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気配を辿る日々 第4回

いのちを動かそうとした日

永沢碧衣



狩猟や釣りに携わる際、最初に心構えとして意識しなければならないこと。それは、自らの手で解体し、食べるという行為だ。

目の前に現れた獲物を狩り、命を絶ち、食べられる形へと分解し、自らの血肉に加える。この過程には手や心を動かす負担が伴い、必ずしも気持ちの良い場面ばかりではない。そして、獲物の姿が跡形もなくなったとしても、その重みが消えることはない。



だからこそ、人は命を絶つたびに精神を保つため、作法や習慣、信仰や呪術、経済など、他の生物には見られない独自の世界観を築いてきた。その中で重圧を分散させたり、命を絶つことへの理由を見出したりする。また、他者に依頼したり、その行為の結果を購入することで、解体や殺生の過程を直接経験せずに、きれいな「旨み」だけを享受することも可能となっている。


人間の一生における膨大な命の数を考えると、その重みを実感せざるを得ない。およそ100年×365日×1〜3食という膨大な回数の中で、何気ない一日を過ごすだけでも、恐らく一個体以上の魂の器を口へ運んでいるだろう。他の生物の生命の環を断ち切り、その先にあったはずの時間を奪う。熱を奪い合い、心臓に薪をくべ続けなければ、冷たい宇宙の下では生きていけないのだ。咀嚼し、飲み込み、栄養を吸収し、新たな細胞を作り出しながら、重力を感じ、自らの体を生きながらえさせ続けることで、遥かな時間と生命の環をつなぎ続けている。



しかし現代では、命を奪う実感を持たずに一生を終える人も少なくない。純粋な生命の営みが分業化され、目の前で熱が消え、身体が冷たくなる瞬間を感じることなく、命の終わりを迎えるのだ。

 

私にとっての釣りや狩猟は、この「生」と「死」を往復する中で生まれる実感を呼び覚ます重要な行為となっている。そこには目には見えない内なる生命史の流れがあり、生命の本質に触れようとすることで、自分自身を取り戻すような感覚がある。


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ある日、猟師仲間で地元のお父さん(昨年から猟師を始めたばかりの方)と一緒に猟場へ向かっていると、突然電話が鳴った。飼っている狩猟犬の仔犬が動かなくなったという緊急の連絡だった。私たちは急いで車で引き返した。


その日は寒暖差が激しく、氷点下を下回る冷え込みの中、少し雪も降り、狩猟には良い条件だった。しかし、30分かけて戻ったお父さんの自宅で目にしたのは、母犬の足元で酷く冷えきり、硬直している仔犬の姿だった。朝の出発前までは、お父さんと母犬、仔犬の三者で元気に遊んでいたという。


近くに救急で対応できる動物病院はなく、知識も不足しているため、オンラインで相談できる獣医に問い合わせたが、診断結果が出るまでの間、できる限りのことを試すしかなかった。まず身体を温め、心臓マッサージを続けた。仔犬はまだ目も開かず、オスかメスかも分からないほど小さく、私の手のひらに収まるほどの名も無き命。その小さな身体を包み込みながら、骨の下にある心臓を目掛けて指先で強く押し続けた。

途中で鼓動が戻ったような気がして胸が高鳴ったが、それは自分たちの脈だった。必死に生き返る兆しを探しながらも、電波が混線し、40分後にやっと届いた診断の結果は、心拍停止が5分以上続くと脳死に至り、助かるのは非常に難しいという現実だった。出先だったため、いつから心肺停止の状態だったのか、もはや誰にも分からない。それまで続けていた蘇生行動をやめざるを得なかった。


飼い主のお父さんは目を真っ赤にし、「せっかく生まれてきたのに、ごめんなぁ」と呟きながら、母犬と共に冷たくなった仔犬を抱きしめた。


少し前の時間まで、私たちは他の生命を狩る側にいたはずだった。しかし今、目の前の守りたい命を守れなかったという事実に直面していた。

仔犬の身体を母犬のもとへ戻すと、母犬は声を震わせながら唸り、二度と離すまいとその身体を温め続けた。


そこにいるのに、もう戻らない。

そこにもういないのに、手放せない。


ずっとそばにいた母犬は、仔犬が戻らないことを本能で察していたのだろう。私たちが最後の望みをかけて手を尽くそうとして結局間に合わなかったことも理解しているようだった。それでも、母親として諦めきれず、身体中で叫ぶような姿が痛々しかった。



この日、狩猟に適した寒空は、ひとつの生命を容易く攫っていった。生と死。生命の営みの本質は狩猟行為に携わるだけで理解できるものではない。新しい命を産み、育てることで新たに紡がれるはずの物語もあったのだ。




「継承者」2024年作

一昨年の春に初出産した母犬とその子供たちをモデルに描いた作品。この仔犬も新たな兄弟となり、母の姿や世界を見るはずだった・・・。



同じ器官、同じ身体がそっくりそのまま残されていたとしても、もう二度と動くことがない、揺るがない現実。それと同時に、見えない世界への想いが強まっていく。この身体=器をついさっきまで動かし、飛び出していった魂の行方。見えない世界が確かに存在するのだと、強く願ってしまうのだ。

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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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