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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第2回

流星を見たら「小石を握って寝る」?


中野真備


 流星、ホシトビ、ヨバイボシ……、あぁ頭がいっぱいだ。


 グラスを洗い、氷を割り、ケーキを焼いてはまたグラスを洗う。

 生活するにも勉強するにも、大学生のひとり暮らしには何しろお金が要る。


 飲食店でのアルバイトをしながら、私はまたしても流星に悩まされていた。



 日本全国の膨大な地方史誌が所蔵された大学図書館の書庫には、「探せるものなら探してみろ」とでもいうように鈍器のような本たちがどっしりと鎮座している。

 そのなかから流星の事例を拾い集めるというのは、楽しいようで実際には気の遠くなるような単調な作業の繰り返しだ。


 しかも、鈍器のなかに目当ての記述があるとは限らない。

 そもそも地方史誌編纂にあたり、民俗学的な調査がおこなわれるなかで、生業や儀礼、年中行事のような主要な質問項目と並んで天体についての伝承が含まれることは稀だったのだろう。


 それでも本によっては、俗信や迷信、俚諺や民俗語彙、自然や観天望気、といった項目内に、流星の伝承が記録されていることがある。


 たとえば次のようなものだ。


 「星飛んだのを見て小石を握って寝ると良い夢見る」

八森町誌編集委員会『八森町誌』八森町 1989年


 「流れ星を星のよべえと呼ぶ」

 「星のよべえ、ちかぼしが出ると出た方角に死人が出る」

群馬県教育委員会『片品の民俗 群馬県民俗調査報告書 第1集』

群馬県教育委員会事務局 1960年


 「流星が東より西に飛べば翌日は雨」

美杉村史編集委員会『美杉村史』下巻 美杉村役場 1981年


 同じ流星でも、「小石を握って寝る」という対応をすれば良いことにつながったり、反対に「死人が出る」という凶兆の現象だったり、そうかと思えば明日の天気を予測するための判断材料だったりする。


 やはり流星はよくわからない。


 授業の合間を縫って図書館に通いつめた。

 片手で支えられないほど重い本を1冊1冊取り出しては、流星が書かれていそうな項目を探してページをめくり、ほんの一文あるかないかの文字列を目視で機械的にスキャニングしていく。


 最上段の背表紙に手をかけて鈍器が頭に落下してきたり、立ち疲れて人気のない書架の間で座り込んだりしているうちに、閉館のアナウンスが流れる。

 その日に調べた書架の番号と資料番号をメモに書き留めて、1日の作業が終わる。


 没入感とは裏腹に、成果がほとんど得られない日もめずらしくない。

 1日に目を通すことのできる書架のせいぜい数列、1列あたりの「流星」の事例は2、3例のときもあれば、ゼロのときもある。


当時の作業メモ

一番上の記録は約20列の地方史誌書架でひとつも事例がなかったことを意味する



 22:00、閉館。

 追い出されるように図書館を出て、渋谷の坂道を歩いていく。

 地下鉄に乗り、乗り換えのホームでおにぎりを適当に流し込み、0時前後に最寄り駅に到着する。


 深夜の改札を抜けて真っ暗なロータリーに立つたびに、流れ星のことを調べようと思った日の自分に立ち返る。

 新しいことを思いつくのは楽しいけれど、それはいつだって地道で淡々とした作業を積み上げた先にあるのだ。



 季節はめぐり、腕を振り上げたオリオンもいつの間にかどこかへ行ったらしい。さそり座から逃げ続ける人生(星生?)も大変だ。

 そうこうしているうちに、地方史誌以外の文献も含め、さらに箒星の記述も含めれば、300例近くの事例が集まった。

 ようやく日本全国の流星(・箒星)伝承の事例を集めたところで、これはまだ基本的な作業に一区切りつけたに過ぎない。


 さて、どうしたものか。


 ホシトビやヨバイボシなど、いくつもの和名で呼ばれる流星はまた、吉兆や凶兆、呪術、観天望気と、いくつもの顔をもっている。

 流星は、いったいどういう現象と考えられていたのだろう。



 煮詰まる日々から離れるように、今日も朝の開店準備をする。

 グラスを洗い、氷を割り、ケーキを焼いてはまたグラスを洗う。


 慌ただしく出勤してきた先輩が、寝起きの顔で「パソコンごとお花見会場に忘れてきた!」と笑った。

 聞けば、代々木公園で夜桜を見ながら酒を飲み、三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBEの「R.Y.U.S.E.I」を踊り、気づいたら自宅にいたのだという。

 (こんな大人にはならないと思いながらグラスを洗った)


 そんなことはいいのだ。それよりも、また流星、いや「R.Y.U.S.E.I」!

 あたかも自分の本業がカフェ・スタッフであるかのように現実逃避していたところに、急に流星が落ちてきてしまった。


 そういえばこの歌はタイトルだけでなく、歌詞にも「shooting stars」、「七つの流星」、「ほうき星」、「ペルセウス流星群」という言葉が随所に盛り込まれていることに気づいた。

 意識して聴いたことがなかったけれど、あらためて思い返すとまさに「流星」の歌だ。


 考えてみれば、流星は現代の楽曲の歌詞によく登場するような気がする。

 「凶兆といへり」(第1回を参照)とか、「死人が出る」とか書かれていたのに、流星はいつのまにか随分とロマンチックなものになったらしい。


 なにか別の海を見つけたような気がしつつ、このとき結局こちらに舵を切ることはなかった。

 正確には、歌詞分析をしてみようかなという安易なこの思いつきは、先生からの助言もあり、少なくとも今やることではないと納得したのだった。


 いま思えば、計量テキスト分析などを用いた通時的、探索的な分析をするだけの知識も経験もなく、背後には「はやく分析しろ」と300の事例が控えており、フィールドワークに基づく研究を重視する専攻にいるのだから、当然の話である。


 部屋を片付けている最中に、いそいそと卒業アルバムを見返したり、新しい趣味を始めてしまったりする私の悪い癖を反省し、潔く事例と向き合わなければいけないことを認めたのだった。「向き合った話」はまた別稿で書くとしよう。



 それでも、思い出すとまた部屋を掘り返したくなるものだ。


 2022年9月末時点で322,000曲を掲載する大手歌詞検索サイト「uta-net.com」(株式会社ページワン)www.uta-net.comで検索すると、「流星」が1623件、「流れ星」は2498件と、これも気の遠くなるような数がヒットした[1]

 ちなみに件数はずっと少ないが、スピカやオリオン、北斗七星などの天体を含めればさらに総数は増えるし、単に「星」を含む歌詞は言うまでもなく無数にあり、ヒット件数は増え続けている。


 流星は、過去に埋まった遺物ではない。

 おそらくこれを読むあなたも、思い浮かぶ歌のひとつやふたつ、あるのではないだろうか。





 

[1] ヒット件数は2022年10月19日時点の検索結果による。


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