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走ってゾウから逃げる 第4回

  • 大石友子
  • 8月20日
  • 読了時間: 10分

かつてここにいたゾウたちの群れ

大石友子


 ゾウの村にある観光施設の向かいに暮らすアンばあちゃんは、煤で黒くなった鍋で茹でる蚕の繭から糸を繰りながら、自宅前の舗装された道路を見つめていた。その目がとらえるのは、頻繁に行き交う農産物を輸送する大型トラックではなく、そこに今はない何かのようだった。


「泣き声が聞こえなくなったのは、いつからだったろうか」


 彼女は、手を止めて少しだけ背筋を伸ばした。耳を澄まして、何かを聞き取ろうとしている仕草だった。聞こえるのは、エレファント・スタジアムのスピーカー越しの音楽やMCの声と、近づいては遠ざかるアスファルトとタイヤのゴムが擦れる音。


「ここに森があったときには、確かに<彼ら>の声は聞こえたんだ。誰かが死んだとき、まるでそれを知らせるように、それを悲しむように、それを喜ぶように、泣き声や叫び声が聞こえた」


 そう言うと、彼女は身震いするように肩をすくめた。そして、視線を鍋の繭に戻し、再び糸を取り始めた。「それは悍(おぞ)ましかった、悍ましかった」と小さな声で呟きながら。


 鍋のなかでくるくると回る金色の美しい繭。自らが作り出した糸に身を包み、羽ばたく日を待っていたはずの蚕。いまや繭のなかに残されているのは、その身体だけ。


「森が切り開かれ、水路が埋められ、ユーカリが植えられ、道がつくられた。森を棲家としていたから、<彼ら>はずいぶん少なくなってしまったのかもしれない。人間の姿をした精霊たち。少し前まで、<彼ら>の宴を目にする人も多かったのに。豪華な食事に、楽しい踊り。いまはどうしているんだろうね。白いウサギの姿をした精霊たちも、近頃は全然見かけなくなった」


 私たちは、かつて精霊たちがよく歩いていたとされる水路があった場所–––いまはアスファルトで固められた地方道路–––を見つめた。そこを練り歩いたり、泣き声をあげたり、ときには宴を催したりする精霊たちの姿を想像する。悍ましいと恐れられながらも、親しみと懐かしさをもって気に掛けられる<彼ら>は、いったい誰なのだろう。


 それぞれ想いにふける。


 繭の糸が巻き取られると、透明な薄い膜に覆われた蚕の蛹(さなぎ)が姿を現した。アンばあちゃんは、木でできた長いスプーンでそれを取り出すと、膜を取り去って、私の方に差し出してきた。私が取らないでいると、「ん」と言って急かした。

 私は、まだ熱くて、柔らかくもすぐに破裂してしまいそうな触り心地の蛹を手にした。再び「ん」と言われて、おそるおそる口に運ぶ。変身のために液状化した蚕の身体が、生乳のような滑らかさで口内に広がる。


 ふと、視線を感じて目を上げた。道路を挟んだところにある、大きな木のかげに誰かの姿が見えた。けれど、瞬きをしてからもう一度よく見ると、そこには誰もいなかった。アンばあちゃんは、ふっと笑って「私、嘘は言ってないでしょ」と言い、自分も蛹を口に入れた。


 鍋の下で、木炭がパチっと火花を立てて崩れた。


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 タイ東北部スリン県には、三つのエスニック・グループがあるとされる。クメール、ラオ、そしてクアイ(クイ)。実際のところ、これらのグループのみならず、県内にはタイや華僑など多様な背景を持った人々が暮らしている。だが、多くの自然村*1はこれら三つのグループのうちいずれかの文化的特徴を有しているとされている。クアイの人々は、クメールやラオの人々から「熱心に精霊信仰を行う人々」として語られる。とりわけ、ゾウと暮らすクアイの人々は、研究上においてもパカムの精霊(phi-pakam)と呼ばれる、野生ゾウを捕獲した経験のある祖先の霊を信仰する人々として記述されてきた。


 クアイの日常生活において精霊は、「信仰」という言葉では捉えきれないほど、いたるところに存在する。ホストファミリーを訪ねてきた日本のテレビ局のチームがこの地域にいるはずのない白いウサギ(phi-sat)の姿を撮影したり、療養中のホストファザーが人間の内臓を喰らう霊であるピーポープ(phi-pob)に取り憑かれたり、近所のゾウ使いがゾウを移動させる際に儀礼の手順を間違えてパカムの精霊を怒らせ、ゾウが体調不良になったり、友人たちと真夜中の水田に釣りに行ったところ川の主(jao/phi-maenam)と思われる霊が目の前に現れたり、突然に、けれども確かさを伴って<彼ら>は私たちにその存在を示す。クアイの人々の言葉を借りれば、「信じている信じていないの次元ではなく、信じていようが信じていまいが目の前に立ち現れる」のだ。


 村では、日常的に精霊の話が話題に上る。度々目撃情報が報告されるのは、ピーグラスー(phi-krasue)という女性のお化けだ。ピーグラスーは真夜中に頭と内臓が身体から分離し、浮遊して人間や家畜を襲う。ピーグラスーの特徴は、頭からぶら下がっている内臓が光っていることだ。夜もゾウの様子を見たり、遠方の仕事に出かけるための準備をしたりすることも多いゾウ使いたちは、よく星とピーグラスーを見間違える。特に、森林を突っ切る道路でバイクを走らせていたときに、綺麗な星だと思って眺めていた光がピーグラスーだったという話はよく聞かれる。ピーグラスーは、遠方からものすごい速さで近づき、バイクと並走し、ゾウ使いたちを驚かせ、交通事故を引き起こそうとする。だが、ゾウ使いたちは心を冷静に保ち、ピーグラスーを振り切って家に戻る、というところまでが定番のストーリーだ。


 あまりに多くのゾウ使いがピーグラスーに関する類似した経験を持つため、私は真夜中にエレファント・ホスピタルのある森林からバイクで帰宅する際、星を見ないように心がけてきた。ピーグラスーの物語はいつも、星を見ていたらその光が近づいてきたというところから始まるからだ。


 このように村では、神さま的なものからお化け的なものまで、精霊(phi)という言葉で語られている。けれども、不思議なことに、彼らがする精霊に関する様々な話のなかで、ゾウの姿をした精霊の話はとても少ない。そして、ゾウが精霊と会話をしていると思われる場面に立ち会ったという話や、亡くなったゾウが親しい人間の夢に出てくるという話は、誰もが経験することとして語られる一方で、ゾウの姿をした精霊に遭遇したという話は、まことしやかな話として語られる。


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 かつて「ゾウの村」とは、森に囲まれた二つの村のことを指していた。いまは人口が増え、インフラも整備されたことから、かつての二つの村の周りには、派生してできたいくつもの村がある。そうした村々をつなぐ道路の一つに、ゾウに関する霊が目撃される場所がある。それは、ワット・パー・アジアン(wat-pa-ajiang)と呼ばれる寺院の近くを通る道路だ。


 ワット・パー・アジアンは、1973年に近隣の仏教寺院から独立した僧侶が建てた寺院だ。1996年には、これまでこの地域にはなかった「ゾウの墓(susan-chang)」が設けられた。かつて、クアイの人々はゾウを周辺の豊かな森林に放していた。そのため、ゾウの多くは森林で死を迎え、その遺体は野生動物の食糧となり、骨は菌によってゆっくりと分解され、土に還っていった。しかし、森林が伐採され、ゾウを家の敷地内で飼育しなければならなくなったことで、ゾウの遺体を処理する必要性が生じた。そこで、ワット・パー・アジアンは、一度ゾウの遺体を土のなかに埋葬した後、数年後に掘り出した骨を供養するために「ゾウの墓」を作った。元々その土地は精霊が出る場所として知られていたことに加え、墓ができたことも影響したのか、寺院の敷地や隣接する道路でゾウの霊が目撃されるようになった。


 ある日、隣村で開かれた宴に参加した私は、ゾウ使いのドンさんが運転するバイクで帰路についた。隣村からの道は直線で、夜に凶暴化する犬もいないため、運転しやすい。けれど、森が近いためか、夜中は霧が出ることもある。その日も、ライトをつけても10メートル先も見渡せないほど濃い霧が出ていた。怖いのは、遠方の仕事に出かけるためにゾウを乗せて走る10トントラックとぶつかることだ。私たちは目を凝らし、耳を澄ませながら遅めのスピードで道を進んだ。


 霧のなかに大きな影があるように感じたそのとき、ドンさんがブレーキをかけた。じっと見ると、いくつもの大きな影が蠢いていた。その影の大群は、道路を横断しながら私たちの前を横切り、ワット・パー・アジアンを囲む森へと入っていく。

 たくさんの足音が聞こえた。静かに、けれども木の枝や落ち葉をしっかりと踏みしめながら進んでいく音。それは、私たちが聞き慣れた音だった。ゾウたちが歩くときの音だ。


「……見えてる?」


 ドンさんが振り返らずに、囁くような声で言った。


「見えてる。夢のなかにいるみたい」


 同じように、ひそひそ話をするボリュームで返事をした。

 大きな声を出したら、まずいことになるような気がしたのだ。それは、そのゾウの大群がこちらに向かってくるということかもしれないし、いま見ている不可解な現象が幻想のように消えてしまうということかもしれない。いずれにせよ、それは避けるべきことのように思われた。


 しばらく、霧のなかに見えるぼんやりとしたゾウたちの大行進を眺めていた。はっきりとは見えない。見ようとすればするほど、見えなくなるように感じた。長い牙を持ったオスのゾウ。ふくよかなメスのゾウ。小さい影は、仔ゾウだろうか。道を挟んで左は水田、右は森という真っ暗な空間に、バイクのライトがスポットライトのように照らし出す不思議な景色。それは、バイクのライトに照らされた場所だけに存在することが可能となった、異なる世界線の欠片のようだった。


 どれくらいの時が経ったのかはわからない。かなり長い時間その大群が過ぎ去るのを待ったような気もするし、一瞬の出来事だったようにも思われる。気がつくと、霧は少し薄くなっていた。先ほどよりも視界が開けたことで、村の端にある学校や保健センターの照明の光が見えた。ドンさんは大袈裟にぶるっと身震いをしてから、「帰ろう」と言った。ドンさんにホストファミリーの家まで送ってもらい、私は自室でドンさんがバイクを停め、家に入る音を聞いた。


 それから数年間、私たちがそのときの出来事について語り合うことはなかった。先日、知人から、ゾウの幽霊に関する情報提供の依頼を受け、ドンさんに電話をした際にはじめて私たちは真夜中のゾウの大群との遭遇について話をした。あれが一体何だったのかはわからない。この地域に、野生ゾウは生息しておらず、ゾウの群れがいるはずはない。あの日、ゾウとゾウ使いが集まるイベントもなかった。だが、私たちのように、いるはずのないゾウの大群を見たり、たくさんのゾウの鳴き声や足音を聞いたという発言をする人は稀にいる。けれども、私たちを含めて、ほとんどの人はそのことを詳細に語ろうとはしない。それは、言葉にすることが難しい出来事だった。


 クアイの人々が日常的に使用するクアイ語には文字がないため、何世紀も前にクアイの人々がゾウとどのような暮らしをしていたのか、わかっていることは多くない。だが、ある文献によれば、かつてこの地域には多くの野生のゾウが生息していたという。大国の支配を逃れてゾウとともに移動してきたクアイの人々は、この地域が野生ゾウの捕獲に適していたため、定住を決めたのだそうだ。この説の信憑性は定かではないが、私たちが出会ったゾウの大群は、その時代に生きていたゾウたちだったのかもしれない。


 かつてここにいたゾウたちの群れ。


 宴、酒、霧、森、寺院、バイクのライト。


 何かがきっかけで、私たちは出会うはずのないものたちと遭遇してしまったのかもしれない。夢以上に不可解で、言葉にすると信じ難いような出来事。きっとそれを経験したことのある人にしかわからない。


 日本で広く行われているお盆では、毎年夏に祖先の霊を迎え、家で供養をする。クアイの人々も、センドーンター(seandonta)と呼ばれる儀礼で、先祖の霊を家に迎えて供養する。お盆でも、センドーンターでも、今を生きる残された人々が、亡くなった具体的な誰かに家に帰ってきてもらえるよう、迎え火をしたり、食事を用意したり、様々なもてなしをする。けれど、そうした帰る場所をもう持たない霊たちは、もしかしたら今を生きる人の前に姿を見せる機会を探しているのかもしれない。


 かつてここにいた人々やゾウに想いを馳せる。それは、私たちが出会うことのないかつてを生きた人々や動物の生が、確かに私たちの生とつながっていることを思い出させてくれる。悍ましく、不気味で、けれども親しみを感じる、かつてここにあった生は、いつも私たちのすぐそばにあるのだ。


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*1行政的な区分に基づく行政村とは別に、人々が生活を営むなかで形成された村落のこと。


*写真1:かつて水路だった道

*写真2:川の主を見かけた日の何か

*写真3:クアイの<かつて>を想起させる写真



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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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