覚悟を決めて還俗し、可愛い子供や孫達に囲まれて幸せそうに暮らしているのに、後悔しているとあんなにもハッキリ言うのかとショックだった。人は恋をするものだ。恋心はそうそう簡単にコントロール出来るものではないだろう。そっと開いた一輪の蓮の花のように、この世に芽生えた恋心に従った彼をそこまでの罪人と捉えることは、私には出来なかった。

 元僧侶なだけあって、仏教的な質問には何でも答えてくれた笑顔の絶えないおじちゃん。家族を想い、真面目に働き続けてきた彼の来世は果たして地獄行きなのだろうか。


生きるのに必要なこと

 おじちゃんの家でも美味しくいただいたブータン料理。生きることの基本は食べることだ。国民全員が敬虔なチベット仏教徒であるブータンでは殺生は固く禁じられている。輪廻転生の考えから、目の前の虫や動物も前世は自分の母だったかもしれないからだ。家畜を屠ることもなければ、川魚を釣ることもない。プナカを流れる川には身の詰まった美味しそうなニジマスが沢山泳いでいるのだが、残念ながらそれが名物料理になることはないのだ。これだけ厳しく殺生を禁止しているのだから当然みんなベジタリアンだと思われることだろう。いいえ、答えはNO。実はブータン人はブータン国内で殺生はしないものの、インドから肉を輸入し、牛や豚の肉で食卓が彩られているのだ! えぇ!? それっていいのー!? 歯ごたえ抜群の牛肉と大根の煮込み、脂身たっぷりジューシーな豚肉の角煮。精進料理では一般的に禁止されているトウガラシやチーズやニンニクもふんだんに使われたブータン料理の数々。もちもちとした赤米と一緒に食べる料理は刺激的でクセになる美味しさなのだが、言ってることとやってることのギャップに首を傾げずにはいられなかった。だって、それで言うとブータン人のために動物を屠っているインド人は来世に地獄に落ちようと知ったこっちゃねぇ!ってことでしょ? それでいいのでしょうかね?


死後の世界

 いつかは、皆に等しくやってくる死。遺された家族との最後の別れの場が火葬場だ。私はこの旅でどうしても火葬場に行きたくて観光地から外れたそこに案内してもらった。故人の冥福をお祈りするための講堂に入った時、思わず「あっ!」と声が出た。そこには目を見張るほどの絢爛豪華な世界が広がっていた。エメラルドグリーンに塗られた壁全体に鮮やかな赤、青、黄、緑、白色の肌をした仏さまが隙間なく描かれている。まるであの世へ行く事を祝福するかのように咲き乱れる蓮の花の装飾。龍や獅子、鹿や象などの動物の絵や彫刻の数々。ふんわりと吊られている虹色の天蓋。その中央には青い肌をした阿閦如来がこちらへ微笑みかけていた。溢れんばかりの色の世界を、窓から差し込む朝日が優しく包み込み、まさに極楽浄土にいるかのようだ。

 火葬場の方にお話を伺ったところ、お葬式にはいくつものやるべきことがあり、ご遺体を焼く日は占星術で決められるそうだ。占いで決まった日が死後すぐの場合もあれば、1週間やそれ以上先の場合もある。それまでの間、遺族は僧侶達と共にこの極彩色の講堂でひたすらに祈り続けなければならない。そのため、火葬場には講堂と焼き場の他に台所や宿泊施設もあった。ここで残された人々はこの極楽浄土のような壁画に囲まれながら故人との思い出に浸り、死について考える日々を過ごす。人々の心に寄り添い、鼓舞するこの力強い壁画を描いた名も知らぬ仏画師の姿を、私は尊敬と憧憬の念を持って想像した。

 講堂の外には巨大な八角形の“ナット”のような形の焼き場が5つあった。内側の直径は1m強ほどしかなく、人一人が横になれるスペースはない。それもそのはず、チベット仏教では輪廻の考え方に基づいて来世で赤ちゃんとしてまた生まれ変われるよう、ご遺体を胎児の時と同じような膝を抱えた格好にするのだそうだ。その状態のご遺体を6時間から12時間程かけてじっくりと焼いてゆく。現世に心残りがあると燃え尽きるまでに時間がかかると言われている。ところで、男と女では燃え方に差があり、男は燃えやすいので薪は8束で十分だけれど、女は燃えにくいので薪は9束いるそうだ。特に子宮のあたりが燃えにくく、そんな時は男性が少しオシッコをかけると綺麗に燃え尽きるのだと教えてくれた。ほんまかいな。最後はミルクをかけて火を消し止め、サボテンやお米で出来た死神封じのまじないを置き、葬儀は終了。

 ご遺体が綺麗に焼けたら、今度はお骨の行き先を考えなければならない。しかしブータンにはお墓を作る習慣がない。一体どうするのか? ブータンの道路脇や山道や川の周りやお寺には、よく小さなオニギリのような三角錐のものが沢山置かれている。オレンジや黄色や赤にペイントされたこの可愛らしい物体は“ツァツァ”といって亡くなった方の遺骨を固めて団子状にしたものだ。遺骨が入っていない病気を治すお祈り用のものもある。ツァツァを初めて知ったのはネパールなのだが、それ以来私はツァツァが気に入って、ひとつ手元に持っているし、私も死んだら是非ツァツァにして欲しいと思うくらい好きになった。この独特の形は仏塔を模していて、高僧やお金持ちの人のように実際の仏塔を建てる代わりに作るのだそうだ。チベット圏では遺骨は川に流したり、大腿骨を仏具として再利用することもあるが、このツァツァにするというのが一般的だ。一人のご遺体から沢山のツァツァを作る事ができるので、いくつか持ち帰って家や、故人の好きだった所など思い思いの場所に置く。風雨にさらされ、年月が経つにつれて徐々にホロホロと崩れ、ついには自然に帰すことができるという仕組みだ。故人は来世を生きてゆくので、もう魂はここにはなく、遺骨に手を合わせたり、法事をして3回忌だとか7回忌だとかいうことは一切しない。同じ仏教でも死後の儀式はこうも違うものかと驚いた。

 もうひとつ、私の好きなお弔いがある。それはヒマラヤの風を受けてはためくダルシンだ。ダルは旗、シンは木の竿という意味で、故人の家から見えるところに108本のお経の書かれた旗をたて、良い来世を願う。壮大なポブジカの峡谷に霧がたちこめ、薄もやの中、ハタハタと音を立ててはためく白いダルシンは、まるで死んだ魂がお互いに会話をしているようにも見えた。ブータンでは死の痕跡が身近なところに沢山散らばっている。


 生と死にフォーカスして過ごしたブータンの旅。旅の間一貫して感じていたのは色が多い国だということだ。目の覚めるような色とりどりの民族衣装に身をつつみ、日々極彩色に彩られたお寺へのお参りを欠かさず、家の外装にも内装にも僧院と見紛うばかりの装飾を施し、最後には極楽浄土のような壁画に囲まれて焼かれてゆくブータンの人々。私はブータンの鮮やかな色彩が彼らの幸福を作り出している大きな理由のひとつなのではないかと考えた。私自身が高い幸福感をブータンで出会ったまばゆい色の世界から得ることが出来たからだ。まばゆいばかりの色、と言ってもインドやネパールで見たようなショッキングな極彩色ではなく、少し落ち着いたトーンの色みだった。仏画や寺院の障壁画もネパールのそれとは違い、パステルカラーに近いものも多く見受けられる。色とりどりでありながら、攻撃的ではなく、あくまで仏さまの慈悲深さを表現するような上品な色。この絶妙な色調のバランスが幸せを作り出しているように思えてならなかった。









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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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