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幸せのありかを探して 第14回

  • 川口真子
  • 8月18日
  • 読了時間: 5分

食習慣から学ぶブータン王国での仏教

川口真子


 今回は、ブータン王国で感じられる身近な仏教的な取り組みについて共有したい。


 ブータン王国は、人口のおよそ75パーセントが仏教徒、そして、残りのほとんどがヒンドゥー教徒、ほんの少数であるが、ボン教徒やキリスト教徒も存在する。宗教の信仰は自由であると規定されているものの、国教は仏教であり、日常生活の中に仏教的思想や要素が散りばめられている。仏教的な日は休日になっているし、学校でも仏事が行われることも多い。

 老若男女問わず、朝晩にはチョルテン(仏塔)を読経しながら回る姿、各家に必ず1部屋は存在する仏間、暇ができるとSNSで法話を聞く様子など、今では私にとっても当たり前になっているが、日本人にとってはなかなか珍しい光景が日常に広がっている。

 そんな仏教と密接な日常生活の中で、私が特に「仏教」を感じる瞬間がある。それが、食事のシーンである。


肉なし月の期間には、いつも以上に唐辛子が大活躍だ
肉なし月の期間には、いつも以上に唐辛子が大活躍だ

1.「肉なし月」

 「肉なし月」はブータン人にとって最も神聖な期間で、年に2回ある。チベット仏教の暦で1か月目、Daw Dangpa(ダウダンパ)と呼ばれるお正月後の1か月と、4か月目のSaga Dawa(サガ ダワ)である。

 仏教の教えでは、これらの期間に功徳を積むと特に良いとされている。修行や瞑想と言った専門的なことでなくても、人に親切にしたり、思いやりの心を持ったり、自制したりといった小さなことでも良い。この期間に普段以上に意識することで、将来に良い影響がもたらされるそうだ。一方で、悪いこと、例えば人を傷つけたり、動物に危害を与えたり、嘘をついたりした場合、その何倍もの影響が自分に返ってくる。

 「肉なし月」の時期にどんな取り組みをするのかは、個人によるところが大きいが、ブータン王国は、国全体での取り組みとして、国内での動物の殺生及び食肉の販売の1か月間の停止を義務付けている。町中の肉屋は全て1か月間休業、スーパーの冷凍肉が置いてある冷凍庫も全てかぎがかけられるほどの徹底ぶりである。最近は輸入されたツナ缶やイワシ缶といった缶詰の魚は売る店も出てきたが、以前はそれすらも店に並べられなかった。

 私がブータン王国に来た当初は、この1か月間がとても長く感じられ、「肉なし月」が始まる前に肉を買い占めて冷凍し、家でひっそりと調理したり、ホテルのレストランなどへ行って、観光客に交ざって肉料理を食べたりしていたが、最近は、さほど気にならなくなってきた。日本にいれば、毎日新鮮な肉や魚がすぐに食べられるが、ブータン王国では、そもそも国内での殺生が禁止されているため、肉や魚はインド側から届けられる。日によっては、飲食店が買い付けてしまって、売り切れてしまっていたり、あっても新鮮でなかったりする場合もあるので、自然と「肉を買う」という行為が減っていった。そして、3年前に首都から地方に引っ越してからは、肉屋が近所にない、という理由から、自分で肉を買う機会が完全になくなった。以来、肉への執着心が驚くほどなくなったのだ。その反動なのか、日本へ帰ると、おいしい魚と肉がいつでも食べられるので、箸が止まらなくなってしまうのは、ここだけの話である。


2.食事前の供物

 「供物」というと少し仰々しいが、適切な日本語が思い浮かばなかったため、許してほしい。ブータン人と一緒に食事をするとき、何かを食べたり飲んだりする前に、自分が口にするものを少し地面に振りまく仕草が見られる。(たまに近くの犬や猫にあげる人も見かけるが……。)

 初めてこの行為を見たとき、食事に何かゴミでも入っているのかと思ったのだが、あまりにも多くの人が同じようにしているので、何だろうと思っていた。すると、私が不思議に思っているのに気がついたのか、ブータン人の友人が、「これは仏様とか、神様にお礼しているんだよ」と教えてくれた。食事に感謝し、お礼として大地に返す、というのが元々の意味らしい。教室の中でも、学生が買ってきたペットボトルの水を飲む前に少し地面に垂らす姿が見られる。お寺などに行かなくても、こんなふとした場面で、仏教の教えが実践できるなんて、便利だな、と思った。そして、これは気軽にできるので、私もついついやってみたくなってしまう習慣だ。


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一般的なブータン料理は米があるため、米を少し手に取って、丸めて飛ばすことが多いが、

汁物系でも指先にちょこっとつけて、飛ばすらしい


 日本では、初めて「いただきます」、「ごちそうさま」を教えてもらったとき、その意味が作ってくれた人への言葉だけでなく、食材への感謝の言葉であるということを学んだという人も多いだろう。私は、日本語教師になってから、この「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉が一層好きになり、その意味を世界中の人に知ってもらいたいと思うようになった。しかし、日本語教師になる前、特に学生時代は、「いただきます」「ごちそうさま」の意味を忘れ、ただ形式的に言っていたような気がしてならない。きっと、私のような人は多いだろう。特に仕事や家庭が忙しく、慌ただしく食事を取っている人は、毎食「食材への感謝」を考えている時間などないかもしれない。だからこそ、私はこのブータン王国の「肉なし月」や食事前のお供えを知って、人々に食材となる生き物への感謝を胸に刻む良い取り組みであり、習慣だと感じている。


 ブータン人が当たり前に食に感謝する姿を見て、私も「食べる」ことが当たり前なのではなく、食べられることに当たり前に感謝できる人であり続けたいと強く思う。


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