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気配を辿る日々 第6回

  • 永沢碧衣
  • 4 時間前
  • 読了時間: 4分

生命に惹かれるまで

永沢碧衣



 幼い頃の自分にとって、1日1日は今よりずっと長く、何もかもが純粋で無垢で、濃く鮮やかだった。当時の私は、今では考えられないほど独特な倫理観や生命観を抱いていたように思う。

 我が家ではペットを飼うことが禁止されていたため、友人がペットの話で盛り上がるたびに羨ましくて仕方なかった。田んぼの堰でドジョウやタナゴ、アブラハヤを捕まえては虫籠に水を入れて飼おうとしたり、道端で見つけたイモリを畑の土や苔を詰めたペットボトルに入れて育てようと試みたりした。だが、私の興味が別のことに移る頃には彼らは姿を消していた。後で知ったのは、父や祖父が私の知らぬ間に逃がしていたということだった。


 そうして「生き物がどこから来て、どこへ行くのか」を見届ける機会を持たないまま、命の在処や扱い方を知らずに過ごした。10歳になるまでは、本気で「虫は紙でできたからくりのようなもの」だと思っていた時期もある。虫は表情が分からず、どこを見ているのかも掴みにくい。学校や動物園で見る動物のように、目が合ったと感じる瞬間もなかった。ペットを飼う友人が語るような、人に懐く仕草や温もりを感じたこともない。ただ、その造形美に惹かれ、なんとなく好きで捕まえては机の引き出しでこっそり飼った。

 

 ある時、オケラとダンゴムシを仕切りを作って同じ引き出しで飼ってみたが、翌日には両方とも動かなくなっていた。ダンゴムシは中身がなくなり、きっとオケラが仕切りを越えて捕食したのだろう。そしてオケラもまたその場で死んでいた。当時の私は、虫にも酸素や食べ物が必要だという当たり前のことに気づいていなかったのだ。動かなくなった虫を引き出しに入れ続けた結果、いつの間にか土のような粉になっていた。


 机や押し入れにしまう紙が木から作られることや、通学路の道端で観察して落ち葉や枝が土に還ることは、知っていた。その知識と虫の最期の姿が結びつき、「虫=動く紙」という奇妙な思い込みができあがっていた。幼い私は、手元にある限られた情報をつなぎ合わせ、世界の成り立ちを勝手に補完していたのだ。


学生時代の習作「少年の空想図鑑」2013年作
学生時代の習作「少年の空想図鑑」2013年作

 

 幼い身体と精神で、自分の知覚できる範囲と時間の中で、人から教わった事実よりも、自分で掴んだ情報を元に「真実」を作り上げてしまっていた時代。その後、生物や生態、科学や哲学、宗教といった多様な学び、実験や体験、広がる人とのつながりの中で、その考えは少しずつ変わっていった。有機生命の多様さや、無機物に宿る精神性や精霊といった「見えない存在」との対話を試みる創造の世界へ、関心が移っていった。

 

 そんな折、父に誘われて春の山へサンショウウオの卵を見に行った。雪がまだ残る山道を登ると、湿った土と杉の匂いが強く漂ってくる。暗い杉林のあいだ、冷たい雪解け水を湛えた淵に、白く淡く光る卵が漂っていた。周囲では沢水が勢いよく音を立てていたが、その場所だけは時間が取り残されたように静かだった。水面には新芽を抱えた枝が影を落とし、風が通るたびにわずかに揺れた。子どもながらにその白さと水の仄暗さに惹かれ、足を踏み入れると底なし沼のように足が取られ、動けなくなった。


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 そのとき、目の前を銀色の糸のようなものがすっと横切った。卵の白さとは異なる、鋭く光る銀。網で掬おうとしたがうまくいかず、よろけた拍子に水面と顔の高さが重なった。その瞬間、銀の体に金の輪、その中の小さな闇がこちらを見ていた。イワナの稚魚と初めて目が合った瞬間だった。水の中で彼らは、ひときわ静かな宙を泳ぎ、やがて視界の奥へと消えていった。虫のときのように表情もなければ、触れ合いもできず、体温もわからない。どこから来て、どこへ向かうのかも分からない。


 それでも、その一瞬の中に、言葉にできないほどの生命の重みと、抗えない力を感じ取ってしまった。その感覚は今も、自分が生き物と向き合うときの底に、ひっそりと息づいている。

 

「村景」(部分)2019年作
「村景」(部分)2019年作

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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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