足元に染み渡っているもの
永沢碧衣
釣りや狩猟。仕事であれ遊びであれ、生き物と接するときにできるだけ目を背けてはならないことがある。その生き物の血肉や内蔵が露わになることだ。誰もが普段は喉から奥にしまい込んでいる内側の赤い世界。お互いが自らの身体を裂き開かれまいと、死のビジョンから逃れるためにバランスを保ちながら駆け引きを続けている。
ある日。阿仁マタギの師が、「山の中に赤い岩がある場所がある」と教えてくれた。現地に出向いてみると、赤い土壌が露わになっている部分があった。緑まぶしい樹々の内側、冷たい沢水を被り、濡れ色の赤が鮮やかだった。あまり見ることがない異色な光景が広がる。
でもどこかで見たことがあるような気がした。
雪面に染み渡る鮮血だ。
腹を割かれ、獲物の内側が流れ出す。暖かな熱を帯びた体液は雪を溶かしながら、地中に向けて消えていく。
雪山は春になると茶色の地面に戻り、秋の終わりの散る瞬間まで、深い緑で覆い尽くされていく。
あの日流れた鮮やかな赤い血は、もうどこにも見当たらない。
山に血が還っていく・・・。
どうやら仄暗い川底で見つけた赤い色は、酸化鉄(ベンガラ)の一種らしい。
私には地中から溢れ出る、山の血のように思えた。
またある時、日本の伝統的な浮世絵などに使用される紺青やベロ藍、プルシアンブルーとも呼ばれる青色が、実は動物の血から作り出される顔料であることを知った。元々は18世紀にドイツの錬金術師が赤色顔料を作ろうとする最中、偶然発見された色だったのだ。狩猟や食料目的に殺生した動物の残滓の鉄分(骨髄や血液などの不要物)を活用し、化学反応させることで生まれた鮮烈な青色は、世界中に広まり、今なお愛されている。動物を食べて生きる人の営みがあったからこそ、誕生した青だったのだ。
ここで新たに気がついたことがある。今ではごくあたり前に絵の具として販売されているこのプルシアンブルーは、私の作品制作において必ずと言って良いほど使用してきた色だったのだ。
生物の姿形が解かれていく命の先。熱が奪われていくような冷気を帯びる世界。空から宇宙へ、浅瀬から海底へ。久遠の先へ繋がるような、美しいグラデーションを表現できる、深くて暗い青色。自分自身の名前の由来も相まって、取り分け好きな青色として長年愛用していた。
このプルシアンブルーがまさか動物の血から生まれた青色だったとは。その由来を知る以前から、自らの感覚で素材の元と重なるようなイメージに使用していたことを知り、震えてしまった。
色の成り立ちを知ってから、実際にこの青色を自分の手で作ってみることにした。山からの授かりもの(クマの血やイノシシのレバーなど)を使い、資料を参考にしながら、手作りしていく。
動物の血を炭化させ、化学変化させて抽出していく過程で、赤→黒→白と色が変化し、最後は青色となって落ち着いた。
探し求めていた青色、山の血が行き着く先にたどり着いた気がした。
こうして最初のベンガラの赤色との出会いをきっかけに、動物の血でできた青色をはじめ、さらに土地に根ざした素材と色に目を向けるようになっていった。
素材の色にたどり着くまでの間、これまでの地元秋田の阿仁マタギとの付き合いに加え、新潟・大地の芸術祭を通して秋山郷マタギと接点を持つこととなった。
かつて秋田のマタギは山を跨ぎ、狩猟や商売や技術伝承をしながら全国を旅してまわったと言う。気に入った旅先の土地に根付いたマタギも多くいた。その中でも新潟県と長野県にまたがる秋山郷は、旅マタギの最南の地とも呼ばれる。
実際のマタギの在り方は独特で、世間一般の孤高で他を寄せ付けないマタギのイメージとは異なり、伝統形式に縛られすぎることがない。全国に散らばった旅マタギは、狩猟技術のみならず、各地の地元住民と上手にやりくりできる対話能力を兼ね備えていた。秋田から持ち出した狩猟技術や山の神への信仰をそのまま押し付けるのではなく、双方が求めているものに合わせて柔軟に取捨選択し、その土地ならではのスタイルに落とし込んで定着していったようだ。例えばマタギが熊を授かりたいと祈る時、阿仁のマタギは山の神に向けてオコゼの干物を捧げるが、秋山郷では鉄剣を捧げていたらしい。元々その土地にあった風習や宗教観に上書きするのではなく、より良く馴染む方を選び取り、互いに調和し、土地の風土に溶けていったのだ。
かつてのマタギの旅路を追いかけていくうちに、自分も同じように、秋田から新潟をはじめとした全国各地を旅するようになっていた。現代にも交流の足跡が残されている旅マタギの面白さを知ってしまった。
秋山郷での滞在制作中、作品や素材を通して、時代や土地をまたいだ繋がりの証を残したくなった。そこで、阿仁と秋山郷のマタギが授かった動物の血から抽出した青色を、同じく授かった熊の膠と混ぜて絵の具を作り、鉄剣を描くことにした。
『山からの授かりものを、再び山の神へ捧げる。』
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