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走ってゾウから逃げる 第5回

  • 大石友子
  • 4 日前
  • 読了時間: 7分

ゾウの糞ときのこの出会い

大石友子


 文化人類学における、人間と多様な生物種の絡まり合いを記述する新たな実践「マルチスピーシーズ民族誌」の必読書である『マツタケ』で、アナ・チンはこのようなことを言っている。


 「突如として世界が崩壊したら、どうするか? わたしなら森に散歩に出かけるにちがいない。運がよければ、キノコを見つけることができるはずだ。キノコは自分らしさへと、わたしを引きもどしてくれる……キノコの、突然、思いがけないところにひょっこりと出現している様が心地よいのだ」[チン 2019;3-4]

 

 読書会のためにこの本を久々に開いて、私は〈ゾウの村〉で過ごした心ときめく時間を思い出した。

 

 きのこ探し。それは、私が〈ゾウの村〉における長期調査で興じたことの一つだった。

 

 ゾウの村では、各家庭の敷地内でゾウが飼育されている。ほとんどの場合、家の裏や横にコンクリートや鉄製の頑丈な柱とトタン屋根で作られたゾウ舎があり、人間とゾウは密接した空間で生活をしている。

 

 ゾウはその大きな身体を支えるために、一日に体重の5%から10%程度の食糧を摂取する。そして、その食糧のほとんどは分解されないまま出てくる。つまり、ほぼ食べた分の糞が排出される。

 

 かつて東南アジアの広い地域で、ゾウは森林で放し飼いにされていた。〈ゾウの村〉でも、1980年代頃までは、ゾウを森林に放す飼育方法が一般的だった。その頃のゾウの糞は、植物の種子を森林のいたるところへと運ぶ役割を担っていた。しかし、森林が伐採され、ユーカリ林に変わるなかで、ゾウの糞はそうした役割を失うこととなった。

 

 ゾウ舎で排出された糞は種子を運ぶことはなく、なんの役割も担わない。そんなゾウの糞をどのように処理するかが、〈ゾウの村〉の地域問題となっている。その解決のために、観光開発プロジェクトでは、ゾウの糞を材料として紙を作る小さな製紙工場を設置した。近隣のゾウ舎から集めた糞を洗浄し、繊維状にして、紙漉きをする。ゾウの糞を足で踏みながら洗う工程は、観光客に人気のアクティビティとなっている。無償の糞から紙を作り、その紙を土産物へと加工することで価値を生み出す。ゾウのうんちペーパーを使用した土産物は、このプロジェクトを代表する人気商品だ。

 

 だが、この地域には300頭以上のゾウがいる。それだけ多くのゾウから排出される糞の総量に比べれば、製紙場で使用する糞の量などたかがしれている。多くの家のゾウ舎や村のゴミ捨て場には、ゾウの糞が山積みになっている。ゾウの糞を燃やして処理しようとしたところ、火事になってしまった家もある。

 

 そんなゾウの糞はきのこと出会う。


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 その日、私は近所のおばあさんたちに誘われて、きのこ狩りに出かけた。ホストマザーから借りた竹編みのかごを持ち、おばあさんの運転するバイクで、おばあさんたちが目星をつけていた場所に降り立った。

 

 そこは、森林の一角だった。ユーカリ植樹のためにフタバガキが伐採され、この地域の森林面積は縮小したとされている。けれども、私にとって森林は、案内役がいなければ出られなくなりそうなほど広大だ。木々で太陽が見えず、近隣に山などの目印もないため、長く留まっていると方向感覚を失いそうになる。きのこ狩りの際、おばあさんたちは雑談をしながら、私がどこかへ行ってしまわないように見張っている。

 

 〈ゾウの村〉のきのこ狩りは、アナ・チンが描写したような知識と経験を駆使したマツタケ狩りとは大きく異なる。その季節になれば、きのこはそこかしこに生えてくる。本来であればきのこの種類を見極めて、毒性のあるものは避けなければならない。だが、私にはきのこの違いがわからない。なぜなら、毒性のあるきのこにはほとんど出会わないからだ。ホストマザーが調理する際に仕分けをするため、そこかしこにあるきのこを採ってカゴに入れる。

 

 きのこ狩りの楽しさは、一つ一つのきのこを採ることよりも、竹編みのかごが無数のきのこでいっぱいになっていく過程にある。きのこは日本のスーパーで売られている椎茸よりも、傘の部分が薄く、柄も細い。そのきのこが集まると、採った感で心が満たされる。採った量が大事なのは、きのこはその日の夕食の一品になるためだ。きのこをかごにいれる度に、ケーンヘット(keang-hed)と呼ばれるきのことレモングラス、唐辛子、ニンニク、ホーリーバジルなどを入れて作ったスープのスパイシーで素朴な香りと味を思い出す。

 

 この名もないきのこは、『マツタケ』でアナ・チンが描き出した松茸のように採取者にとっての戦利品から、資本主義的な商品、関係を構築する贈り物へと変化してグローバルな市場を流通することはない。村と接する森林で生えて、村の住民に採取されて、家庭内で消費される。その過程における高齢女性たちのきのこ狩りは労働であり、親しい友人たちと和気藹々としながら竹編みのかごと心を満たす娯楽でもある。

 

 きのこ狩りは楽しい。けれども、私がもっと楽しさと喜びを感じるのはきのこ探しだ。そのきのこは、森林のなかではなく、村のなか、特にゾウ舎に生えている。それが、ゾウの糞に生えたきのこだ。


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 エレファント・ホスピタルの一員として地域内のゾウを飼育する家庭を回っていると、ふときのこが視界に入ることがある。ゾウ舎の片隅に積まれたゾウの糞。そこに、ひょっこりときのこが生えている。

 

 そうしたゾウの糞に生えるきのこが見つかるのは、だいたいが雨の翌日の晴れた朝だ。太陽の光を浴びて、生まれてきた喜びをその小さな体で表現するかのように、きのこはゾウの糞から飛び出している。きのこの存在により、ゾウの糞はゴミではなくなり、きのこを支える新たな役割を得る。ゾウの糞ときのこの菌糸の出会いと相互生成の結果としてのきのこを見たとき、私はその偶発的な出会いを目撃したことに喜びを感じる。

 

 ゾウ使いもまた私と同じように、ゾウの糞にきのこが生えているのを見ると、喜びを感じるらしい。

 

 ある日、比較的性格の荒いオスゾウのトーンカムが、ゾウ使いのサックさんの予期せぬタイミングでマスト期*1に入った。ゾウ使いはゾウの様子や、前年のマストの時期から、その年のマストがいつ頃来るかを予想している。マスト期はホルモンバランスの影響で攻撃的になる傾向があるため、事前に通常使用している細い鎖から、マスト期用の太い鎖に変える場合が多い。しかし、体調や食糧、気候などによってその時期がズレることがある。トーンカムは、鎖交換が間に合わなかったため、近隣のオスゾウを飼育しているゾウ使いたちが協力し合いながら、鎖の交換をすることになった。

 

 マスト期のゾウは、自分が何十年も一緒に暮らすゾウ使いのことですら覚えていない場合がある。そのため、鎖の交換に協力するゾウ使いたちは、長い槍を持って慎重に行動する。緊迫感が高まるなか、ゾウ使いたちはちらちらと周りをうかがっては何かを拾っていた。

 

 鎖交換が落ち着くと、ゾウ使いたちがポケットをあさり始めた。そこから出てきたのは、きのこだった。ゾウ使いたちは、集中しなければ事故に遭うかもしれないという状況のなかで、トーンカムのゾウ舎の周りに避けられていた糞からきのこが生えているのを見つけた。彼らはきのこを踏んでしまわないように採って、ポケットに入れていたのだ。ゾウ使いたちは、そのきのこを誇らしげに取り出して嬉しそうに眺めると、「お土産」と言って私に渡した。

 

 ゾウの糞から生えたきのこは、基本的には食べない。ゾウ舎にある糞にはゾウやイヌの尿がかかっているかもしれないからだ。私は渡されたきのこを、自室のデスクに置いて何日か眺めてから、庭に埋めた。いつかホストファミリーのゾウの糞からも、きのこが生えるかもしれない。

 

 突如として世界が崩壊するときがきたら、きっと私はこのきのこをケーンヘットにして食べるだろう。ゾウ舎でのきのこ探しは、ユーカリによって崩壊しつつあるように見えるクアイの世界において、ゾウの糞ときのこの菌糸の出会いを目撃する喜びを与えてくれる。それは、心がはずみ、胸が高鳴るひとときであり、アナ・チンが言うように「自分らしさへと、わたしを引き戻してくれる」ものなのかもしれない。少なくとも、きのこ探しのことを思い出した私は、〈ゾウの村〉で暮らし、さまざまなものに心を揺さぶられた自分へと引き戻されたのだった。


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*1:主にオスゾウが性的成熟を迎えてから生じる、ホルモンバランスが変化する期間のこと。ホルモンの影響で攻撃的になることが多い。


*写真1:ゾウのうんちペーパーで作られた土産物

*写真2:ゾウの糞から生えたきのこ

*写真3:ゾウ使いたちからもらったきのこ


*参照文献

アナ・チン 2019『マツタケ–––確定な時代を生きる術』 赤嶺淳訳 みすず書房



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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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