top of page

気の身体は越境する―身体のクオリアと気功メタノイア 第3回

  • 4 日前
  • 読了時間: 8分

暗黒の冥界巡りから天使の館へ

鳥飼美和子


暗黒冥界巡りのおわり

 暗黒舞踏の祖、土方巽の唱えるマントラや太鼓の音と「動くタンカ(曼陀羅)」ともいえる暗黒の舞姫・芦川羊子の動きによって行われる密教儀式の末席に参加したのはほんの半年余の時間だった。しかしその7カ月ほどの冥界巡りの日々はその後の私の人生の伏線となった。身体内の森羅万象に細いくねくね道をたどって旅をするような稽古と逆巻く荒波を被るかのような怒涛の公演という縦の糸と、不細工な踊り子さんとしてのドサ周りの旅という横の糸とで織りなされた。その暗黒織物が断ち切られたのは、喉に大きな腫物が出来て高熱を発するというヘンテコな病によってだ。それを診た医師は、戦後(もちろん第二次大戦)こんな炎症はあまり見たことがない、どんなひどい生活をしていたのか、とびっくりしていた。父母は、とんでもない生活をしていたらしい娘に、あきれはてたようだった。自分たちの育て方が間違っていたのかと思ったのかもしれない。確かに、幼い頃バレエを習うことを許していたら、私は途中で自分の舞踊の才能のなさに気づいて、暗黒には迷い込まなかったかもしれないのだから。しかし、その暗黒冥界巡りの7カ月によって「身体内に神羅万象あり」という身体感覚(クオリア)を得たのであり、それが幼い頃の蠢きダンスと通底していると感じたのであり、さらに、それが後には気功にも通じたのだから、今となっては必要な冥界巡りであったといえよう。


 体調回復までの2か月ほど、諏訪の実家で何か離人症のような気分で過ごしていた。それは暗黒から地上に戻ったことによるギャップだったのかもしれない。なんとかギリギリ卒業できるタイミングで大学に戻った。その後の何年間は暗黒後遺症のような腑抜けた日々であった。自動車の運転免許をとったり、茶道や華道を習ったり、挙句の果てにお見合いまでしたりした。つまり、ほんとは何がしたいの?と、自ら答えのない日々だったのだ。それがもう一度息を吹き返したのは、笠井叡氏の舞踏教場「天使館」を閉館前の舞踏講座に参加してからであった。笠井叡氏はオイリュトミーを学ぶために天使館を解散してドイツに行くという。その講座は天使館で踊ったことのない人を対象としていたので、私もおそるおそるそれに参加することにした。


こんばんは、天使の館

 第一日目、暗くなりかかったころ初めて国分寺の天使館の門をくぐって、笠井氏に挨拶をした。「おはようございます」すると笠井氏「こんばんは!」と応えるのだ。そうか、ここは夕方なら「こんばんは」という世界なのだ、と。目黒のアスベスト館でのあいさつは、いつでも「おはようございます」だった。芸能界では、いつでも「おはようございます」とあいさつする。暗黒舞踏アスベスト館は、後に「東北歌舞伎」と称したように芸能であることが根本だったのだろう、異端の芸能であるとしても。


 しかし、天使館は踊る哲学、踊る形而上学、地上にある天使の館、天使となる教場なのだ。天使館に通って、笠井氏の導きによって転げまわった1週間で参加者はみな熱を帯びてそれぞれ背中を押されるように動き始めた。私はもう一度踊りを始めてみたいと思った。その時ちょうど、私の大学の先輩のパートナーの山田せつ子氏が天使館の解散によって独立して稽古を始めるという。そこに参加させてもらって、4年ほど彼女のもとで即興舞踏の稽古をした。稽古場は天使館を借りてやることが多かった。白い漆喰の壁、高い天井、小さな窓、オルガンが置かれたその空間は、あの目黒のアスベスト密教空間とは別種の緊張感に満ちていた。その空間が生まれたばかりのころから、即興の舞踏を紡ぎつづけていた一人が山田せつ子氏であった。そして私は彼女を魂の姉と感じ、いつもその空間を鋭く披くようなダンスに憧れを抱きつつ、ときに強くはじかれるようにジタバタし、また時に佇んだものだった。それは暗黒舞踏の冥界巡りとは全く違うものだ。一言に前衛の舞踏と言ってもそこに立ち現れる身体のクオリアはまさに「質」を異にする。


 山田せつ子氏からその「質」について考えてみよう。彼女は土方、笠井など前衛舞踏第一世代の直弟子であり、1970年代初期から踊りはじめ、日本のコンテンポラリーダンスの先駆けとして活動する現在まで一貫して「なぜ踊るのか」という問いとともに踊ってきた、という。


 土方の稽古においては土方の言葉や提示するイメージ、芦川羊子の動きをたよりに、身体感覚で動きを紡ぎだすという方法であり、フェティッシュということもできるものであり、それ自体は思想や価値を問うものではなかった。それに対して山田氏のダンスには哲学的な問いがあり、全身で存在そのものを思考する、それがダンスだ、という。稽古でも、さまざまなイメージやテーマがあったとしても、常にその存在を問われている、という緊張感があった。「何者か、なぜここにいて、踊ろうとしているのか」という問いにさらされているようで、半端な動きは通用しない。最終的には徒手空拳でただそこに居るしかないとことになる。何も頼るものがない。何もないその時間にいかに耐えられるか、そして身体の中からリアリティーを感じる動きが自然発生するのを、ただ虚心で待つ稽古であった。また待つことと同時に、内発的な動きが立ち上がってきたら、それに集中していくスピード感も必要であった。山田氏はその著書『速度の花』で「ダンスがやってこようとするときには、小さな絶句が起こり、白い時間が生まれる。これはひとつのサインだ。絶句の一瞬を通過すると、からだは密度を高め、曖昧に譲り合っていた場所はそれぞれ輪郭を明確にして私のほうにやってくる。」 と述べている。


まだまだ、まどろむ原形質

 それでは、そのころの私の踊りの質はどうだったのだろうか。即興の稽古で、私がリアリティーと集中のスピードがともに感じられたのは、ほんの時々であった。身心の一体化、これしかない、という動きが生まれる。その至福の感覚とともに、揺るぎない威厳のような感覚、宗教的ともいえる一瞬が訪れることもある。この身体感覚の変化のあり方は「禅的」といえるかもしれない。


 ある日、自分のダメさ加減に苛立ち、からだをばらばらに放りだしたいとゴロゴロとあばれていた、時々そんな状態になったものだ。しかし、その夜の稽古では、何かが違った。自分を取り巻く空気の質が変わって散乱していたものがスクッと統一されたような感覚になった。目の前に、オルガンの椅子があった。それをひっくり返して捧げ持ち、まるで神殿の前に捧げものをするかのように歩む。「私は一冊の本ですから、どこからでも読んでください」と心のなかで何者かに語りかけていた。目は開いたまま瞬かなくなり、唇が膨張する。先ほどまでの苛立ちや混乱は全く消えている。この意識の変化は何だろう。一瞬、自分を虚無への供物としていたのだろうか。しかし、そのような状態が訪れるのは稀である。修行のような、あるいはセラピーのような稽古の中から作品を作ること、公演を行うことは私には至難の業であった。山田氏は、稀有な集中力とシャーマン的な感性で注目すべきソロ公演を重ねていた。その舞台に数回脇侍として出ることがあった。


 天使館の舞踏がセラピーであり、修行であるなら、ソロ公演は自立の儀礼ともいえようか。私もソロ公演を二回開いた。一回目のタイトルは「まどろむ原形質」。原形質は細胞の中で生きている流動的なもので、まどろんでいる状態。それが自分の今だと感じていたのだ。第一場は全身をパラフィン紙に包まれた状態から始まる。グレングールドが弾くバッハのゴールドベルク変奏曲のピアノの音が流れるなか、パラフィン紙を破って這い出てくる。第二場はトラツグミとカッコーの鳴き声をバックに、麦藁帽子に短パン、ランニングの少年のような姿。麦わら帽子の中に豆が入っていて、それを一気にばらまく。



 思い出してみるに、あれは踊りといえるものだったのかは不明だが、それが象徴的なシーンであったこと、その空間に私が脱皮する蚕として、夏休みの少年として存在した、という感覚記憶は鮮明である。二回目の「白蟲夢」は、まさに白昼夢のような儚く、かつ蠢きの感触がつたわるような作品を目指していた。だが、構想も弱く、心身共に突き詰めることが出来ず、まったく情けないしろものだった。一回目は山田さんが構成をみてくれたので、作品として成立したといえたのだ。


 その頃、まだ若かった私は、自分は才能も工夫も努力も足りず、自立できていないという事実をしっかりと認めることが出来なかった。自分に足りないものを他の場で得られるのではないか、自分に決定的に不足している身体的な技術やテクニックを身に着ければ何かが出来るのではないか、と思った。いや思いたかった。そして、山田氏の稽古場を離れ、そのころ注目され始めていた勅使川原三郎氏のワークショップに通うことにしたのだった。


 山田せつ子氏は1989年に自身のカンパニー枇杷系を結成、若い女性舞踏手とともにユニークな作品を発表し、2000年からは京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の教授として即興を含むダンスを教えることになった。そこでは即興と言っても初期のような無くゼロの状態ではなく、そこをきっかけに動きがうまれるようなイメージや動きの約束などを提示するメソッドを編み出し、多くの学生を導き、現在も第一線で活躍されている。


 私は気功に出会うにはまだもう少し時間がかかる。何者かもわからない「まどろむ原形質」には、もう一巡りの旅が必要だったのだ。



まどろむ原形質


漿液の海の中で

わたしは まどろんでいた

極小の太陽のもと

真珠色の章魚が 寝息をたて

海月が 鼻水をたらしながら

幸福そうに漂っている

私の眠りは夢の繊毛の微振動に揺られていた

微振動は ゆっくりとその周波数を増し

私の軀は撓んでゆく


そして ふいに 私は 滴る時の中を

傾いたまま吊り上げられた


コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

© 2022 なぎさ created with Wix.com

bottom of page