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気配を辿る日々 第2回

領域に踏み込む覚悟

永沢碧衣



山での狩猟・採集行為に関わるようになってから数年。極めて現代的な日常から抜け出せない自分は、うねる山肌に足を取られてばかりである。全ての心血を野山へ捧げる歴戦の山人とは違い、身体の使い方に偏りが出て、上手に使いこなせていないことを自覚する日々が続いている。



例えば藪漕ぎにおいて。顔の高さまでかかってくる低木の枝を両手で掻き分けて進んでいくので、ついそればかりに集中してしまうことがある。両手両足を捌くのに必死で、視界が下がりっぱなしになってしまう。もちろん足元をよく観察すること自体は重要で、特に獣道や足跡のような痕跡を見つけると、その後の道筋を景色の中に見出すことに繋がる。

 

異種が混在する山という領域に分け入り、何かを得て帰るという行為は、目的に応じて普段とは異なる身体の動かし方が求められる。その一方で、極度の集中による偏りが全体を見通す視野を奪い、それが命取りにつながることもある。全神経を集中させ、少しでもアンテナを敏感に張り巡らせようとするのだが、今は疲れが先に現れてしまう。本来、山は歩くだけでもとても気持ちが良いものなのだが、同じ一日の中で自らの疲れと引き換えに得られなかったものも沢山あっただろうと想像すると、少しでも成長できたらと猛省することも多い。また挑もうとする意欲は、こういうところからも芽生えてくるのだと痛感する。

 

 

ただ稀にこうして頭の中で悶々と考え込むよりも先に、疲れも通り越して身体が動き出すことがある。猟欲が優った瞬間だ。

 


狩猟採集の行き着く先、獲物を目の前にした時。この身体のどこにそのような力が残っていたのかと驚くくらいの脚力が宿り、その日一番の冷静さを取り戻し、獲物を取り押さえるための力が湧き出てくる。緊迫した時間、ざわざわと沢水が流れるような音がたまに聞こえてくる。その正体が自らの心臓や血流の音だと気づくのは、いつも全てが終わった後だ。ある種のゾーンに入るような感覚が度々訪れるため、取り憑かれたように先へ先へと、獲物が潜む奥山や谷底に引き寄せられていくのだろう。気持ちは楽しい反面、状況としては危険な場合も多い。

 

それぞれの思考と本能により動き出す身体感覚は状況により使い分けされるべきもので、どちらかに偏り過ぎてしまうと命を落としかねない・・・と考えすぎ、いざという時に踏み込む覚悟が足りなくなってしまうのが現状である。あまり難しく考えず、無意識のうちに身体を使いこなせるようになると、もっと山肌を滑るように、軽快に歩むことができるのかもしれない。

山肌といえば、近年はよく主題となるフィールドの植生と交わる動植物を重ねた絵画を制作することが多い。その者が暮らす背景の山を纏うようなイメージだ。これは熊とのリアルな出会いや、マタギの師匠方の後ろを付いて歩いた時に気づいたことからの影響が強い。

 


以前、なぜツキノワグマがあんなにも黒い毛並みを纏うようになったのかを想像してみた。日中でも認識されにくい暗がりでの安全圏と食料場を確保し、同時に夜の闇の中でも自由に動けるようにと、物陰に染まるような暗さを獲得したのではないだろうか。(そればかりが理由ではないだろうが。)実際に熊は相手側からは見えない絶妙な位置に溶け込み、相手を観測し、先に逃げ道や攻めの立ち位置を獲得している。臆病で敏感な性格も相まって、自ら表立って姿を見せることは少ない。これらは熊の生存戦略の一つだ。

 


彼らを狩猟するマタギにも、同じような性質を見出す瞬間があった。マタギの先人に染み付いている山での立ち振る舞いを観察していると、狩猟対象を自らに憑依させて行動しているように見えることがある。実は人の皮を被った“熊”だったかのような動きを時折見せるのだ。相手に勝つために、まずは相手の立場になりきって考えること。それを体現するような身体の動かし方。毛のないヒトの身であるが故に、向かう山の環境に合わせてカスタムされた装備。普段から熊が同居する世界観を生きてきた背中が全てを物語る。

 

捕食者・被捕食者。その関係性すら状況によって変動する、絶妙なバランスの上に行われる狩猟採集行為。自らの思考と本能を相手のフィールドに適合させ、鏡合わせのような関係性を築き、時には個の特質をも柔軟に変化させる・・・。

そういった異なる者同士の結びつきに気が付いてからは、その土地ごとに活動する者たちの生き様と景色そのものがシンクロしていく情景を描き出す作品が増えていった。





「静観者」2022年作

 

世界の事情が山の奥底にまで響く。

 

どこかの凸凹道が安全のために均されようとしているとき

どこかに穴や寄せ溜まりが出現する。

 

世界のどこかに必ず現れる、

大地のシワをとらえようとする第三者。

 

皆が注目する明るい道には目をくれず、

決して安全ではない削り取られたものの蓄積に向かって

飛び出すタイミングを覗っている。

 

捲り上がった端に息を潜め、

自らもひとつの影となりながら。

 

たとえ居場所や時代やスケールが違っていても、

同じ見えない靄の中。

 

お互いに背負うものはすでに決めてある。

 

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山に入る度、生命そのものが持つ底知れない力と緩急の波に圧倒される。

同時にいつまでも固く静観しているばかりではいられないと、背中を押されている気がしてならない。

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