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幸せのありかを探して 第7回

日本語教育にたどり着いた理由


川口真子


 第6回の記事では日本語教育との出会いからブータン王国への赴任について書いたが、今回は、私が日本語教育という道を選んだ理由について、もう少し深く話したい。


 そもそも、教育について全く興味がなかった私が最終的に一般企業ではなく日本語教師の道を選んだ理由は、少し消極的だった。

 周りに倣って就職活動を始め、片っ端から企業にエントリーしてはいたものの、どの企業、どの業種でも、自分が働いているイメージが全く浮かばず、ただ悶々と過ごしていた。当時の私が目指していたのは、「幸せ=笑顔を生み出す仕事に就くこと」だった。会社の大小や仕事の大変さよりも、私がした仕事から幸せ=笑顔を生み出すことができる仕事に就きたかった。

 しかし、企業訪問をすればするほど、社員と話せば話すほど、私の目標とのギャップがどんどんと広がってしまうのを感じ、思い切って1年目の就職活動を諦めた。


 一般的な社会活動の中では、私が求めているものは得られない。


 ある日、自分の中でそんな結論が出てしまった。そして、同時に「外の世界を見たい」欲が湧き上がってくるようになった。そんな経緯が第6回記事冒頭の留学の話へと続いている。


 とはいえ、日本語教師という仕事を選んだ理由は何なのか。

 1つ目の理由は前回記した通り、大学で参加した海外留学のプログラムが日本語教育プログラムだったことである。そして、もう1つが、「幸せ=笑顔を生み出している」と実感できるスピード、頻度、熱量が他の仕事に比べて魅力的だ[t1] と思ったからだ。初めは、国際ボランティアも考えた。しかし、ボランティアとなると、専門的な技術が必要だったり、活動拠点が制限されたりしてしまうことが多い。また、ボランティアとなると、その活動に関わる全ての人が必ずしも「幸せ」を感じてくれるかどうかは分からない。

 しかし、日本語教師はどうだろう。私の中で「幸せ」の量りは、「笑顔」だ。作り笑顔ではない、純粋な笑顔。日本語教育の現場に立つと、その純粋な笑顔を溢れんばかりに受け取ることができる。もちろん、こちらも相手の顔色や様子を伺いながら、「どんなことを教えたら、話したら、紹介したら、笑顔になってくれるだろうか」と考えながら1日の授業を組む。一見楽そうに見えるが、学習者の進度や理解度に合わせて日々教材や内容をアップデートしなければならないので、なかなかに大変な仕事だと思う。しかし、私にとっては、そんな時間も幸せなのである。また、日本語教育の技術がある程度身についていれば、今の時代、どこへ行っても教えられるし、オンラインでもクラスができる。つまり、世界中で幸せ=笑顔が生み出せるのだ。

 そんな理由から、私は日本語教師という仕事を選んだ。


 さて、日本語教育の道に進むと決意してから初めて現場に立ったのは、イギリス・ロンドンだった。当時、参加していた大学の日本語教育プログラムとイギリスの英国国際教育研究所(IIEL)が提携していて、日本語教育の初期段階として、プログラム参加者全員が1か月間、IIELで日本語教育の基礎と実技、そしてイギリスの文化を学んだ。

 前半2週間は全員でひたすらに日本語と向き合った。20年間当たり前のように使っていた日本語が外国語のように感じられるほど、日本語について考え、研究した。

 例えば、どうやって動詞の「~て」の形を作るのか、そこにルールはあるのか、などだ。日本語教師にとっては当たり前の知識だが、当時は自分たちで答えを見つけ出さなければならなかったので、朝から晩まで友人たちと話し合っていたのを今でも覚えている。2週間で基本的な知識と、授業の組み立て方を学んだ後、後半2週間で実技、模擬授業を行った。プログラムの参加者は30人弱程度だったが、そこから5、6人組のグループに分けられ、それぞれのグループに1つずつクラスが任された。私たちのグループは、初めて日本語を学ぶグループだった。模擬授業は、最初の2回は3人で60分のクラスを、3回目は1人で60分のクラスを担当した。また、近隣の学校へ出張授業をしに行く機会もあった。


 IIELの日本語クラスのルールは、媒介語(英語)を使わないことだった。IIELには色々な国籍の人が学びに来ているので、日本語だけで日本語を教えるのだ。

 私たちのクラスは初めて日本語を学ぶ人たちだったため、クラスが始まる前は、クラスが成り立つかどうか、非常に心配だった。しかし、ひとたびクラスが始まれば、各自準備したオリジナルの教材のおかげもあり、しっかり学習者に伝えることができた。「日本語だけで日本語が教えられるんだ!」その時の感動は、今も忘れられない。

 また、近隣の学校の学生たちに日本語のクラスをしたときは、ゲームや活動なども準備して、より日本や日本語について興味を持ってもらえるように、何度もグループで話し合い、IIELでのクラスとは違ったクラスを作り上げることができた。最初はお互いに遠慮がちだったが、徐々に意見交換が活発になり、日に日により良い内容になっていくのが感じられた。


 このように、時に議論し、時に支え合いながらクラスを作り上げた友人たちと過ごした時間、そして、学習者を笑顔にできたときの喜びは、一生心に残しておきたい思い出だ。

 IIELでのクラスの最終日は、挨拶もできなかった学習者たちが一人ずつ、手紙を書いてメッセージを送ってくれた。日本人の友人と少しでも日本語でコミュニケーションが取れるようになったのが嬉しい、日本のアニメの中に知っている言葉が増えて、もっとモチベーションが上がった、日本人の同僚に褒められた、早く日本へ旅行に行きたい、など、前向きな言葉ばかりで、それを聞いた私たちも幸せな気持ちになった。

 

 このロンドンでの1か月は、私の日本語教師人生の第一歩であり、とても重要な1か月だった。今どんなに大変なことがあっても、この時のことを思い出すと、初心にかえることができ、また、励まされる。

 

 今の私は、8年間私の授業を受けてくれた学習者たちの笑顔の上に成っていると思う。

 そんなみんなの笑顔に恥じないように、今日もまた新しい笑顔=幸せがあふれるようなクラスを作っていきたい。


人生で初めて作った教材は初々しいです。

1週間共に頑張ったグループの友だちと。

参加してくださった学習者のみなさん。今でも連絡を取っている人も多い。

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