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生きることはしんどい 第10回

―生きづらさを表明することは、弱いことだろうか?


川窪彩乃


 ある時、自分には、他人よりも怖いものが多いことに気が付いた。

 夕方4時、特定の街、血の流れる映画、電車、人混み、検索履歴、SNS、権威、嘔吐。その中でも特に怖いのは「飛び降りてしまったらどうしよう」という自分でも不可解な発作のようなものだ。

 死にたいわけでもない。特段、苦しいこともない。嬉しいことも喜ばしいこともあふれんばかりにあるというのに、そうした強迫観念のようなものに初めて取りつかれたのは小学六年生の時だった。

 中学への入学を控えていた3月1日、なぜか突然「いつか自分も死ぬ」という事実に気が付いてしまった。それからというもの、生への執着が強くなったのか、理論は破綻しているが「自分はここから飛び降りてしまうんじゃないか」という謎の発作に襲われるようになった。(※高い所から下を見下ろした時に突然「飛び降りてしまう感覚に陥る」「吸い込まれていくような感覚を抱く」状態を、心理学用語で「虚空の呼び声」という。実際に行動化することはない。これは死への希求ではなく、生への強い肯定感・本能だとされている。[i]

 社会に揉まれれば、そのような恐怖にも決着がつくかと思っていた。でも、大人になっても時折、その発作に襲われた。頭で「大丈夫」と解釈できても、心がそれを理解するのには時間がかかった(だから脳と心は別物だと思う)。大丈夫、大丈夫、と手に爪を立てて時間が経つのを待つのだ。

 それ、今だ――。そんな声が自分の心から発せられるとき、どうしたら良いのか自分でも分からなくなった。自分のことなのに、自分で自らをコントロールできない。その時、「私」はいつも自分から最も遠い存在だ。足の裏で疼く神経が心臓まで届き、生と死を携えた身体だけがここにある。いつか死ぬのに、今は生きられていることへの寂しさのようなものが込み上がってくる。死にたくないと思えば思うほど、謎の発作は強まった。こういう時は、布団に潜るか、仕事をするかして、とにかく「生きていることを忘れよう」と努めるのだ。

 なぜ自分にはこうした意味の分からないしんどさがあるのかが分からなかった。この身心でしか生きたことがないから、その恐怖を持っていない自分に戻ることもできず、ただ受け入れるような毎日を過ごしてきたと言っても過言ではない。

 私のこの謎の発作に唯一答えてくれた書籍がある。土門蘭[ii]『死ぬまで生きる日記』[iii]という本だ。

 著者の土門さんは10歳の頃からずっと、理由なく「死にたい」という気持ちを抱き続けてきた。楽しいこともある、嬉しいこともたくさんあるはずなのに、いつも「死にたい」という気持ちに苛まれ、自らを「火星から来た人間」だと思い込むことで「地球に馴染まない」と捉え、生きてきたという。

 

「生きることに意味などない」「死ぬまでの暇つぶしでしかない」「そんなことを考えても答えなど出ない」と言われても考えるのをやめられなかった。(略)「死にたい」と思いながらも、それくらい死にたくなかったのだ。[iv]

 

もう二十五年くらいこの発作に付き合ってきたが、いまだに全然慣れない。「死にたい」という感情はいつも新鮮な強さでやってきて、その度に私は呑み込まれそうになる。そして、「もう無理だ」と思うのだ。これ以上生き延びるなんて、私にはできない。自信がない。誰かに助けてほしいのに、それが誰なのかもわからない。[v]

 

 土門さんも全く死にたくないのに、謎の「死にたさ」に襲われていた。とうとうこのしんどさを解決しようと、カウンセリングを受けることにする。カウンセラーとのやり取りで、土門さん自身の「死にたい」が徐々に変容していく様子が本書には描かれている。

 

 土門さんはカウンセラーと共に、自分の死にたい気持ちをつぶさに見つめ、それがどういう言葉に変換できるか、その気持ちにまつわる様々な過去を思い出す作業を進めていく。幸せに対する恐怖や罪悪感を発見したり、「怖がってもいい」と自分を許すことを試したりもする。そして、最終的に土門さんの「死にたい」は、「○○したい」という彼女の最たる欲求につながっていることを発見するのだ。自分とは別物だった苦しみが、実は自分を構成している一部だという翻(ひるがえ)りには、強い感銘を受けた。

 

 土門さんは実際に「うつ病」だと診断されて、薬を処方されたこともあるという。しかしそれを飲んで対処するよりも、向き合うことで自身の苦しさを解決したいと思ってきたようだ。名前のない苦しみに真摯に取り組むことに、どれほど心の労力を使っただろうと思う。ここまで自らの生きづらさを表明してくれる人がいることに、私は驚いた。苦しいことはなるべく公にせず、静かに耐えるべきだと思っていたからだ。

 

文章を書いて公表するのは、人間がなし得る最も高貴でデリケートな仕事である。ほかの人の上にかかわりを持つからだ。人の精神に働きかけるのは、真実に対し、自己自身に対し、なんと重い責任を負う仕事だろう。書くのは最大の芸術だ。時間と空間を横切る、明らかに他の芸術以上のものだ。[vi]

 

 自らの痛み・苦しみはそのままにしておけば、心に保留されたままになるだろう。ただ、少し遠くから見つめ、感触を確かめ、人に伝えられるまでに言葉にされた苦しみたちは、既に苦しみではない。自己や他人をも助け得る何かになってゆくはずなのだ。


 

 発作が起こるとき、「生きているのを忘れようとしたい」と思う。この気持ちは「死があるのを忘れたい」のにつながる。私はこれからもずっと生きていたいし、死にたくない。傲慢かもしれないか、生きていることが素晴らしいと知りたいし、人生は生きるのに値することをこの身心で証明したいと心底願っている。心の内奥からの呼び声に応じたいのだ。

 幼少期から、私は「生きる意味」を知りたかった。かつて神学部に在学しながら、学年でたった一人、卒論で一切「神」に触れず、「生きる意味」について書いてしまった。でも、考えれば考えるほど、答えが与えられることもなかった。生と死は反対ではない。どうも近い気がする。私の発作は、究極的な生命への問いなのかもしれない。



 もしこの世界が生きるに値しないほどの星だとしたら、神(超越者)は人々を生かさないだろう、と思う。きっとこの星は、どれだけ汚くて、鬱蒼としていて、怖いものだとしても、その中から美しきものを見つけるための使命が人間にはあるから人は生かされているし、生きたいのだと思う。命への問いが多い分だけ、美しくて、強くて、優しいものを見つけるセンサーがあるはずだ。そう信じることが、今の私に与えられた「意味」だとも思う。

 

 「生きたい」があるのならば、「死にたい」があってもいいはずだ。

 土門さんは「死にたい」という気持ちを通して、自らの生きざまを明らかにした。一見、形は歪(いびつ)かもしれないが、こういう人がこの世に一人でもいて、こうして表現してくれることは私にとって救いだ。私も「飛び降りたらどうしよう」という発作を通して自らの「生きたさ」を痛感した。体も心も命に順応する。それぞれに見合った形で、あなたの「生きたさ」を表明すればよい。しんどさは、もしかしたら味方かもしれない。


 

[i]Jennifer L. Hames, Jessica D. Ribeiro, April R. Smith, Thomas E. Joiner Jr,“ What is the 'call of the void'?”,ScienceDirect, An urge to jump affirms the urge to live: An empirical examination of the high place phenomenon - ScienceDirect

[ii]1985年生まれ、作家。小説『戦争と五人の女』などがある。

[iii]生きのびるブックス、2023年。

[iv]『死ぬまで生きる日記』、9頁。

[v]同書、142頁。

[vi]オディロン・ルドン著、池辺一郎訳『ルドン、私自身に』、みすず書房、43頁。

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