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私と岩波ホール 第2回


老いと映画 ~『八月の鯨』から『終りよければすべてよし』まで


小泉美奈子


 岩波ホールのお客様は次第に中高年の方が増えてゆき、一方のスタッフには若い世代もいるものの、やはり中高年向けという印象を持たれていました。配給会社も、他の映画館では上映されにくい高齢者が主役の映画を岩波ホールに紹介してくれるようになりました。


 大ヒット作『八月の鯨』(1988年公開)は、多くの方の記憶に残っていることでしょう。作中で描かれる高齢女性の二人暮らしは、当時の日本では珍しく、別荘で暮らすという設定も新鮮に受け止められました。ディナーには上質な食器を使い、パールのネックレスを身に付けるなど、老いてもおしゃれに美しく暮らそうとする主人公の二人に、憧憬の眼差しが向けられたのです。


 日本の記録映画のパイオニアである羽田澄子監督による一連の老いをテーマとした映画も、岩波ホールが封切館となりました。羽田監督の作品は、「高齢者」→「介護」→「終末期医療」へとテーマが変遷していきました。最初の『痴呆性老人の世界』(1986年公開)は、いわゆる「痴呆症」(現在の認知症)のご本人も苦しみを感じており、世界と自分の関係が崩れてゆくことを感じていると伝えています。この映画では、「説得より納得」ということが語られ、高野さんをはじめ岩波ホールのスタッフは感銘を受けました。認知症のご本人が納得する言葉で説明することが重要なのだと。たとえば、ある介護施設で入居者が「家に帰りたい」と言い出すケースが紹介されます。その場合、強引に説得するのではなくて、施設の外に出ることを認め、ヘルパーさんも後ろから付いてゆくのです。本人は外を歩くうちに疲れてきます。ヘルパーさんは頃合いを見計らい、「もう疲れたね。今日は一旦戻ろうか」と促します。そして「また今度、家に帰ろうね」と言うのです。徘徊衝動には理由がありますので、それを押し込めないことが重要であると描かれています。当時、こうした対応は画期的なものでした。


 それから4年後に公開された羽田監督の『安心して老いるために』(1990年公開)は、特別養護老人ホーム(サンビレッジ新生苑)と、岐阜県池田町の自治体としての取り組みを見つめ、介護を必要とする人を支える仕組みに迫っています。ちょうど介護保険制度の開始と同時期の公開となりました。介護を家の中に閉じ込めて家族を犠牲にするのではなく、社会の中で共に担ってゆくという動きが始まろうとしていました。スウェーデンやデンマークといった福祉先進国は介護を公共サービスに位置づけていますが、日本ではややビジネスよりになってしまった感があります。


 2000年代に入って公開された羽田監督の『終りよければすべてよし』(2006年公開)は、終末期医療をテーマにしています。看取りをおこなわない介護施設は一定数あり、最期は病院でというケースも多いのです。羽田監督の妹さんは亡くなる際に心臓マッサージを受けたそうです。心臓マッサージは肋骨が折れることもありますし、身体へ負担が大きく、家族にとってもつらいものです。この映画は、こうした羽田監督の実体験にもとづく問題意識から制作された作品です。日本での在宅や福祉施設での人生終末期のケアのすぐれた例を取り上げるとともに、オーストラリアとスウェーデンの進んだシステムも取材しています。


 私は両親に羽田監督の作品を観てもらっていました。これによって、二人とも介護を受けることに抵抗感がなくなったと言いました。また、祖母は介護保険を利用して手厚く在宅介護したのですが、介護の専門家の方の手を借りることを、私も両親も穏やかな気持ちで受け入れることができました。また、『終りよければすべてよし』の公開直後、父にガンが見つかり、すでに末期であることが分かりました。映画を観たことで、私たち家族は、心臓マッサージや人工呼吸器の装着などの延命措置を行わない選択をしました。羽田監督の一連の映画を観ることで、老いや介護、終末期医療に対して自分なりの心構えを持ち、具体的な行動へと移すことができた方は少なくないことでしょう。


 岩波ホールでは他にも、安楽死問題を扱った『ある老女の物語』(1997年公開)、血縁関係のない高齢の親と子のあたたかな関係を描く『老親』(2000年公開)、老人の一人一人に豊かな人生の物語があることを示す『森の中の淑女たち』(1993年公開)など、さまざまな高齢者映画を公開してきました。


 映画は時代を映す鏡です。高齢者映画も、その時代その時代で切り口が変わっていきます。映画を観ることで社会的介護へのアレルギーが取れ、受け入れやすくなってきたのは喜ぶべきことです。私は専門家ではありませんが、日本における高齢者問題は、アメリカやヨーロッパに比べて20年ほど遅れて顕在化するように感じます。このタイムラグが存在すること自体、『八月の鯨』を公開した1988年当時から変わっていないように思いますが、皆さまはどうお感じになっておられるでしょうか。


(聞き手:辻信行)


 

羽田澄子監督作品 お問い合わせ先:彼方舎 URL: http://kanatasha.com

                     E-mail: kanatasha0519@gmail.com

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