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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第14回

私だけの「帆の星」

中野真備


 子どものころ、雲を指さして何に見えるか好き放題に言ってみた記憶はないだろうか。私は腕が痛くなるほどやっていた記憶があるし、指さして教える友達がいなくてもひとりで「あれは飛行戦艦ゴリアテだな」と思っていた。小学校6年間、通信簿に「想像力が豊か」と書かれてきただけのことはある。なお、「想像力が豊か」とセットで「落ち着きがない」、「人の話を聞いていない」とこちらも毎年書かれていたので、どちらかというとこれはあまり褒められていなかったのかもしれない、と大人になってから気づいた。


 石もそうだ。

「なぎさ」に同じく連載している角谷郁恵さんの展示に何度か足を運んだ。彼女の作品のひとつに陶器の石ころがある。これが色や模様、形、手ざわり、ツヤなど実に様々で、観るひとを飽きさせない。訪れた人は石ころを手にとっては「これは目玉焼きの化石」だの「地球」だの、それが何に見えたかあれこれ言ってみるのだ。


 陶器の石ころに限った話ではない。

 激しい波の侵蝕を受ける日本海の海岸には、いったい何がどうしたらそんな形になるのか、といいたくなるような奇岩がそびえたつ。佐渡島には、海を眺めるモアイ像のような奇岩があり、人面岩とよばれる観光名所になっている。

 岩は、波の侵蝕や自然災害などによって少しずつその姿を変えていく。しかし、風に流されてほんのわずかな間に形を変えてしまう雲と比べれば、ほとんど同じようにずっとそこにある。


 自然とは、そういえば、そういうものだった。

 それが何とは知らないままに、家に見えるとか犬に見えるとか、何かに見立ててきた。誰かがつけたユニークな名前を知ると、同じものを見ているのにこんなことを連想したのか、と面白くなってしまう。


 以前、同じオリオン座三つ星でも、オリオンのベルトや、親しみのある農具の唐鋤、物語に登場する3人の男たちなど、いろいろな「ひと揃え」の見方があると書いた(第10回)。

 オリオン座は、ミンタカ・アルニラム・アルニタクという3つの星を含めた星座として、世界的に広く知られた星座であることは間違いないが、「3人の男たち」の地域ではまったく知られていない。日本では唐鋤やみたらし団子に見立てる地域もあるが、後者はともかく前者はそれだけ聞いても正直なところ想像がつかない。3人の男たちなど、そもそもの物語を知らなければわかるはずもない。

オリオン座とオリオン大星雲(M42)

(国立天文台「ほしぞら情報」2023年2月より)


 見立てられた名前というのは、どちらかといえばある一定の地域やコミュニティのなかで用いられるものであるらしい。そうして地域で知られてきた名前のうち、たまたま世界的に知られるようになったものがあったり、他地域(他文化圏)の者からしても分かりやすいものがあったりするだけで、結局のところ調べものやフィールドワークをするなかでは「その地域では大体この名前」と覚えてきた。


 だから、忘れていたのだ。

 そもそも人は自由に自然物をなにかに見立ててきたということを。

 そうして名づける星が、まわりの誰かと同じものでなくてもよいということを。


 インドネシア・バンガイ諸島の夜の杭上集落で、漁師のオチェが「あれは帆の星だよ」と教えてくれたことがあった。


 「ほら、あそこに4つ輝いている星があるだろう。あれがそうだよ」

 「ええー、どの4つ? 全然わからないよ…」

 「よく見るんだ、ほら」


 オチェは私を引き寄せて「帆の星」を指さすが、際立って光っている星があるようにも見えなかった。


 そうしているうちに近くのひとが「あれが帆の星だよ、ほらあの星の下の……」とまた指をさした。でも、それはオチェの言っていた「帆の星」ではないようだった。

 このおじさんが間違えているのか、オチェが間違えているのか、それとも指さした先を私が見間違えているのかもしれない。


 するとオチェは、さもあたり前かのように言った。


「帆の星は、ひとによって違うのさ。みんなそれぞれに思う星があるからね」

「そうなの? どの「帆の星」も4つの星がこう並んでいるの?」

「そうだな。大きかったり小さかったり、3つくらいしか見えなかったり、そういうことはあるだろう」


 オチェの話では、漁師がまだ帆船で今よりもずっと長い距離を移動しているころ、みな星を頼りに方角を探していたのだという。漁師たちはそれぞれ目指す方向の星をいつも観察して、そこで自分なりに4つの星を見つけて「帆の星」と呼んできたのだ。

 この村では少なからぬ星の名前が知られているが、当然ながらどれも一意的なものだ。それが「帆の星」だけは、それぞれが好き勝手に見つけて、自分だけの「帆の星」として覚えているらしかった。


 オチェの話を聞きながら、そのときは正直なところ(なんて分かりにくいんだ、書きにくいし)と思った。誰に聞いても「あれがそうだ」「いやこっちだ」などと違うことを言うし、指さした空を同じ目線で見ようとしてもなかなかその人の思う4つの星が探せなかった。


 

 あの桟橋の夜からもう何年も経つが、ふとしたときにオチェの「みんなそれぞれに思う星があるから」という言葉を思い出す。インドネシアの、バンガイ諸島タミレ村のサマ(バジャウ)人という「かれら」、漁師という「かれら」。「かれら」が知っている星の名前は、知っている/知らないはさておいて、共有されているものだと思いこんでいたのだ。


 また、あの日の最寄駅のオリオン座を何度も思い出す(第1回)。今日もオリオン座しかわからなかった、天文少女にはならなかった(なれなかった)、と思ってしまうのは、親しみのない自然科学的な「記号」の前に足がすくんでしまっていたからかもしれない。


 岩や山を何かに見立ててきたように、自分だけの「帆の星」を見つけるように、私だけの星を結んでみるのもよかったはずなのだ。もちろん、身近な自然から科学にふれたり、地域の天文文化にふれたりすることは大切なことだ。けれど、好き勝手に何かを想像したり見立てたりして名前をつけて愛でることも、個々それぞれの星の文化なのではないか、と思ってしまうのは、夢を見すぎだろうか。

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