星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第21回
- 2 日前
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私が、流星に応える
中野真備
「星に願いを」という有名な主題歌がある。原題は「When you wish upon a star」だが、デンマーク語版では「Når du ser et stjerneskud(流れ星をみると)」なのだそうだ。
常々、不思議なものである。誰もがこの類のフレーズを知っているのに、「おかげで願いが叶いました」という話を聞いたことがない。
「星に願いを」のあの美しい子守唄のようなメロディーは、窓辺から頬杖をついてうっとりと夜空を眺めているような気持ちにさせるが、私たちの知っている流星の俗信は、もっと忙しなく、口うるさいようにも思える。やれ流星が流れている間だの、やれ3回唱えろだの、「このようなやりかたで、このようにせよ」というお作法もつきものである。
条件が設定されているという点ではむしろ、おまじないや占いといったほうがいいのだろうか。
考えてみれば、子どもの頃はこうしたおまじないや占いがもっと身近にあって、その結果を指針として行動したことも少なくなかった。
小さな「おまじない」や「占い」をしなくなったのは、いつからだっただろう。
あなたは消しゴムのカバーの下に、好きなひとの名前を書いたことはあるだろうか。
あるいは、消しゴムのカスを小瓶に詰めたことはあるだろうか。
私が小学生だったころ、そうしたおまじないが日常のそこかしこにあった。文房具にまつわるおまじないはいくつもあったが、なかでも消しゴムをつかうものがよく知られていた。
たとえば「消しゴムに好きな人の名前を書いて、誰にも見られずに使いきれば両思いになれる」「好きなひとの名前を書いて、それを消して出た消しカスを小瓶に詰めて身につけていれば両思いになれる」といった具合だ。名前を書きやすく、またまとまりのある「良質な消しカス」を産む某社の消しゴムはとりわけ人気が高かった。カラフルな消しゴムは非常にまとまりが悪かったが、小瓶に入れたときの見た目がよいので、それはそれで人気だった。両思いにはなりたいが、身につけるからには可愛いものがよい。複雑な乙女心である。
私はというと、特に意中の相手がいたわけではない。ただなんとなく誰かを好きだ、ということに仕立てあげた。ちょうどいい小瓶がなかったので、引き出しの隅っこに消しカスを溜めるという、雑すぎる工夫を加えることにした。さらに「名前は100回書く」という条件もあったので、授業中にせっせと書いては消して、誰にもみられないように引き出しに集めていた。いま思えば、教室でできる簡易版・御百度参りのようなものである。
引き出しの隅っこに少しずつ溜まっていく消しカスは、私だけが知っている小さな生き物をこっそり育てているようでもあり、同時に心願成就のためのお供え物のようでもあった。教科書やペンが散らからないよう、大切にその場所を確保していたことを思い出す。
重要なのは、それが本当に効くかどうかではなかった。実際、めでたく両思いになっても「消しゴムのおまじないをしたからだ」という子はいなかったし、かといって「そんなことに意味はない」という子もいなかった。それでも私たちは日々、せっせと消しカスを生産し続けた。
それは日常のごく当たり前の風景だったので、机の隅にまとめられている消しカスを勝手に掃除することは、誰かの「御百度参り」を台無しにする暴挙に等しかった。それは単なるゴミではなく、誰かが幸せな未来をたぐり寄せようとして積み重ねた、行為の痕跡だったからだ。
流星の俗信を整理しているとき、ふとこの光景を思い出した。願いのために手を動かしていたあの感覚が、流星にまつわる事例のなかにも、どこか通じているように思えたのだ。
こんな言いかたを聞いたことはあるだろうか。
流星を見て顔をさすれば色白くなり、髪を撫づれば髪よくなる
(額田郡市役所『三河国額田郡誌』千秋社、1924)
流星の俗信に多くみられる類型のひとつで、流星を目撃したあとに何らかの対応をとることで良い結果がもたらされるというものである。かの有名な「願い事を3回唱えれば叶う」というものも、ここに含めてよいだろう。
対応と結果のバリエーションには、「唱える—願いが叶う」「顔をさする—色が白くなる」「髪を撫でる—髪がよくなる」のほか、「小石を握って寝る—良い夢を見る」「縫う真似をする—裁縫が上手になる」「ふところへ手を入れる—幸運がめぐってくる」など、実に多様なものがある。
こうした関係は「◯◯すれば××になる」が複数並べられた、対応関係として整理される。また、「縫う真似をすると裁縫が上手になる」といった事例は、模倣によって結果を引き起こそうとする類感呪術として説明することもできるだろう。
そうかもしれない。だが、それだけで十分なのだろうか。
流星という現象の仕組みが広く知られるようになったのは、そう昔のことではない。理由のわからない出来事に遭遇したとき、いつの時代も人びとはそのときなりの文化的対応をとってきた。そこにはもちろん、既存の伝承のありかたや、信仰や自然観といった背景がある。同時に、その場で出来事と出会い、引き受ける個々人の存在がある。
人は、伝承の容れ物にとどまらない。型をなぞりながらも、それを自分の行為として引き受ける——そんな主体的な営みとして捉えることもできるのではないだろうか。
少なくとも、消しゴム生産に没頭していた平成女児のひとりとしては、あれを単なる伝承の構造の産物として説明されると、どこかもの足りない気がしてしまう。私たちは、私たちなりのやりかたで世界と関わろうとしたのであり、不確かな未来のなかから、こっそり幸せをたぐり寄せようとしていたのだ。
流れる星に向かって何かを唱えようとするとき、私たちは偶然の出来事を、自分の生と結びつけようとしている。実際には唱えようとする間もなく、直後に思い出すだけかもしれない。それでも、その一瞬に応答しようとする態度は、確かに私たちの側から生まれている。
小学校からの帰り道、私は木の枝や傘の倒れる方向に進むような子どもだった。家とは反対方向に倒れる枝に悲鳴をあげながらも、その結果にしたがった。ときには見知らぬ路地へと導かれることもあった。電柱が奇数本目の角では曲がってはいけないとか、よくわからないマイルールも設けていた。黙って歩けばすぐ家に着くはずの道は、私にとっては何が起こるかわからない不確実な旅のようだった。偶然に身を委ねているようでいて、その偶然を「指示」として引き受けたのも、代わり映えのしない道を可能性に満ちた道に読み替えていたのも、ほかならぬ私だったのだ。
小さな「おまじない」や「占い」をしなくなったのは、いつからだったのだろう。はっきりとは思い出せない。ただ、出来事に応答するよりも、それを説明することのほうに重きを置くようになったとき、少しずつ手放していったのかもしれない。
本当は、世界はずっとよくわからないままで、可能性に満ちているはずだ。星は変わらず流れるし、枝を立てればやはりどちらかに倒れる。
あとは、私がそれにどう応えるかだけなのだ。
引用文献
板橋作美『俗信の論理』東京堂出版 1998


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