―本を作るようになって、手から零れ落ちたもの―
川窪彩乃
その一冊の本を手にした時、前のような心躍る気持ちを抱けなくなったのに気づいたのは、四月の上旬だった。桜が咲いていたかどうかは全く覚えていない。
私にはある大好きな作家がいる。この春、その作家が約数年ぶりにエッセイを刊行した。私は嬉々として神保町まで買いに行ったものの、どのページをどう読み込んでも「おもしろい」と思えなくなっていた。思わず、帰りの居酒屋で泣いてしまった。
この時期に、私は転職してフリーランスで書籍を編集するようになっていた。それは私の長年の夢でもあった。かつて自分を救ったような一節をうまく掬い、それを世に届ける。たしかに、上手に言ったらそう形容できる編集の仕事。しかし、そうした一節を含む書籍一冊を作るのは大変な仕事だった。
納期までに本文からカバーの隅々まで確認するのはもちろん、校了前ギリギリに「やっぱりここをこう変えたい」と言う著者の意見を、組版作業の方や製本所に「恐れ入りますが……」と伝える。時に「それはできません」と断りを入れる胃が痛むような勇気も必要になる。校正者の指摘と著者の意見を吟味する。デザイナーに本のイメージを伝える。ページが一ページ増えただけで広告に調整を入れるよう各所に伝える(本は16の倍数で構成されている)。格好よく言ったら「ハブ」だが、その責任の重さに耐えられない私はよく「申し訳ございません」と言うようになった。メールで「も」と打てば、すぐに謝ることができる。そんな謝罪ってどうなんだろうか。
加えて、街に出て本屋に立ち寄ると、まず手にする本の出版社がどこか気になるようになった。そして「何刷りか」「デザイナーは誰か」「どんなフォントか」「巻末広告は何か」「ここの句読点は必要か」などを見るようになり、内容をちらと見ては「この人、こんな本書いてくれないかな」と企画メーカーのようにもなっていた。
その大好きな作家の文章がおもしろくなくなったのではなかった。変わっていたのは私の方だった。今までの感性が失われてしまっていたのだ。それは私がもっとも恐れていたことだった。
私は生まれてこの方ずっと、感性だけを頼りに生きてきたことに気が付いた。いや、はじめから気付いていたが、それを表明することで「いつまでも童心を持つ人間ってイタイ」と思われる気がして、少し恥ずかしかった。でも、感性は私を私たらしめる大事な要素だった。たとえば、一夜にして移ろう季節のにおいやその瞬間、特定の時間に訪れる胸の高鳴りや虚しさ。一つ一つの行動に込める感謝や謝罪や祈り。思い出深い場所へのパトス、懐古の情。怒りや後悔、愛情が強いほど反芻する痛みすらも、私にとっては大切なものだった。それを言語化してくれるのが「文章」だった。でも、その感性は皮肉なことに「文章」に携われば携わるほど、筆の先が繊細に細くなっていくように失われつつあるようだった。
だから、今年の桜の開花、からっとした初夏、いい匂いの梅雨などがいつ始まり、いつ終わったのかよく覚えていない。その都度蘇る思い出たちも、今年は湿度の高い心の箱にしまわれ、忘却の果てに置き去りにされている。忘れられることは「楽」である一方、何かが違っているような気もした。
そんな折に出会ったのが、牟田都子さんの『文にあたる』[i]という本だった。申し訳ないことに出版社だけ確認してしまったが、久しぶりに深く読み込んでしまった。
牟田さんは校正者だ。本書には牟田さんが長年抱いてきた、文にあたる上での懊悩や向き合い方が綴られている。校正とは誤字脱字の確認だけでなく、内容に踏み込んで事実確認まで行う、本当に本作りになくてはならない専門家だ。しかし牟田さんは悩む。「校正がなくても本は作れる。ではなぜ、限られた時間と予算を割いて校正を入れるのか」と。
この一文は編集者(と言って良いのか分からない程度)の自分に響いた。「ここまでして頑張る必要があるのか」という、働くことへの疑問も提示されているように感じられてならなかったからだ。まさに鉛筆で疑問出しされたようだった。鉛筆に編集者は応答しなくてはならない。でも、牟田さんはヒントも添えてくれていた。
本の価値は作り手に左右される部分もありますが、読者によって決まる部分もおおいにあるのではないでしょうか。(…)誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊である。その価値を否定することは誰にもできない。著者自身さえも。年月を経て、刊行されたときに想定されていたのとは違う意味と価値を持つこともあります。本は人間よりも長く生きるのです。[ii]
かつて、大きく絶望した私は、その後の人生を大きく変える一冊の本に出会った。文字を並べただけなのに、それが言葉になり、その人の道を照らすことに感動した私は、文章に携わる仕事に就きたいと編集者を目指した。その願いは実り、「かけがえのない一冊」をもらった側から、送る側にバトンタッチしている。感性を失ってまでも、言葉の力で誰かの支えを作りたいという私の願いは叶えられている最中なのを痛感した言葉だった。
本を作る人として、今の私の状況は決して良いものではないかもしれない。
一緒に働く人の中には、私が「なぎさ」に寄稿させていただいているのを知っている方も少なからず存在する。「そんなんじゃダメだよ」と思っているかもしれない。
でも、本に助けられた人が、そのバトンを誰かに渡せるようになった。その伏線回収の道中だということ、その途中には感性が失われ、その恐怖に苛まれる過程があったことを、「いつか」のために忘れていたくないと思う。
「費やされた時間は建築物の筋交いのように見えないところで文章を強靭にする」[iii]
今までの感性を失うとともに私が費やす編集の時間が、いつか新しい感性と文章を編み出すことを信じてみたいと思っている。
[i] 牟田都子、亜紀書房、2022年。 [ii] 同上、101p。 [iii] 同上、27p。
Comentários