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幸せのありかを探して 第11回

変化の中に残したいモノ


川口真子


 前回の記事では、ブータン王国の中につくられる経済特別区、Gelephu Mindfulness City(GMC)について紹介した。

 10月1日から3日間、国際的な経済学者や起業家たちが集まったフォーラムも開催され、革新的、且つ現代的なアイディアと計画が紹介され、ますます注目が高まっている。


(Bhutan Innovation Forum 2024 Facebook pageより)

 しかし、ブータン王国の人々と話していると、反応は二極化しているように感じている。

 海外経験者や若者たち、特に首都周辺で生活しているような人々は、GMC関連のニュースを追い、今後の開発、発展を非常に楽しみにしているようにしている人が多い。一方で、地方に住んでいる人々、特に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれる世代にとっては、別世界の話のようで、あまり興味がない、あるいは「GMC」という言葉は分かるが、中身は分からない、という状況だ。

 実際、GMCはGelephu(ゲレフ)と呼ばれる地区の開発なので、他地域の人々が関心を持てなくても仕方がないとは思うが、ブータン王国の経済が回復するかどうかがこのプロジェクトにかかっていると言われているため、国王や政府は各地に(時に海外にまで)足を運び、国民たちに理解と協力を促している。


 このGMCの成功で、最も懸念されているのが、Gelephuと他地域の格差だ。経済的な格差はもちろん、価値観の格差も広がるのではないか、と心配されている。既に海外居住者や若者の中には、「ブータンはかっこ悪い。海外(彼らの言う海外はいわゆる先進国だ)の生活のほうがいい」という人が増えている。

 私はそれを批判したり、悪く言ったりする権利はないし、したいとは思わない。しかし、ブータン王国での生活も、先進国ではなかなか見られない良さがある。

 一番は、このコラムでも何度も書いているが、何といっても、他人との距離感だ。国が発展すればするほど、他人との距離感は広がってしまうが、ブータン王国の人の他人との距離感は、なかなか他の国の人は真似できないだろう。


 最近、改めてそれを感じたのは、タクシーに乗ったときのことだ。ブータンでは、乗り合いは当たり前で、地方から首都の町に行くときは、5人乗りの車(大体Muruti Suzukiの小さい車が多い)に5人集まるまで待ち、それから出発する。早く行きたくても、1人で行くと、その分料金が高くなるため、30分~2時間待って出発するのだ。人見知り気味の私が一番乗りのときは、その待ち時間は寝るか、携帯を見るか、して過ごすことが多いのだが、既に誰かが乗っている場合は、そうはいかない。乗車してすぐ、「あなた、ブータン人じゃないの?」から始まり、それからずっと質問の嵐。また一人乗客が増えると、その乗客への質問が始まり、そこから会話。10分、いや5分経てばもう家族のような雰囲気で、持っているお菓子や果物をシェアしたり、写真を見せあったりと、アットホームな雰囲気になる。この時点で、だいたい乗客のだれかとだれかが知り合いの知り合いであることに気付き、さらに盛り上がる。

 ここ2,3年は、私の知り合いの知り合い、である確率も高まってきて、「ああ、私もブータンコミュニティに染まってきているな」と感じている。

 日本ではありえないが、ブータン王国は小さい国であり、人と人とが近いからこんな奇跡も普通に起こるのだ。


(同乗者がおばちゃまだと、果物をくれる率が高い。ちなみにこれはサトウキビ。)


 また、この国の人々は生来心が広い。良くも悪くも「マイペース」なのだ。私がまだブータン王国に来たばかりのときは、この「マイペースさ」が許せなかった。仕事は進まないし、物事が二度手間、三度手間だし、どうしてもっと効率よくできないのだろう、と日々思っていた。しかし、今ではこの「マイペースさ」が心地いい。

 今回はタクシーでの場面を例に挙げているので、タクシーで見られる「マイペースさ」について話すと、例えば、すれ違いに知り合いのタクシーが通りかかったとき、車を止めて会話を始める。たとえ、後ろに車がいたとしても、だ。クラクションを鳴らされそうに思うが、きっとだれもがすることなのだろう。だれもクラクションを鳴らさない。また、運転手にかぎらず、一緒に乗っているだれかが道中で寄り道したい、休みたい、と言えば当たり前に止まるし、お腹が空いて、30分くらいレストランに行ってしまうこともある。でも、だれも文句は言わないし、止めた人も変に恐縮しない。ついさっき会ったばかりなのに、こういうことができるのが、羨ましく感じるのだ。

 たまに日本へ帰ると、周りに気を遣いすぎて疲れることが多い。友だちと会うときでさえ、「遅れないかな」「疲れていないかな」など、つい考えてしまうし、店内や電車などでは、何か迷惑なこと、間違ったことをしていないか、周りの目が気になりすぎてしまう。


「どうして、こんなに長くブータン王国に住んでいるの? 日本に帰りたくないの?」とよく聞かれる。

いつも「ここでの生活はComfortableだ(居心地がいい)から」と答えるのだが、最近、その”Comfortable”の理由が分かってきた。

 日本で生活すると、「ミスをしてはいけない」という一種の強迫観念のようなものに、つい駆られてしまう。数か月の一時帰国の間でさえ感じるのだから、日本で生活している人は、きっと、ものすごい緊張感とストレスを抱えているはずだ。あるいは、もうその環境が当たり前だから、耐性がついているのかもしれない。

 だれもがミスをするはずなのに、他人のミスが許せないから、他人への視線が鋭くなってしまう。そして、おのずと自分へも厳しくなってしまうから、息苦しくなってしまうのだ。

 大学時代の私も同じだった。当時所属していた部活では、責任感から自分にも周りにも、どんどん厳しくなって、ついには体調を崩し、笑えなくなってしまった。

 だから、私はブータン王国へ来て救われたと感謝している。今でもまだ人に気を遣ってしまうけれど、適度に他人に甘える「マイペースさ」は習得できた。そして、何より他者への寛容さが身につけられて心が穏やかになった。


 自国、自文化の良さは、一度外へ出て見ないと分からないものだ。私も海外に出て初めて、日本の良さが理解できた。だから、ブータン人の若者たちにもぜひ外に出て、見てみてほしい。

 GMCの開発ももちろん楽しみだが、古き良きブータン王国の文化、習慣も忘れずに残しておいてほしい、と一外国人は願っている。

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