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走ってゾウから逃げる 第2回

テントからゾウを覗いて

大石友子


 ワゥ!グルルルルル……。


 ゾウ使いの家の敷地を守るイヌに手を差し出して挨拶をしてから、家屋の裏にあるゾウ舎へと向かう。木造の質素な平家には、タイ前国王の写真や、観光施設で煌びやかな衣装を纏ったゾウとゾウ使いの写真が飾られている。屋外にある焜炉の木炭はまだ燃えており、近くにバイクが二台停めてあることから、ゾウ使い夫婦が敷地内にいることがわかる。


 数年前までこの地域のゾウは、日光や雨風に晒されていることが多かった。だが、コロナ禍にゾウ使いたちがソーシャルメディアを用いてゾウとの暮らしについてライブ配信をし始めると、ゾウのファンたちからゾウ舎を建てて欲しいと寄付金が寄せられるようになった。今では、ほぼすべてのゾウが頑丈な柱に支えられた屋根のあるゾウ舎で暮らしている。


 家屋の影からゾウ舎を覗くと、太くどっしりとした牙を持つプーカムスーンという名前のオスゾウが、耳を大きく広げてじっとこちらを見ていた。これはゾウが警戒している時の体勢であり、不用意に近づくと攻撃される可能性が高い。ゾウは一歩が大きいため意外と足がはやく、一瞬で近づいて相手を鼻で地面に叩きつけたり、突き飛ばしたり、牙で突き上げたりする。そのため、まずは自分がゾウの届かない位置にいるかどうかを確認することが重要だ。


 緊張しながら、ゾウ舎の周りの雑木林を見渡す。見通しが良くないため移動すると、プーカムスーンも身体の向きを変える。少しでも近付くと、鼻で小石や食べ残した牧草の茎を投げつけてくる。もう帰りたい。親しくないゾウと一対一で向き合うのは、孤独だ。ゾウに対して自分がいかに脆弱な存在であるかを思い知らされる。


「こっちだよ、こっち」


 声がする方へ向かうと、そこには紺色のテントがあった。簡易に設置できる一人用のものだ。プーカムスーンの方を向いた出入り口からゾウ使いのレンさんが顔を出していた。私が両掌を合わせて挨拶をすると、レンさんと奥さんは、よっこらしょといった風情でテントから出てきた。頼まれていたプーカムスーン用の医薬品を渡しながら、用法と用量について説明した。


 何をしていたのかと訊くと、二人はプーカムスーンを見ていたのだと言う。私は、なぜわざわざテントを張ってまでそんなことをしているのかと首を傾げた。家からでも少し覗けばプーカムスーンは見えるはずだし、何か起きた時は物音なども聞こえるはずだ。


「いやぁ、プーカムスーンがいつもは触らない鎖をいじったり、気にかけたりしている様子だから気になってさ。気になることがあったときは、いつもこうやってテントを張ってこっそり観察するんだ」


 そうは言っても、レンさんは十年以上ずっとプーカムスーンの世話をしてきたはずだ。


「だってヤツのことを知りたいじゃないか。何をしているのか、どうしたのか知りたいんだよ」


 プーカムスーンは私への興味を失ったようで、レンさんが投げ入れたサトウキビをバキバキと音を立てながら食べ始めた。



 クアイのゾウ使いたちは、ゾウのことを完璧に理解することは不可能だという考え方をとても大切にしている。タイの飼育下にあるゾウは、成長すると身長二メートル以上、体重は三トン以上になることが多い。人間の何倍もある身体を持つ他者を前にしたとき、自分がその他者のことを完璧に理解出来るという誤解は命に関わる重大な事故につながりかねない。致命的になり得る誤解を生み出さないためには、ゾウがわからなさを持った他者であり、彼らの行動は私たちの想像の域を超える可能性があることを常に意識する必要がある。


 ゾウ使いたちがよく言うのは、人間が足元にいるアリの存在に気付かずに踏み潰してしまうように、ゾウもまた彼らにとっては小さな人間の存在に気付かずに踏み潰してしまうこともあるということだ。身体が異なれば、周囲の生物種やモノも異なる存在として立ち現れる。私たちにとってのアリと同様に、ゾウにとって私たち人間は気を付けなければ命を奪ってしまうような些細な存在なのかもしれない。実際、私はゾウの観察をしている際に、通りかかったゾウと壁の間に挟まれそうになったことが何度もある。ゾウが来る前に移動したり、自分の存在をアピールしたり、屈んでゾウの足の間を潜って抜け出したりしなければ、文字通り潰されていただろう。

 

 身体が異なるがゆえに生じるパースペクティヴの差異については、文化人類学者ヴィヴェイロス・デ・カストロによるアメリカ大陸先住民のパースペクティヴィズムの議論が知られている。そこでは動物など多様な存在は自らを主体である「人間」として見るものの、身体の差異があるため指示対象が異なるとされる。例えば、人間にとってのマニオク酒は発酵酒だが、ジャガーにとってのマニオク酒は人間の血だという事態が生じるのだ。クアイのゾウ使いたちによる人間にとってのアリとゾウにとっての人間の対比はこれと類似しているように思われる。だが、ゾウと日常的に接するゾウ使いたちは、自分たちの見方が人間中心主義的であることを認識している。彼らは、人間にとってのアリとゾウにとっての人間という対比を用いてゾウの世界を想像するものの、実際にゾウにとってあらゆるものがどのような存在なのかはわからないと言う。つまり、自分たちの語りはあくまで人間=クアイを中心とした見方でしかないことを彼らはよく理解している。

 

 だからこそ、ゾウ使いたちはゾウにとっての世界を想像しながらも、ゾウが実際に感じていることはわからないし、完璧に理解することは出来ないという前提に立つことを大切にしている。



 ゾウに関して理解出来ないことやわからないことが数多く存在することは、クアイのゾウ使いたちの好奇心を掻き立てることでもある。ゾウ使いたちは、ゾウの身体に関する「科学的事実」についてよく獣医師に尋ねている。ゾウの鼻の筋肉の繊維は何本くらいある? ゾウの聴力だと何キロ先の音まで聞き取れる? ゾウの消化器官ってどうなってる? ときには、獣医師にも答えられない質問が出ることもある。彼らが熱心に質問をするのは、上の世代のゾウ使いから受け継いだ知識や、実践を通じて経験的に知っているものとは異なるゾウの姿を知りたいからである。彼らのゾウへの関心は尽きることがない。


 ただし、彼らが知りたいゾウは、「種」としてのゾウではない。彼らが知りたいのは、目の前にいる、自分の家族の一員としてのゾウだ。決して血縁関係にはないけれど、場合によっては自分の親やパートナーよりも長い時間をともに生きる、個別具体的な存在としてのゾウなのだ。レンさん夫婦に限らず、ゾウ使いたちが自分のゾウのことを知りたいと言って観察したり、実験したりする様子は、この地域ではよく見かける光景だ。


 ゾウへの好奇心は、ゾウに関わる職業に就いている人々にも伝染するようだ。レンさんがプーカムスーンの不可解な行動について探るためにテントから覗いている様子を見て、エレファント・ホスピタルのスタッフたちがゾウの行動を観察するためにキャンプをしようと言い出した。獣医師や栄養士は、ゾウが森で過ごす際に、何をしているのか知りたいのだと主張した。ちょうどその頃、タイでもコロナ禍のレジャーとしてキャンプが流行していたこともあり、テントやキャンプ用品はネット通販ですぐに揃えることができた。ホスピタルで調査をしていた私も含めた数名で、私たちが親しくしている親子ゾウのタックとトゥックとともに森の中の川辺で一晩を過ごすことになった。


 キャンプ当日、夕食にバーベキューを済ませ、歌い踊ってから、私たちは男女に分かれてテントに入った。ライトを消すと、はじめは真っ暗で何も見えなかったものの、目が慣れてくると星を映す川面や、暗闇を纏った森、月明かりに照らされた樹上の鳥が姿を現した。


 私と見習い獣医師のファーイは、テントの出入り口からそっとタックとトゥックのいる方を覗いた。二頭はたまに耳をパタパタとさせながら、うつらうつらとしていた。しばらくすると、トゥックが芝生の上に身体を倒した。そして、タックもすぐ近くで横になり、目を閉じて寝始めた。ゾウと一緒に暮らしていても、成長したゾウが眠りにつく瞬間はなかなか見ることが出来ない。ゾウたちは物音や光に敏感なため、家の灯りが消えて、ゾウ使いたちが寝静まる頃に寝付くことが多いためだ。


 寄り添って眠る二頭のゾウのお腹が上下するのを見ながら、多幸感に包まれて私とファーイは眠りについた。ゾウたちが寝入る珍しい瞬間を見ることが出来た。だからと言って私たちのゾウに関する知識が増えたわけでもなければ、ゾウに対する理解が深まったというわけでもない。けれども、ゾウ使いたちが、テントを張ってまでゾウのことを観察したくなる気持ちが少しだけわかったような気がした。だって、ゾウのことを完璧に理解することは不可能だとしても、目の前のゾウたちのことを知りたいから。何をしているのか、どうしたのか知りたいから。




*写真1:耳を立ててこちらの様子を伺っているゾウ

*写真2:ゾウの口内をチェックするゾウ使い

*写真3:川辺でタックとトゥックを観察する私たち


*参照文献

Viveiros de Castro, Eduardo. 1998. Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism. The Journal of the Royal Anthropological Institute 4(3): 469-488.

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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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