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転がる石ころ日記 第10回


角谷郁恵




石を拾う






2024年4月19日(金)私は、石拾いの憧れの地、津軽にいた。どんよりと灰色、花曇りの空。まだ肌寒く、東京から持ってきたウィンドブレーカーでは少し心許ない。初めて見る津軽の海。風は強く、波も大きくうねっている。まだ見ぬ石ころに出会う嬉しさで、胸は高まっていた。


私の石拾い


初めて行く海岸にどんな石があるのかは、行ってみないとわからない。

その浜辺にどのような石ころがあるのか、まずは視界をぼんやりと広く保ちながら少し歩いてみる。

挨拶をするように。謙虚な気持ちで。

「はじめまして、こんにちは。」「今朝東京から来ました、お邪魔させていただきます。」「素敵な場所ですね。」

『ゴロゴロ、ガラガラ』

石を踏み締める音、風と波に押し引かれ石が揺れる音、それらを石たちの前向きな返答だと思うことにする。

最初に訪れた海岸には、まるで地層のコラージュのような礫岩やコントラストの効いたひび割れ模様の美しい石が集まっていた。

さらに歩みを進めていく、少しずつ足元の無数の石の中から、ふと目にとまる石が現れる。一つ、手にとってみる。

形なのか、色なのか、模様なのか、はたまた言い表せぬ現象の魅力か。

手に納め、転がしながら、角度をかえ眺める。全ての石が素晴らしい、そう頷いて、元あった場所に戻す。

歩いては立ち止まり、石を拾い、また戻す。それを繰り返していく。自然と寒さを忘れて没頭している。

結局、一つ目の浜では、憧れの津軽への気持ちの高まりと初めてみる石たちに目移りして、しまいには、自分がどうしたいのかわからない、などと一人ぶつぶつと呟いていた。



石拾いは、その土地、その場所にある石の魅力と、今日の私の心が求める石のどちらにもピントを合わせなくてはならない。

これは、あくまで私の石拾いの作法であって、人それぞれの流儀や好みがある。


着いて暫くは、その場所にある石の特徴を知ることに時間を使う。徐々にそこに集う石の個性が見えてくる。

次に今の私に必要な石を問うのだ。石の好みというのは人それぞれにある。私は丸く滑らかな石が好きだ。

だが、いつも丸石を選ぶとは限らない。その土地の持つ石の魅力に触発されて、今日の私が良いと感じる焦点が決まる。

初めから、丸くてツルツルの石を拾おう!などとイメージを持っては向かわない。どんな石があるか、行ってみて、感じて決める。何度も行ったことのある海岸でも、その日、私が心惹かれる石は毎回、違う。



二つ目の浜では、木訥としたざらざらと砂っぽい石が多かった。それはそれで素晴らしいのだが、この海岸には今の私に響く石はないかもしれない。

少しだけそんな弱気なことを考えながら歩いているとふと、青い石が目に入った。これが天然の色彩なのかと驚かされるような青色。

そうすると、同じ種類の青い石がどんどん見つかり始める。一度ピントがあってしまうとさっきまで見えていなかったものが見えてくる。よくみると、砂っぽい石の中にも青い色彩が混ざっている。石の割れた中に目の覚めるような緑青色が。そのまま岩絵具にできそうだった。

この浜で、ふわふわと浮ついた心と身体が一致した感じがあった。現実と心の焦点が合う感覚だ。これだから石拾いは楽しい。


次の浜に移動する。少し車を走らせただけで、石の種類が全く異なる浜辺になっていく。また浜辺をぼんやりと歩いてみる。三つ目の浜では繊細に重ねられた縞模様の美しい石が目に飛び込んできた。細やかな積層とそのうねりは途方もない時間と現象の重なりである。それがこんなに美しいのかと思うと、どんな芸術もかなわないのではないかと思い耽ってしまう。

心と身体が一致していると、自分の琴線に触れるものに微細に反応できるような気がする。縞模様の石の先に滑らかな淡い石ころが見えはじめた。グレーの中にいくつもの揺らぎがあり、きめ細やかなグラデーションを描く、それは今まで見たことのないほど儚げだった。

気がつくと日はだいぶ陰っていた。暗くなりはじめた海が夕日を受けて光っていた。そのキラキラと揺れる光のコントラストも石の模様のようだった。一日中石拾いに勤しんだ身体は心地よく疲れ、心は満ち足りていた。








背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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