角谷郁恵
やわらかな庭
庭は今日も新しい朝を迎え、永遠に未完のままだ。
日の光を受けた木々は、振動を繰り返し枝葉を拡張していく。
それぞれは影響しあいバランスを取り合っている。
岩は小雨の中で海原の小島にもなり、遠くそびえ立つ故郷の山々にもなる。
風が場面を転換していった。
空の色彩は多様で情緒的に溶け合い、季節は否応なく進み続け、木の葉が一ひら静かに落ちた。
月明かりの元で、庭はまだ見知らぬ景色を秘めている。
庭は絶えず衰え生まれ変わり続ける。
その美しい営みのため、自然の摂理と秩序を熟知し、人の手(用と美)を慎ましく加えなければならない。
庭は永遠に完成することのない造形、創作の目的は完成ではない。
京都・銀閣寺(東山慈照寺)。プリンのような形状の真っ白な砂盛りがある。高さ180センチほどのこの砂盛りは向月台と呼ばれ、幾何学的でモダンなプロダクトのようにそびえ立つその出で立ちから発せられる白い気品のようなものにとても驚いたのを覚えている。
かつての人々は何を想いこのような造形を現したのだろうか。調べてみると月明かりを反射させ間接的な照明としての役割、また、向月台に登り月を眺めたなど諸説言われがあり、正式なことは分からないようだ。さらに、今、私たちが見ている向月台の造形は変化をしている。向月台のことを知人に話していたところ、1950年代その方のお父様が銀閣を訪れた際の写真を見せていただいた。そこに写っていたのは130~50センチほどだろうか、今よりも背の低い向月台が写っていた。また、いくつか調べてみるとお椀をひっくり返したような形だとか、今よりも低い高さの表記も多く見られた。
向月台は今も庭師の手入れにより、定期的に形状を作り直されている。庭師の一人が向月台の山頂?に立ち、他の庭師数人が下から砂を側面にかけていく、その掛けられた砂を平たいシャベルのようなもので山頂にいる庭師が叩き固めていく、下にいる庭師も地面に近い方の側面を綺麗に叩き固めならしていく。この手入れを日々、繰り返していく中で今の高さになっていったようだ。もしかしたら、この先もどんどんと大きくなっていくかもしれないし、ある日を境に小さくなるのかもしれない。痩せ細ったり太ったりもしていくのだろうか。悠久の生き物がゆったりと呼吸するその腹の膨らみの上下を想像する。
向月台は何のために作られたのかも、定かではなく、緩やかに形を変遷させていく。
美しさは意味を越え、営みになっていく。手を入れ続けなければ失われてしまう。
庭は今日も新しく、永遠に未完のままだ。
photo : いしかわ みちこ
Kunitachi Art Center 2023
角谷郁恵個展「やわらかな庭」展示風景
会場協力 Koizumi Studio
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