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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第12回

プラネタリウムが映すもの

中野真備


 大学3年生の頃からほんのしばらくの間、東京大学の天文部に所属していたことがある。

 流星の伝承を集めたり、イカ漁師の天体知識を調べたりしているうちに、そもそも自分が天体のことをよくわかっていないことに思い至って、気軽にどこかで勉強してみようと思ったのだ。活動場所が自宅から近く、インカレで年間を通して新入部員を募集しているというのもありがたかった。

 1、2年生中心のサークルということも知らずに、3年生の5月という実に微妙な時期に飛び込みで入部した。天体観測の合宿に参加したり、プラネタリウム製作にちょろっと参加したりしたが、結局そのあとは幽霊部員となってしまった。まったく活動に貢献していなかったので、このときのことを書いたことはほとんどない。


 幽霊部員になったのは授業や実習、卒業論文(天文民俗)のための資料収集や調査、その費用を工面するためのアルバイトが忙しくなってきたということが大きかった。一方で、それを押してでも精力的に参加する、ということにならなかったのは、天文学と天文民俗学の隔たり、つまり自然科学やその教育としての天文と、人々の民俗文化としての天文の間の隔たりを感じたからだったのかもしれない。


 星の和名や伝承を多数書き残した野尻抱影は五島プラネタリウムを運営していたし、現在も精力的に全国の星の和名収集をおこなっている北尾浩一もプラネタリウムの解説等に携わった経験がある。私自身が天文関係に造詣が深くないだけで、天体観測やプラネタリウムが好きなひとは星の文化にも興味があるのだろうと勝手に思っていた。


 もちろんこれは天文部だけでそう感じたわけではなく、大学3年生から4年生にかけて、勉強のつもりで近場のプラネタリウムを見学したり、天体観測などに関心のあるひとの話を聞いたりするなかでも感じていたことだった。


 プラネタリウムで投影・解説される星座のほとんどは、国際天文学連合(International Astronomical Union:IAU)で定められたものだ。日本では馴染みのない動物や道具をモチーフにしたものも多い。解説では、どの星が何座なのか、身近な空ではどの季節の何時頃に何座が見えるのか、西洋ではどのような神話や伝説があるのか、ということがよく取り上げられる。

 日本の文化に引きつけて、織姫と彦星の七夕伝説や、星(座)の和名が紹介されることもある。しかし、逆にいえばそればかりであって、ほんのすこし昔、あるいは現在でも伝承されているような星の文化はなぜプラネタリウムでは出てこないのだろうと不思議だった。


 ただ、恥ずかしながらこれは私の勉強不足でもあった。

 たしかに数でいえば決して多いわけではないが、郷土の歴史や地元の伝承、広義には日本やアジアの星の文化に注目したユニークなプログラムを意欲的に制作、上映しているプラネタリウムもある。


 たとえば大阪市立科学館プラネタリウムは、90年代初頭にすでに郷土の歴史にふれたプログラム「なにわの天文昔話 先事館・寛政五年の事始め」(解説No. 8、1991年1月5日〜2月28日)を上映している。

 日本における天文学の近代化を、地元の私塾「先事館」における天文と暦の研究からたどるものであった。1989年に開館して間もない時期ということをふまえると、当初より日本の/在地の天文学(史)や文化にも目が向けられていたことがうかがえる[大阪市立科学館Webサイト]。


 さらに「安倍晴明のみた星—平安時代の星と天文—」(解説No. 69、2006年12月1日〜2007年2月28日)では、当時の「天文学者」たちがどのような星座を描き、星を見て何を描いていたのか、どのような宇宙観だったのかということを取りあげる[大阪市立科学館Webサイト]。


 先事館や安倍晴明の天文学が、いわば国家プロジェクトとしての天文学であるとすれば、一般民衆がどのように星や宇宙を理解していたのかということは、民衆の天文学であり、天文の民俗学である。朝廷の要人や学者たちが星を見ていたのと同じように、世界のどの地域であっても、いつの時代も人々は星を見ていた。


 こうした「ふつうの」人々の語りついできた文化を取りあげたものが「アジアの星と神話」(解説No. 85、2010年12月3日〜2011年2月27日)で、日本や中国、ベトナム、インドなどアジア各地の豊かな星の伝説・神話が紹介された。これは2009年の「世界天文年」を記念して発足した「アジアの星・宇宙の神話伝説プロジェクト(Asian Myths and Legends of Stars and Universe)」の協力を経て制作されたものだった[大阪市立科学館Webサイト]。


 このような動きは、日本各地のプラネタリウムで近年ますます増えているようだ。プラネタリウムに限らず、天文台の職員自身がその地域の星の和名や伝承を収集した本なども出てきた[千田 2015]。


 プラネタリウムは、宇宙や天体の誕生、衛星、星座、天文学史、世界の神話や伝説、そして身近な地域で伝承されてきた天文民俗など、多くのことを鑑賞者に伝える。プラネタリウムで天文の民俗が上映されるということは、天文教育という枠組みで捉えることもできる。


 しかしまた別の視点からみれば、天体をめぐる近代科学的な知識と在来の知識が混在する場でもあるし、キトラ古墳から七夕伝説、天体観測、宇宙ステーションと、人類と天体・宇宙をめぐる遥かなる歴史が(再)解釈される場でもある。


 今やプラネタリウムは、単なる理科教育の場にとどまらない、科学技術社会論(Science, technology and society:STS)や、博物館や展示をめぐる人類学にも通じる実践が模索される場であるのかもしれない。


 

引用文献

大阪市立科学館 「今までのプラネタリウム」<https://www.sci-museum.jp/planetarium/outline/archive/>

(2024年6月24日最終閲覧)

千田守康『ふるさとの星 和名歳時記』(河北選書) 河北新報出版センター 2015年

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