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星の林に漕ぎ出でて—私の天文民俗学 第11回

古酒かガスマスクか

中野真備


 先日、ある天体イベントに参加したときのことである。

 それはハレー彗星が太陽から最も遠い位置(遠日点)、つまり地球へ回帰する折り返し地点を通過したことを記念する催しだった。

 占星術研究家の鏡リュウジ先生にお誘いいただき、カチコチになりながら都内某所のホテルに向かうと、最上階の宴会場には実に100名を超える天文愛好家たちが集っていた。


太陽系天体の軌道概略図 [国立天文台(NAOJ)Webサイト]

 ハレー彗星は、75.32年周期で地球に接近する短周期彗星である(上図参照)。近日点に達すると地球から肉眼でも観ることができるので、彗星のなかでも一般によく知られている。

前回地球に接近したのは1986年2月。観測条件は決して良くなかったが、一生ものの機会を逃すまいと天文学者や愛好家だけでなく世間が沸き立ち、大きな話題をよんだ。


 ちなみに私はこの当時、まだ生まれてもいなかった。

 物心ついたころに買い与えられた子供向けの図鑑には、太いチョークを勢いよく走らせたような青白い尾を引く彗星の写真—これが1986年に観測されたハレー彗星だったのだろう—が、見開き1ページに大きく掲載されていたことを覚えている。


 その下に小さく「次に観測できるのは◯◯年だといわれているよ!」などとポップな文字が踊っていたような気もするが、あまりに遠い未来だったので具体的な数字は忘れたまま、夢物語になっていた。



 話をもどそう。

 その程度の関心しかなかった私が大学生になってから流星や彗星の伝承を集めたり、さらに数年後にはハレー彗星のイベントになぜか参加していたりするのだから、未来は何があるかわからないものだ。

 ひしめき合う人の多さ、それも天文愛好家や名だたる天文学者ばかりの空間で完全に場違いだった私は、緊張のあまり酒と箸を握りしめるしかなかった。

 いそいそとドリンクカウンターに行くと、少し離れたところに小さな紙コップが並んでいるのが目に入った。よく見ると、親切な参加者から提供されたウイスキーのようだった。


 その名も「コメット・ハレー・ウイスキー」。

 1986年のハレー彗星観測記念ボトルとして4本組で発売された大古酒である。


コメット・ハレー・ウイスキー

(横で顔を真っ赤にした天文愛好家たちがショットを掲げていたが、トリミングしておいた)

 


 写真上部をよく見てほしい。丁寧にも、当時の広告が貼られている。


—よりインテリジェンスに飲(や)ってみませんか—


 たまらない謳い文句である。


 その下には、提供者と思われる方の手紙が貼ってある。


「家の押し入れから38年前の「ハレー彗星ウイスキー」が2本出てきました。遠日点通過記念に1本開封します。ただし人数が多いので、他のウイスキーを足しました。(老舗うなぎ屋のタレ方式)あと1本は2061年に開封しますので、そのときはまたみんなで飲みましょう!」


 老舗うなぎ屋のタレであり、テセウスの船でもある。

 いずれにせよその大変貴重な4本のうち1本を大盤振る舞いしてくださるとは、今日こそが開封するときとの思いなのだろうか。ハレー彗星の記念と興奮を共有できるならば、天文ファンとしては本望なのかもしれない。



左から彗(シャア)、箒星、コメット・ハレー・ウイスキー

 カウンターには他にも彗星にちなんだ酒が並ぶ。

「彗(シャア)直汲み」は、「彗星のごとき鮮烈な印象と余韻 一度飲むと忘れられない味わい」をキャッチフレーズに、モンドセレクション金賞を受賞した日本酒である。

 完全に赤い彗星のアイツからとられている。


 他に、1858年に発見されたドナティ彗星、1969年に発見されたベネット彗星などをモチーフにした商品、これらとは一線を画すという意味でメテオライト(隕石)という商品もあるらしく、この日はハレー彗星が提供されていた。


 さらに、この日の記念品として参加者に配られた品のなかには「ハレーすいせい」というお茶があった。ハレー彗星が回帰した1986年に「次に回帰する76年後も愛され続けるお茶でありますように」と、願いが込められているという。


 ハレー彗星にまつわるドリンクというだけで、これだけの品々があるとは驚きだ。どれもまたロマンに満ち、何十年も前のこと、そして何十年も先の未来に想いを馳せる。

 周期性、それも一生に一度、運がよければ二度も観測できるという短周期的な現象が人を惹きつけ、また記憶に残っていく。

 約76年ごとに現れ、夜空を切り裂くかのごとく尾を引いて流れる彗星は、いつの世もそうして回帰を繰り返してきた。


 ところが、それは必ずしも感動をもって受け止められたわけではなかった。


 前々回、つまり1910年5月のハレー彗星接近時、世界は不安と混乱に満ちていた。

「地球はハレー彗星の尾に含まれる有毒ガスで覆われ、地球上の生物はすべて窒息死する恐れがある」というフランスの天文学者カミーユ・フラマリオンの説を多くの人々が信じていたという[NATIONAL GEOGRAPHIC]。


この世の終わりを唱える人々を皮肉る当時のフランスの風刺画 [NATIONAL GEOGRAPHIC]

 彗星の有毒ガスから身を守るためのマスクや“彗星薬”なるものが飛ぶように売れ、特にローマでは酸素吸入器具もよく売れた。地球がハレー彗星の尾を通過する間、瓶詰めの空気を吸って生き延びようとしていたという[NATIONAL GEOGRAPHIC]。


 さらに同じ頃にインフルエンザが流行し、ウイルスの存在が分かっていなかった当時は感染症や疫病とハレー彗星を関連づける考えかたもあった[赤沢 1924]。

 日本国内でもさまざまな風説が飛び交ったが、他方であれもこれも彗星を災難の元凶とする見方に疑問を抱いている資料も残されている。


はれー彗星の現出について人々の注意をひき居候、英帝の崩御、青森市の大火、何でもわるい事は皆此の彗星の所為にいたし居り候、彗星もよい災難かも知れず候、

1910年(明治43年)5月10日 麻生家文書 う-307[原口編 2022]


 1910年のハレー彗星接近に伴って不安や混乱が生まれたのは確かだが、それが当時の人々の全体像というわけではなかったようだ。



 しかし20世紀後半になると、ふたたび次のような伝承が語られる。


「帚星(彗星)が出ると戦が始まる」

岩手県教育会岩手郡部会『岩手郡誌』臨川書店 1941

 

「彗星が出れば伝染病がはやる」

岩手県 水沢市史編纂委員会『水沢市史』6民俗 水沢市 1978

 

「帚星が近く光って見え晴れたときは地震がある」

宮城縣『宮城縣史』20民俗Ⅱ 宮城縣史刊行会 1960

 

「むかし、ほうき星が出たときには、石の鳥居のあるところをまわれといわれた。そのときは、戦争が起きるというので、弁当持ちでまわった。ほうき星は、六十年に一度出るといわれた。ほうき星は、西の空に出るといった。出始めると毎晩出るという。この話は、明治の末か大正の初めころのことで、そのころは、大変不景気であった。若い衆が自転車に乗って、鳥居のおまいりをした。石の鳥居をまわって、鳥居のところに、にぎりめしを置いてきたという」

群馬県太田市『太田市史 通史編 民俗(下巻)』太田市 1985



 流星と彗星は、人々にとってどれだけ異なるものなのだろうか。天文学的な知識をもっていたり記録したりするのでなければ、いずれも予測不可能な天変地異である。

 確かに流星は、吉兆であるとともに凶兆でもあった(第1回)。

 ところが彗星が吉兆であるとか、こういう動作や唱えごとをすれば願いが叶うといった伝承もほとんどみられないのだ。私の知る限りでは、全国の彗星(箒星)の俗信70例のうち心願成就に至るものは1例のみで、それ以外は上記のように戦争や伝染病、災害など、規模の大きな災難にかかわるものだった。


 今日、ハレー彗星の接近はちょっと検索すれば出てくるような、予測可能な天変地異になった。

 ガスマスクは買わないし、鳥居ににぎりめしは置かないし、彗星がほとんど遠日点を飛んでいてもコロナウイルスは流行った。それどころか記念のウイスキーが発売された。


 それでも75.32年という月日は長い。近代以降、科学がますますその権威を高めていく一方で、人々の理解や「なんとなく感じている」感覚までもが画一化の一途をたどるとは限らない。

 いまは思いもしないようなジンクスや縁担ぎが出てきたっておかしくはないのだ。



 あのウイスキーは、実にキツかった。


 ハレー彗星が次に地球に接近するのは2061年7月。私が生きていれば約70歳になっている。


 この日の鮮烈な味を、彗星の接近とともにまた思い出すだろうか。

 古酒かガスマスクか。次の回帰は、我々に何を思わせるだろう。


 

引用文献

赤沢義人編「疫病は彗星から来るか」『新しい発明及発見』pp. 195-197 大明堂書店 1924

<https://dl.ndl.go.jp/pid/961238/1/107> 2024年4月20日最終閲覧.

原口大輔編『「麻生家文書」とその世界』pp. 26 九州大学附属図書館附設記録資料館 2022

NATIONAL GEOGRAPHIC「ハレー彗星、繰り返される終末説」

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