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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第19回

  • 中野真備
  • 3 日前
  • 読了時間: 8分

「ランドマーク」の群れに突っこむ

中野真備


 9月初旬、タコを釣りにいった。

 インドネシア東部、バンガイ諸島のある村(第8回)でのことだ。

 

 この村に住むのは、サマ、あるいはバジャウとよばれる人びと。

 東南アジア島嶼部の海域世界を代表する海民集団のひとつといっていいだろう。

 

 夜明け前、蚊に刺されてほとんど眠れないまま、アザーン(イスラームの礼拝の呼びかけ)の音とともに目を覚ました。

 

 ひっそりと家を出て、まだ青暗い坂道を降りて海に向かった。その日は若手の漁師アディの舟でタコ漁に同行させてもらうことになっていた。

 私の滞在している家がある陸地の集落は静まりかえっていたが、海上集落の1日はとっくにはじまっていたようだ。家の裏の台所や「勝手口」は水路にせり出しており、火をおこしている後ろを舟が行き交っていた。

 

 アディの舟は水路の橋のたもとに係留されていた。橋に腰かけて持ち主の到着を待っていると、ぶらぶらしている足の下を、黒い影が「ウォウ!」と楽しげに声をかけて流れていく。暗闇に目が慣れ、ゆっくりと夜が明けていくと、水路や勝手口に見知った顔がのぞいていることに気づいた。長い舟に埋まるように乗りこんだ漁師たちは、ときおり橋の下で身をかがめながら、狭い水路をぶつかることなく、音もなく滑るように行き交っていた。あちらこちらで「ウォウ!」という声があがるころ、ようやくアディも出漁準備をはじめた。

 

生き餌を釣るアディ
生き餌を釣るアディ

 夜明けの海は、絵画のように美しかった。鏡面のようになめらかな海を、舟は飛沫をあげながら進んだ。やがて遠くに臨む水平線から、目が眩むような橙色の光が差し、またたく間に青闇の世界を塗りかえた。

 

 朝日は波の輪郭を浮きあがらせ、海上に連なる岩をワヤン(影絵芝居)のように照らした。岩の影は、遠近の陰影がわからないほど濃い。この真っ黒いかたまりが島なのか岩なのか、あるいは重なった複数の岩なのかも見分けがつかないほどだった。

 

 ただ、黒いシルエットしかわからないからこそ、ガラスの割れた破片のようにそれぞれの形はいっそう際立ってみえた。左のものはやや大きく丸みを帯びた輪郭で、高低差があった。焼きたてのマドレーヌを横からみるとちょうどこんな膨らみ具合だな、などとどうでもいいことを考えた。その右にはコロンと丸く、海から突きでたような形の岩、その右は鋭く切り立った角のある岩、そして一番右には上に木のようなものが生えた、前のめりの台形の岩がみえた。

 

 サマの漁師たちは、こうした岩のひとつひとつに名前をつけている。たとえば右の台形のものは「トゥコー・カッパル(船のトゥコー)」とよばれている。「トゥコー」は海上の岩のことで、「プラウ(島)」とは区別される。かれらの言葉では、小さな刳り舟がココリ、1〜2人乗りの舟はボロトゥ、もう少し大きいものがジョロル、そして港に停泊しているような大型の客船や輸送船がカッパルである。あの台形の岩は、大海原を前のめりに進む船(カッパル)なのだ。

 

 これまでも海を移動するときに「船のトゥコー」を目にすることはあった。ただ、隣のふたつと比べれば大きいのはわかるが、遠くからみると船というよりは盤面にコンと置かれたチェスの駒のようだと思っていた。

 

 いつの間にか、橙色の朝日は空に溶けて、海面は濃い藍色に波打っていた。影絵のようにみえた岩は、あるものは遠くの背景となり、あるものは眼前に迫っていた。岩に近づくにつれて、波は複雑にうねり、身体は上下に大きく揺れた。アディはエンジンを切り、連なるトゥコーの一群に向けて舵を切った。

 

 ———近い!

 

 顔をあげると、いつの間にか我々は「船のトゥコー」に見下ろされていた。

 

 そのとき、初めて私はこの岩に生い茂る草木の1本1本をまじまじと観察した。

 たしかにこの岩は遠くからみても頭が緑色を帯びていたので草木が生えているようだったし、海面近くの濃い茶色は潮位の痕跡が残り、また波蝕でわずかにくびれた様子がみてとれた。

 

 しかし、目の前で対峙したこの岩は、美しいチェスの駒ではなく、険しく切り立つ巨大な岩だった。峻険な山岳の一部が切り取られて海上に置かれているかのようだった。岩の表面は全体にひび割れたような裂け目があった。そこへ風が土を運び、種子が芽生え、いつしか草木になったのかもしれなかった。それは錆びついた廃船を思わせる、荘厳な気配をまとった岩だった。

 

「船のトゥコー」(右)
「船のトゥコー」(右)

 舳先のアディは、まだ次のトゥコーを目指していた。漁師たちにとって、トゥコーはただの岩ではない。ひとつひとつに名前や物語があり、術(すべ)を知る者の前には海のランドマークとなって立ち現れる。

 しかし、同じ島に住んでいても、陸に暮らす人びとにとっては、それらは名もない風景のひとつに過ぎない。ましてや、あの岩の質感や険しさを知るものはいない。私もまた、かつては陸から、あるいは遠い海からそれを眺めていただけだったのだ。

 

 遠くから眺めることと、間近でみることとでは、その対象の印象はまったく異なる。

 サマの人びとからすれば、陸地にある山はむしろ「遠く(海上)からみるもの」であって、自らが山に登ってその土や草木を観察することはない。だから、山にかんするサマ語の語彙には、他民族の言葉に由来するものや、かれら自身も意味を曖昧にしか知らないものが多い。海上の岩(トゥコー)についての語彙が極めて具体的であるのとは対照的である。岬や湾のような陸と海の「キワ」などについてもそれなりに認識して名づけているが、立ち寄らない地点も多く、名前や意味はしばしば曖昧になる。

 

 陸からみた海と、海からみた陸、そして海からみた海——。

 視線が変わるたびに、世界は少しずつ異なる姿をともなってあらわれる。

 

 もうひとつ、海を移動する漁師がみているもの——それが星である。

 かれらは星々に名前をつけて目印にしているが、それらの形質について具体的に言及することは少ない。それもそのはず、星は手に取るようにみることができないからだ。

 それはサマの漁師にとってだけではなく、地球上のほぼすべての人間にとっても同じことだろう。ただし科学技術の発達によって「手に取るかのように」みることは可能になった。子どもの頃、家にあった月球儀を隅々まで回してみたが、餅つきをするうさぎはどこにもいなかった。図鑑をひらいても、「月面」とされる面白みのない灰色の地面があるほかは暗闇が広がるばかりだった。

 

 先日、こんなことを書いた。

 

 1970年に大阪で開催された万国博覧会では、アポロ12号が月から持ちかえった「月の石」が展示され、大きな話題をよんだ。それは科学技術の大いなる飛躍に対する感動であったことは間違いないが、それだけではなかった。「月の石」の展示は、肉眼あるいは望遠鏡を通して遠くに臨むだけだった光が、手にとれるほどの眼前に物質として存在しているということへの衝撃であった。エリック・カールの名作『パパ、お月さまとって!』が現実になったのである[中野 2025]。

 

 

 私は漁師たちと図鑑を広げたことはないし、かれらも星や月が何でできているか、さして関心はない。そんなことよりも、月が満ちれば市場の魚が安くなるとか、そうでなければ手釣り漁師が遠くへ出る時期になるとか、生活のサイクルを示すものとしてみている。

 

 そんなバンガイ諸島(正確には近郊のバンガイ県)に、隕石が落ちたらしい。

 `コロナ禍の2021年3月17日、パギマナという港町で目撃された明るい閃光に、地元住民は衝撃を受けたようだ。大手新聞社は「スラウェシのバンガイにて落下(jatuh)する流星が出現、天文学者は隕石と呼ぶ(Penampakan Meteor Jatuh di Banggai Sulawesi, Astronom Sebut itu Meteoroid)」と題してこの珍事を報道した[Pranita and Sumartiningtys 2021]。

 

([Pranita and Sumartiningtys 2021]より転載)
([Pranita and Sumartiningtys 2021]より転載)

 同記事のコメント欄には「ただの自然現象でありますように」といったものと並んで、こんなものが書きこまれていた。

 

隕石の落下は、人間や家屋、財産に当たらない限りは祝福だ。なぜなら、流星の鉱物は非常に高価であり、買い手もいるからだ。恐ろしいのは、このパンデミックの時代に貧困に陥ることである。

Jatuhnya meteor, asal tidak menimpa manusia atau rumah termasuk harta benda adalah berkah, sebab  kalau batu mineral meteor cukup mahal dan apa pembelinya, yang menakutkan apabila kejatuhan kemiskinan, diera pandemi ini.

 

 流星が「落下する(jatuh)」ことと、貧困に「陥る(jatuh)」こと(「kejatuhan」は「jatuh」の名詞形)にかかった、皮肉のきいたメタな言い回しである。

 

 「お月さま」や「お星さま」をとった先で、それは眼前で「存在する」物体となり、輝く光から金になる資源へと転換される。数年前に訪れたパギマナの港町にも、サマがたくさん住んでいた。かれらも隕石の落下を目撃したのだろうか。いずれどこかで隕石が発見されたら、みな「ただの石ころじゃないか」とがっかりするのだろうか、それとも「祝福だ!」とアッラーに感謝するのだろうか。

 

 まぁ、陸に落ちたものをかれらはわざわざ見物しに行きそうにないのだが。

 

 


引用文献

Ellyvon Pranita, Holy Kartika Nurwigati Sumartiningtyas, “Penampakan Meteor Jatuh di Banggai Sulawesi, Astronom Sebut itu Meteoroid”, Kompas.com, 17 March 2021. <

中野真備「The real friends of the space voyager are the stars(宇宙を航海する者の真の友は星である)」『現代思想2025年6月号 特集=テラフォーミング』2025


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