彩蘭弥
これは、絵から絵へと旅するものがたり。旅する絵描き、彩蘭弥が実際に見て、感じて、ぶつかって、溶け合って、生み出した絵のおはなし。旅先では美しいもの、楽しいことに沢山出会う。でも苦しいこと、悲しい現実にも沢山直面する。安全な日本のアトリエを飛び出してまで、描きたいものは何なのかって? さぁ、スケッチブックを小脇に抱え、一緒に冒険に出かけよう。そうしたらきっと分かるはず。
はじまりの高野山
3歳で絵描きを志してからというもの、毎日絵を描き続けてきた。高校、大学と日本画を専攻して筆を動かし、気が付いたら大学4年生になっていた。そろそろ卒業制作のテーマを提出して、制作に取り掛からなければならないのに、どうもどの案も表面的で薄っぺらい感じがする。東京生まれで田舎も無く、生まれた時からマンション住まい、家の伝統というものも無いし、親族みんな無宗教。これと言ったアイデンティティというのか、拠り所のない自分に、表現者としての物足りなさを感じていた。これから絵描きとして大海原に漕ぎ出さなければならないのに、こんな根無し草のような状態で大丈夫なんだろうか?
そんな時、お世話になっているゼミの先生の企画で高野山の宿坊に泊まる事になった。初めての阿字観瞑想も、朝の礼拝や読経体験も私にとっては新鮮なことばかり。これまで芸術品として仏画や仏像を鑑賞し、あぁ美しいな、素晴らしい技術だな、なんて感動していたけれど、この時はまるで違った。目の前に聳える大日如来像から、根本大塔内の空間から、そして高野山にある全てのものから、ヌラヌラと何か異様なパワーが伝わってくるように思われた。今までに感じたことのない感覚。
私を、この一連の祈りの芸術を求める旅に駆り立てたものは実に彩り豊かで、一言で言えば衝撃的に派手だった。高野山真言宗、総本山金剛峯寺の壇上に建つ根本大塔。赤く反り返った屋根と、1階と2階の間にむっちりと白いおまんじゅうみたいなものが挟まっているように見えるのが特徴の建物。その内部が凄かった。7体の仏像と、16本の柱に描かれた仏画、8人の僧侶の像が壁に描かれていて、まるで曼荼羅の中に入り込んでしまったかのように感じられる作りになっている。そしてその一体一体、柱の一本一本が金、朱、緑青、群青、黄、橙、ピンクともう、うわーっと色の洪水なのだ!だが統一感があって、しっかりと秩序を持って立体曼荼羅の世界を体現している…。
私が持っていた、茶色くすすけた仏教のイメージは一気に吹き飛ばされた。これが日本の仏教なのか!? この、高野山のパンフレットに書いてある、弘法大師空海が伝えた密教というのは一体なんなんだ!?
日が暮れてから奥之院まで歩いて行ってみた。雨上がりだった事もあって足元がぬかるみ、三年坂で少し滑った時はギョッとしたけれど。深い闇夜のその先に、一角だけ輝く燈籠堂の温かい金色の光が見えた時、ほっと救われるような気がしたのを忘れられない。
高野山滞在中に法話を聞き、密教ではあらゆる生きとし生けるものに仏性が宿るとされていて、どんな生き物でも救われる、仏になれるのだと教わった。魂は亡くなってから49日の間に六道輪廻を彷徨い、次の何かに生まれ変わるのか、または解脱するのか決まるのだが、その魂を浄土に導いてくれるのが如来だそうだ。いきなり見たこともない姿の神さまが現れたら驚いてしまうので、亡くなった魂を安心させる為にその魂の生前の姿に似せて現れるのだという事も知った。
なるほどね。だから人間が描く仏画はみんな人間のような姿で描かれているのか。と、するならば、例えば犬が死んだら犬の姿の仏さまが、魚が死んだら魚の姿の仏さまが現れて、全ての命をお救いくださるんじゃないかな? そうじゃなきゃ人間以外の命は誰も導いてくれない事になるではないか。ならば、人ではない姿の仏画を描いて、その生き物の命を弔おう!
元々船旅や漁港が好きで、よく魚をモチーフに絵を描いていたので、魚を仏様に見立てて仏画を描くことにした。卒業制作のテーマは決まりだ。
描くのは密教の経典である金剛頂経の宇宙観を表す金剛界曼荼羅の中で、頂点に位置する5人の仏ささま、金剛界の五智如来。仏さまにはそれぞれ体の色や方角、持物や功徳などの特徴が決まっている。それを学んでゆくのがたまらなく面白いのだ。ちょっと失礼かもしれないけれど、まるでゲームをやっていて自分が使えるキャラクターや道具がどんどん増えてゆくみたいな感じ。
「この仏さまは火の属性なのか! あぁ、こっちの仏様よりは威力が弱いんだな。あ、でもこのアイテムでめちゃくちゃ強くなるのか! かっこいい〜」
私の最初の仏様との向き合い方なんてこんなもんだった。
金剛界の五智如来は、それぞれ決まった動物の上に座った姿で表現される事が多い。そこで、その動物の名前にちなんだ魚を探し、仏様として描くことにした。
大日如来のカラーは白、ポジションはセンター。法界体性智という清らかであまねく世界を照らす智慧を持っている。獅子に座していることから、中国語で獅子魚と書くミノカサゴで大日如来を表し、白いヒレで四方八方に届く太陽の光のような絶対的な力を表現した。持物の宝塔は虹色の蓮座に乗せた。
阿弥陀如来のカラーは赤。西方に座し、蓮の花を持っている。孔雀に乗っていることから、中国語で孔雀魚と書くグッピーで阿弥陀如来を表し、背景は孔雀の羽にした。赤を基調とした画面にし、山全体が蓮の花に例えられる高野山の風景をグッピーの尾に描いてゆく。
宝生如来のカラーは黄色、馬に乗り、願いを叶える如意宝珠を沢山出して衆生の願いを叶えてくれる。馬を連想させる魚と言えばウマヅラハギだ。鱗を如意宝珠で表し、南方に座す宝生如来の暖かさを黄色い画面で表現した。
阿閦如来のカラーは黒(紫)、東方に座す、象に乗っていることから、中国語で象魚と書くピラルクで表し、持物の三鈷杵を背景に描いた。全てのものごとを鏡のように映し出す大円鏡智という智恵を、鱗の部分に銀箔を貼り、磨いて鏡のようにすることで表現している。
不空成就如来のカラーは緑、北に座す。迦楼羅という鳥に似た空想上の生物に乗り、羯磨を持っている。緑色の鳥に似た魚と言えばパロットフィッシュ、つまりブダイだ。持物の羯磨を背景にびっしりと描き込み、鱗のひとつひとつに小さなブダイを描いて、千体仏の仏画などを参考に、仏教の万華鏡的な世界観を表した。
ついに、縦162cm横97cmの絵を5枚描いた大作が完成した。
苦心して描き終えた時、例えようもない高揚感に包まれた。宗教的なバックボーンが無かったからこそ、素直に仏教美術の面白さを受け入れ、自由な発想でこの絵を描けたのではないかと思う。
若き日の空海が、唐への留学に行きたくてウズウズしていたのと同じくらいの歳で、私もまた、居ても立っても居られないような心持ちだった。あぁ外の世界で学びたい!! インドで生まれてアジア各地に広がり、それぞれに独自の発展を遂げた仏教。一体どんな仏の世界があるのだろう。どんな人々が心を込めて仏教美術を作り、それに祈っているのだろう。これはアジア人として、日本人として何を表現するべきなのか自分自身を探す旅でもある。卒業すると同時に祈りの芸術を学ぶため、導かれるようにして日本を飛び出した。
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