星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第22回
- 5月9日
- 読了時間: 9分
ナカさんの船
中野真備
夕方、漁にでた。
遠景の島じまには、やわらかな朱鷺色がこんもりと咲いている。去年の暮れの、凍てつくような寒さの沖を思いだすと、ようやく訪れた春の気配にこころがおどる。
そう感じるのは人間ばかりで、水底の世界はまだまだ冷たいらしい。沖に出ている船は、ほとんどないようだった。そういえば昨日、港で会った漁師もいっていた。
「いまはみな、ぢっと動かんのよ」
岸壁には、タコツボが山のように積みあげられていた。サワラ流しの船は、ようやく手入れをはじめたところだった。こんな時期に出るのはナカさん*くらいのもんだろう、と何人かの漁師がいった。
今年87歳になるナカさんは、毎日のように海に出る。
つかうのは刺し網、このあたりではタテアミともよばれる。ウキとオモリで網を垂直に張って固定し、泳いできた魚を絡めとる。魚の通り道でなければ意味がない。いつ、どこに、どんな魚が通るのか、彼はよく知っている。
港でナカさんの話を聞いた次の日の夕方、私は作業カッパに長靴を履いて港へ向かった。ナカさんはとっくに来ていて、漁の準備をしているところだった。「すみません、遅くなりました」と飛びのると、船は間もなく港をあとにした。対岸で、昨日の漁師が手を振っているのがみえた。
瀬戸内海の風景は、私が調査をしているインドネシアの多島海にもよく似ている。小さな島が散らばっていて、海底にはみえない岩礁があり、潮は複雑にうねる。川から流れこむ水と泥の混じった海には甲殻類がよく育ち、それを食べるさまざまな生き物が動いている。
では何がちがうかというと、もちろんいろいろあるのだが、ひとつは船の力だろうか。インドネシアで聞きなれた、ポンポンポン…と割れるようにひびく焼玉エンジンの船と比べると、大きさも馬力もあるこの船は桁違いに速く、揺れも少ない。身体に伝わる振動も、波が船体にあたる衝撃も、感じかたがまったくちがう。自転車からブルドーザーに変わったような感覚だ。
いくつかの小さな島が視界の隅を通りすぎたころ、ナカさんは船を停めた。遠くからみるとふたつの重なった島にみえたが、近づいてみるとそこはひどく弯曲した海岸線の島だった。その突出したふたつの岬の間に、旗の刺さった発泡スチロールのウキが揺れていた。今日の明けがたに、ナカさんが仕かけたタテアミだ。朝、私がぐうたら寝こけているところに電話がきて、「明日からは天気が崩れそうだから、さっき仕かけてきた。夕方、お前も(網をあげに)くるか」と誘ってくれたのだ。
エンジンの轟音が止むと、海の静けさがもどった。船体にあたる波の、とぷん、とぷん、という音ばかりが大きくきこえた。先ほどまでブルドーザーのように突き進んでいた船も、ここでは浮力のある金属塊となって、ゆらゆらとその巨体を揺らしている。
ナカさんは右舷に腰かけると、ビニール袋をつかんで「あるもんを持ってきた、食え」と、こちらに置いた。中には、食べかけの草もちやバウムクーヘンが入っていた。私も、行きしなに買ってきたお茶や菓子パンを広げて、甲板に腰をおろした。
ここにきてから何度か漁に連れていってもらう機会があったが、私はこの束の間の休息時間がすきだった。そこらで買ったお茶やお菓子が、なぜこんなにおいしく感じるのだろう。冬の船室でお湯を沸かして飲んだ熱いコーヒーのおいしかったこと。漁師たちも、陸(おか)で話すよりもずっと饒舌で、生き生きと語ってくれるような気がするのだ。

やがて日が落ちると、ナカさんはおもむろに立ち上がった。
船をウキまで寄せると、旗をつかんで甲板へ引きあげた。ウキに結びつけられた網の端をローラーにかけると、タテアミへ船体を沿わせるように方向転換した。「よし、あげてみるか」の一声に、私もゴム手袋をはめなおして気合いを入れた。
ごうんごうんとローラーが回転をはじめると、海藻や石の絡まった網が次々に甲板に引きあげられていく。ナカさんは弛まないように網をたぐっては前に放り、整然と積みあげていく。適当に放ってしまうと、終盤になって足の踏み場がなくなったり、次に仕かけるときに綺麗に落ちず、絡まってしまったりする。漁業とは、こういう小さな作業のひとつひとつにも経験があらわれるものだと感心する。後ろ手に、巻き上げの速度を操作することも忘れない。
私の役目は、網にかかった魚を外して船底の生け簀に入れることだ。
ギチギチに絡まった魚を素早く外さないと、ナカさんの作業を止めてしまう。「役目」といえば立派にきこえるが、私はまだ「お客さん」状態で、できることはかぎられている。ナカさんは普段、ひとりで網を巻きあげながら魚を外し、操船もしている。今日だってきっと、自分でやったほうが早いにちがいなかった。それでも船に乗せてもらっているからには、邪魔にならないようにがんばろう、とひそかに意気込んだ。
この時期によくかかるのは、根魚の代表格であるカサゴだ。このあたりでは、ホゴとよばれている。ホゴは、ただでさえ棘だらけの硬いからだをよじり、興奮していっそうエラやヒレをパンパンにひらいて、そこに漁網が何重にもきつく絡み、びくともしなかった。以前、ナカさんに教わったように、ホゴを裏返し、白くやわらかな腹をなぞる。腹と網の間に細い手鉤を挿し入れて、右に左にと少しずつ網をずり下ろしていくのだ。エラさえ抜けてしまえば、あとは頭をつかんで強めに引っ張ると、すぽんと抜くことができる。
生きた魚をあまり触ったことがないひとのほうが想像に難くないだろうが、魚にどれだけ力を入れていいのかということは、存外わからないものだ。犬や猫とちがって、魚は鳴き声もあげないし、嫌そうな目もしない。だいたい、海から引きあげた時点でビチビチと暴れている。これはエラで呼吸できないことによるものなので、力を入れすぎたせいかどうかはわからない。
やわらかな腹に手鉤がめりこみ、薄皮がひきつって歪むとき、あるいは興奮する頭をつかんで網目から引き抜こうとするとき、身が傷ついてしまいそうで、私はつい手をゆるめてしまう。
ナカさんからも「なんじゃあ、この前はひょいひょい早かったようにみえたぞ」とからかう声がかかる。ナカさんの魚はなぜあんなに、くるん、すぽっ、くるん、すぽっ、と簡単に抜けるのだろうか。私の手のなかのホゴは、ただでさえ水圧の変化にもがいて、大変なことになっている。口の奥からは黄色い胃袋がのぞいているし、目はギョロギョロと飛び出て、その縁にすら網がひっかかっている。何度も裏返して目をこらすのだが、もうどこに手鉤をさしてもギチギチに絡んでいて動かない。口をパクパクと動かしていたのが次第にゆっくりになっていく様子に、気持ちは焦るばかりだ。肛門からはもう臓器が出そうになっている。
思わず「こんなギチギチになって、もうどうしたらいいんか…」とこぼすと、漁網の山の向こうから「どうもこうも、かかってしまったんじゃ、とるしかあるまい!」と叱責が飛んでくる。
それはそうだ。網をかけてホゴをとったのは、他でもない我々だ。「どうしたらいいんか」と困っている場合ではないのだ。ナカさんの声に、魚をとる側としての責任感のようなものが湧いてくる。急ぐからね、と思いながら魚の頭をわしづかみ、ほとんど引っこ抜くような気持ちで手を動かした。コツをつかんだのか、段々とペースが上がってきた。生け簀に投げ入れた魚は、意外にも元気に泳ぎまわっていた。
結局、巻き終わったときには22時になっていた。
甲板は煌々とLEDライトに照らされていたが、気づけば船縁の向こうは真っ暗になっていた。水平線は夜の闇に溶けて、どこまで海が続いているのかもわからない。ひょっとしたたらこの船はいつの間にか大海原にぽつんと流れているのではないかと妄想した。遠くにみえる街の灯りだけが、私たちが夕方から同じ地点にいることを示していた。
水揚げの途中、めずらしくマダコが網にかかった。十分売れそうな重量にみえたが、ナカさんの「食うか」というお誘いにのらないわけがなかった。
ナカさんは手慣れたようすで甲板にガスコンロを置き、ヤカンでお湯を沸かしたなかに、下処理をしたタコを直接入れた。なんとも豪快な調理法である。風が出てきて、船はときおり大きく揺れた。魚外しを退職し、ヤカンの火当番になった私は、ビールケースに座ってぼんやりと海をみていた。後ろには漁網の山、足元にはアカエイが3枚ほどひっくりかえっている。静かな夜の海に、生活感のある湯気が立ち上る。海の上で、ささやかなキャンプをしているようだった。

タコはおいしかった。キャンプというのは、あながちわるくない表現に思えた。
漁船というものは、よくみると生活の気配に満ちている。ナカさんの船室にはダンボールが敷かれていて、使いこんだ座布団や毛布があり、電球色のライトがやさしく灯る。ガスコンロとヤカン、飲み物にお菓子もある。不思議と居心地がよく、もうここで寝起きができそうだった。
港に帰る前に、ナカさんは隣町の水産会社で漁獲を売りにいくことにした。電車に乗ったら次の駅だが、海から来ればこんなに近かったのかとおどろいた。岸壁に近づくと、釣り人たちが何名か立っているのがみえた。小さな椅子とクーラーボックスも置いてある。着岸に備えて甲板に立つ私と、竿を構えて立つ釣り人の視線が、ゆっくりと交差した。私は、どう映っているのだろう。
岸壁で待ち構えていた軽トラックから降りてきた作業着の男性は、ロープをたぐり寄せて船を覗きこんだ。男性はちらりとこちらを一瞥しただけで、ナカさんから漁獲を受け取って手際よく荷台に運んだ。今日の漁獲は、コブダイにカサゴ、キジハタ、オコゼ、カワハギ、アカエイなど。全部でいくらになるのかはまだわからない。ナカさんが後日、受け取りに行くのだそうだ。
船はようやく、港に向けて走り出した。
暗くて静かな海は、孤独で穏やかで、充実感に満ちていた。何より、ささやかな自由と、不思議な居心地の良さがあった。ここで寝て、食べて、網を仕かけて、寝て、食べて、網をあげて、売って、そうして毎日を過ごしていけるような気さえした。
瀬戸内海は、かつて水上生活者の拠点として知られた海域である。私が通っている港はその拠点からそう遠くないが、別の場所にあり、みな陸に生まれて陸で育った人々である。
しかし、こうして海に出ると、「船を住まいとして移動性の高い生活をおくる」というのはごく自然なことのように思えてくる。それはちょうど、狩猟採集をしながらキャンプを移動させるような、あるいはキャンピングカーで移動するようなことでもあるかもしれない。
海で生きることは、きっと居心地がよいばかりではない。
変わりゆく環境のなかで「魚がおらんようになった、わしらにもどうしていいかわからん」と途方にくれる漁師の言葉を思い出す。高齢のナカさんは「なんでも大変、苦しいばかり言っとったら、海はやってられん」と、よく私を笑いとばした。
泥のように寝たら、また船に乗りたい。
私の知らないことが、まだここにたくさんある。
まずは、ホゴを外すところから。
*本文中の人物名はすべて仮名です。


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