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気配を辿る日々 第7回

  • 永沢碧衣
  • 17 時間前
  • 読了時間: 3分

水の世界へ

永沢碧衣



 昔から好きで続けてきた渓流釣り。どんなに好きでも、イメージした動きと身体がうまく連動しない不器用な私は、いわば下手の横好きとして釣りを楽しんできた。けれども本当に惹かれているのは、竿を振ることそのものではなく、水の流れを感じ、その中で育まれている生命や魚の姿を見届けることなのかもしれない。彼らとの出会いは、いつもどこかで私を救い、心を澄ませてくれる。そこに魚影があると分かるだけで嬉しくなる。釣り上げて手の中に感じる重みはもちろん喜びだが、ただ水の中を悠然と泳ぐ姿を見るだけで、「ありがとう」と呟きたくなる。


 自然と交わりながら生物と出会い、その経験を通じて創作を続けてきた縁から、地元の垣根を越えて魚や釣りを愛する仲間が増えていった。ある時、「そもそも釣り竿とは何か?」という素朴な問いをきっかけに、私たちは竿と糸の起源をたどることにした。雪深い秋田の内陸では、かつて養蚕が冬場の副業として盛んだった。蚕を育てるための桑の木、拾って食べる栗の木、箪笥などに使われる桐の木。これらは川沿いの民家や畑のそばでまとめて育てられ、生活と自然が密接につながっていた。

 

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 桑や栗の木には、養蚕の原種にあたる天蚕(ヤママユガ科のクスサンやテグスサンなど)の幼虫が棲みつきやすく、蚕と似た食性をもち、葉をよく食べる。この芋虫を解剖し、繭糸をつくるための器官を水や酢水で引き延ばすと、水中で透明に変わる丈夫な長い糸になる。釣り糸の「テグス」は、この天蚕=テングスに由来すると言われている。家と川のあいだに天蚕がいる限り、大人も子どもも自ら釣り糸をつくり、枝に結んで釣り竿を仕立てることができた。竿には桐の枝が好まれ、真っ直ぐに伸びて軽く、折れてもすぐ近くの枝でつくり直せた。人によっては枝を連結して工夫し、自分だけの竿をつくったという。漫画『釣りキチ三平』でも、そうした身近な風景と遊び心が響き合いながら釣りが育まれていたことが描かれている。


 調べていくうちに「自分たちでもやってみよう」という話になり、養蚕の幼虫から同じ方法で糸を引き出してみた。天蚕ほどの強度はなかったが、確かに透明な糸を得ることができた。かつて子どもたちが川遊びをしたという場所や漫画に描かれた風景を訪ねると、今も変わらず桑・栗・桐の木が並んでいた。けれども肝心の天蚕は見つからず、農薬の影響を受けたためか、その姿はほとんど消えつつあるようだった。


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 「釣りをしたい」「魚と出会いたい」「面白いことをしたい」そんな童心に近い根源的な欲求が、人々の暮らす地形や植生と結びつき、自然の中から魚と出会うための道具を生み出していたことに気づかされた。それは秋田や山間部に限った話ではなく、どんな場所にも通じる、人間が本来もつ創造力の表れなのかもしれない。いま私は、そうした思いを出発点に、田舎や都市、年齢や時代を問わず、人の中に眠る創造性を呼び覚ますようなワークショップを開き、参加者とともに体験を重ねている。

 

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 秋を迎える頃、釣り仲間でもあり、アートワークの制作でも関わってきた映像チームとのフィールドワークで、初めて夜の川に潜る体験をした。これまで魚に出会う手段として使ってきたのは釣り竿という道具だったが、このとき私は、自ら魚の目線にまで潜り、水の世界へと身を委ねる機会を得た。


 私たちの足を縛りつけるような地上の重力とはまったく異なる、常にエネルギーが流動する水中。魚たちの領域。狩猟の世界で「自ら相手に出向く」ことには慣れてきたと思っていたが、ここでのそれはまるで別の次元の行為のようだった。水面の世界から一方的に焦がれていた彼らの生息域へ、私は静かに身体を沈めていった……。


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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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