―文学をめぐる「生きづらさ」の旅―
川窪彩乃
生きることを「しんどい」と思うことがある。仕事が夜中まで続いたり、人間関係がうまくいかなかったり、家族を支えられずに自分を責めたり、誰かにとって容易にできることが自分にはできなかったり、レジの人に嫌な態度を取られたり、ご飯を食べる場所がトイレしかなかったり、朝起きても公式LINEからしか通知が来ていなかったり。これは、少し共感されそうな例の一端。人には言えないような共感されない深い悲嘆もある。そういうことが続くと、納豆の醤油袋が違った方向に破れ、手にべちょっと付いただけで、発狂しそうになる。
最近は「HSP(Highly Sensitive Person:繊細な人)」という言葉をよく巷で耳にする。感受性が鋭いがために、生きづらさを抱える人のことを指すらしい。「病気」には至らない生きづらさ、というのだろうか。名前のない生きづらさ。名前がないからこそ、周囲からの理解が得られず苦しくなる。しかし、名付けずとも、多かれ少なかれ人間はみな生きづらく、しんどいと思う経験はあるだろう。少なくとも、私は、しんどいと思いがちである。思いやすい傾向にある。
そんな時、私に「生きてみなよ」と誘ったのが、「本」だった。
紀尾井町の今は無き喫茶店の一角で、友人が「これ」と勧めてくれたのがきっかけだった。そこには“太宰治”と書いてあった。仄暗さと闇がひしめく雰囲気を醸し出す作家の著作が、私の生きづらさを支えてくれる存在になるとは思ってもみなかった。
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。」(『人間失格』より引用)
幸福になってしまったら、いつかそれが失われる時がやってくる。出会えば別れがあるように、生まれれば死が訪れるように。その不条理が影をひそめる幸福を前にしても、私はたじろぐ。この思いを、先に言葉にしてくれる人がいることに、シンプルに驚いた。
太宰に救われるなんて、かなり"痛い女”だったかもしれない。確かに私は、その時、正式に"痛すぎる女”だった。見えない血を流していたから仕方ないと思う。
それから、私は死なないように本を読んだ。それは必死に「生きたい」と思うあがきだったように思う。あらゆる有名な本屋に端から端まで足を運んだし、名もなき場に佇む古本屋で埃まみれになってでも読んだ。
文学のほとんどの多くは「痛み」で構成されていた。スルーされ、この世にはなかったものとされる苦しみ、辛さ、痛み。文学は、それを掬いあげている。本を読めば、いつでも誰かの悲しみに接続できた。
そうしているうちに、とてもシンプルな答えに出会った。「一人ではない」ということだった。それは私が、最もほしかった安心だった。強く、生きたいと思った。本望に気付くために出会わなければならない一節、一文が、この世に存在する。その事実は、私を救った。
「なぎさ」では、私が出会ったあらゆる本と、生きづらさ・苦しさの輪郭をなぞってみようと思う。削られ、えぐられ、逆に丸くなった心はそう思った。
苦しみからの脱却は、なかなか叶わない。私たちは、「あの時」の辛さや悲しみを抱えながら、今日も夜明けを迎え、明日を想う。むしろ悲しみは増すばかり。皮肉にも、歳を重ねるごとに、悲しみのバリエーションは豊かになっていく。
私の生きづらさや苦しみは、お金に困るものでもなければ、生死にかかわるものでもない。むしろ、幸せのなかに置かれているのにもかかわらず、抱いてしまう不幸せだ。贅沢である自分に反吐が出そうになる。
しかし、一見「恵まれている」人たちは、苦しむのすらゆるされないのだろうか。お金があるならそれ相応に「楽しく」、仕事があるならばそれに比例して「幸せ」でいる必要はない。誰がどうであれ、その人が「しんどい」なら「しんどい」のだ。私たちは、しんどくていいのだ。それだけ、頑張っているのを忘れてはいけないと思う。それだけ、「生きている」のを忘れたくないと思う。少なくとも、私は文学を通じて、そんなことを体感した。
学歴や見た目、言動や性別ではないまっさらな状態で受け入れられたい。屈託も打算もない、むきたての卵のような脆弱で繊細な生身の“私”で世界を堪能してみたい。その思いを叶えてくれる力が文学にはある気がしている。そんな文学をめぐる「生きる」についてお話してみたいと思っている。
追記
「なぎさ」に寄稿してみないか、とお声かけしてくださった島薗進先生、心より感謝申し上げます。
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