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走ってゾウから逃げる 第6回

  • 2 日前
  • 読了時間: 9分

ゾウと戦争

大石友子


 スコータイ時代(1240年頃〜1438年)のラームカムヘーン王統治時代の碑文には、近隣の国々との騎象戦の様子や、ゾウの売買と相続、王から寵愛されたゾウなどについての記述がある。タイを含めたアジアの広い地域では、近代国家が成立する以前からゾウが戦争や物資の輸送などに用いられる一方で、人とゾウは道具的関係のみに還元することのできない親密な関係を築いてきた。


 〈ゾウの村〉に暮らすクアイの人々の祖先は、製鉄やゾウに関する高度な技術を有していたことから、クメール王朝の国家プロジェクトに携わっていたとみられる。しかし、次第にクメール王朝によるクアイの人々に対する支配と搾取が強化された。そのため、ゾウを扱うクアイの人々は、ゾウを連れて1650年頃に現在のラオス南部を経由し、権力の空白地帯であったタイ東北部スリン県周辺地域に移動したとされる。


 製鉄を行うクアイの人々はクメール領内に残ったのに対し、ゾウを扱うクアイの人々がクメール領から離れたのは、ゾウを扱うクアイの方が戦争に動員されるリスクが高かったためだと考えられる。当時の社会において、製鉄もゾウも重要な軍事資源として位置付けられていた。しかし、製鉄をする人々は武器を製造すれば役割が終わるのに対し、ゾウを扱う人々はゾウとともに戦闘に参加する必要があった。同じクアイであっても、何とともに生き、どのような技術を持っているかによって搾取の度合いが異なっていたのだ。


 ゾウと生きるクアイの人々が、現在の〈ゾウの村〉地域に移動してからも、彼らと戦争が切り離されたわけではなかった。クアイの人々は、自らのゾウとともに野生ゾウを捕獲・訓練し、売買してきた。売買されたゾウは、荷役動物として人や物資の輸送に用いられることもあれば、林業で使われたり、戦争に投入されることもあった。


 タイの歴史において最後の騎象戦による戦争となったのが、1845年にプノンペンで勃発した、カンボジアの宗主権をめぐるベトナム軍との戦争だとされている。〈ゾウの村〉ではいまも、この戦争のことが語り継がれている。


 「ある日、シャムの軍隊がやってきた。なんでも、これからクメール(カンボジア)に向かう途中で、ゾウの補給をするためにこの地域に立ち寄ったのだそうだ。シャム国軍は、可能な限り多くのゾウを購入し、クメールへと向かっていった。クアイは、またシャム国軍がゾウの補給に来ても大丈夫なように、ゾウを捕獲して訓練を行った。しかし、それから何年経っても軍がゾウを補給しに来ることはなかった。その戦争以来、西洋の武器が導入され、ゾウは使われなくなったんだ。それを僕たちは知らなかった。だから、ゾウを捕獲しすぎたんだ」


 村の人々がつい先日の出来事かのようにこの戦争のことを話すため、私は何の話かわからず困惑することが多かった。「それって何年前のこと?」ときくと、人々は「ついこないだのことさ。たった百五、六十年ほど前の話だよ」と笑った。



 私が混乱したのは、村のゾウ使いたちと話していると、しばしば戦争の話が出てくるからでもあった。かつてのように戦争でゾウが用いられることはなくなったものの、クアイの人々にとっていまも戦争は遠く離れた場所で起きている出来事ではない。


 タイには徴兵制度があり、21歳になる年に徴兵検査に合格した男性がくじ引きで赤い札を引くと、二年間の兵役を負うことになる。〈ゾウの村〉の父は、兵役に就いた際に、スリン県内の国境付近で勃発した紛争の前線に送られた。そこは、かつてクアイが野生ゾウを捕獲する森林地帯に向かう際に野営を行っていた場所であり、〈ゾウの村〉のクアイの親族が暮らす村々の近くでもあった。クアイにとってゆかりのある場所で行われた銃撃戦では、近くで戦っていた彼の仲間が一人、また一人と命を失っていった。それでも彼は、後退せずに戦闘を続けた。すると、カンボジア軍の放った砲弾が至近距離で爆発した。その瞬間、左耳に激痛が走り、彼は死を悟ったという。次に気付いたときには、病院のベッドの上に寝かされており、左耳がほとんど聞こえない状態になっていたそうだ。


 〈ゾウの村〉の父が運転する車の助手席に座って会話しているとき、彼が聞きづらそうにしている様子を見ると、私は国境での紛争のイメージに取り憑かれる。クアイが野生ゾウの捕獲を自ら禁止したのも、1960年代に勃発した国境でのタイ国軍とカンボジア国軍の軍事衝突に巻き込まれてゾウ使いやゾウが死亡したためだった。戦争は、いつも彼らのすぐそばにあり、彼らの生き方に影響を与えてきたのだ。


 私が親しくしているゾウ使いのパットさんもまた、徴兵を受けた一人だ。パットさんは、兵役期間中はヘリコプターの操縦士をしていたそうだ。ビールを飲んでいると彼はいつも、「俺はゾウからヘリコプターに乗り換え、そしてまたヘリコプターからゾウに乗り換えたんだ」と言う。パットさんにとって自分のゾウはかけがえのない大切な存在であり、一方ヘリコプターは軍が所有する乗り物にすぎないことから、ゾウとヘリコプターの間には大きな差異が存在する。それでも、両者がともに、戦争と結びついたものであり、人を乗せることによってその役割を果たしてきたというイメージの連関が喚起される。

 

 戦争とゾウのイメージの連関は、エレファント・ショーでも立ち現れる。村の観光施設では、ゾウたちの個性豊かな能力を披露するために、様々なショーが行われている。その一つであるゾウによるダーツを用いた風船割りは、ゾウがどれだけ目標に向かって的確に物を投げることができるのかを示すものだ。ある日、施設のスタッフがこのようにもらしたことがある。

 

 「ゾウにはそれぞれ異なる能力がある。その一部が戦争に向いていると感じることもある。古代の戦争のように、ゾウを前に自分の身体と剣だけで戦えと言われたら、俺は勝てる気はしないよ」

 

 このように、〈ゾウの村〉で過ごしていると、しばしばゾウやゾウ使いたちと戦争がイメージ上で結びつく。そこでの戦争とは、百年以上前のゾウが軍事資源として用いられてきた戦争だったり、クアイの人々がタイ国民として徴兵されて参加した戦争だったりした。それは、私にとって決して「今」の戦争ではない、過去の「いつか」の戦争だった。



 戦争の足音が聞こえる。私がそう感じるようになったのは、コロナ禍の非常事態宣言により、タイ北部チェンマイ県から移動できなくなったときだった。当時、北部と接するミャンマーの山間部では、ミャンマー国軍が抵抗勢力とみなしたカレンの人々の村を襲撃する事件が相次いでおり、一部の地域では空爆も行われていた。チェンマイ大学に所属するカレンの友人たちは、その様子を聞き取り、記録し、ネット記事にする活動を行っていた。彼らは、自分の親族も生き延びることができるかわからない状況のなかで、支援方法を模索していた。それを間近で見ていた私は、当時チェンマイ空港に近い飛行機の離着陸音がよく聞こえるエリアで下宿していたこともあり、「敵」に空爆されるかもしれない状況で、不安を抱えながら生活する夢を何度も見た。


 その後、〈ゾウの村〉で長期調査を行っていた2023年10月7日、パレスチナ・ガザ地区のハマスによるイスラエル攻撃が行われた。イスラエルでは、〈ゾウの村〉出身者を含むタイ人労働者が農業などに従事しており、このニュースは村でも話題となった。出稼ぎに出ていた人々の話によれば、タイ人労働者はイスラエルの設けた「壁」の近くで農作業に従事させられることが多かったという。彼らは雇用主に懇願してなんとかタイに帰国することができたものの、高額な報酬を用意するからイスラエルに戻ってくるようにと雇用者から何度も連絡を受けたそうだ。しかし、彼らは「イスラエル人が始めた戦争の責任とリスクを、タイ人である私たちが取る必要なんてない」と言い、出稼ぎ先に戻ることはなかった。


 2025年には、タイ国軍とカンボジア国軍による国境での軍事衝突が発生した。この衝突が拡大し、2026年1月の時点で両国間の戦闘はいまも継続している状況だ。〈ゾウの村〉地域も、カンボジア国軍の装備している長距離ミサイルの射程範囲に入っている。国境に近い地域では、大砲の音が聞こえることや、不審なドローンが飛んでいることもあるという。ロシアやイスラエルのドローンが、ウクライナやパレスチナ・ガザ地区の一般市民を攻撃するために使用されていることから、友人たちは怖くて眠れない夜が続くこともあると言っている。


 SNS上では、カンボジア人が書いたとみられる「タイ国軍がゾウを戦闘に投入した」という記事が拡散され、タイに対する国際社会の批判を煽ろうとする動きもあった。かつてゾウは戦争に用いられてきたたが、いまはそれが「虐待」として非難されるべきこととみなされているのは非常に興味深いことではある。しかしながら、その記事は、〈ゾウの村〉のミンモンコンというゾウの写真を使用したフェイク記事だった。ミンモンコンのゾウ使いとその家族は、使用された写真はボーイスカウトの衣装を着せたときに撮影されたものであり、ミンモンコンが戦闘に投入されたわけではないことを説明した。


 そんなゾウの位置付けの変化が反映されたフェイク記事が出回る一方で、前線で任務に就いている兵士たちは、SNSを通じて敵の爆弾によって千切れた仲間の手足や、負傷もしくは死亡した仲間の写真を投稿し、戦争の悲惨さを訴えている。それを見て、〈ゾウの村〉の人々は、もし戦線が拡大して、村も戦場となったとしたら、ゾウを連れてどこへ逃げたらよいのかと不安を抱えている。


 ゾウとともに生きるクアイの人々は、かつて戦争を逃れるために移動してきた。権力の空白地帯は、国民国家の形成過程で国境地帯となり、戦場となった。そしていま、彼らがゾウと暮らす場が戦場となる可能性はないとは言えない状況になりつつある。


 いつの時代でも、どこで誰と暮らしていようと、誰だって戦争には参加したくない。空爆やドローンに怯えながら生活したい人などいない。かけがえのない人や動物の命が一瞬で奪われてしまうような空間を好む人などいない。かつてのような権力の空白地帯が存在しない現代において、私たちが逃げ込むことができる「誰のものでもない場所」はどこにもない。そうであるならば、私たちは戦いの準備をするのではなく、差異を抱えたまま、どのようにともに生きることができるのかを真剣に考えてゆかなければならない。クアイとゾウが戦争に脅かされずに生きることのできる世界を、そして「われわれ」と「かれら」が分断されることのない世界を、私たちはいつになったら実現することができるだろうか。




*写真1:ゾウ祭りにおけるアユタヤとビルマの騎象戦の再現

*写真2:ゾウがダーツで風船を割る様子

*写真3:タイ側から見たプレアヴィヒア遺跡(タイとカンボジアの国境地帯)

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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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