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幸せのありかを探して 第6回

「故郷」での仕事


川口真子


 今回は私がブータン王国で仕事を始めたきっかけについて、話したい。


 第5回の記事の通り、すっかりブータン王国に魅了された私だが、元々ブータン王国で生活したいと思っていたわけではなかった。


 大学4年間、体育会系の部活に没頭しながら、学部のゼミでブータン王国の政策について、細々と研究していた。それと同時に、海外に行ってみたいという単純な気持ちから、大学の「日本語教育プログラム」に参加した。当初は「日本語教育」について、ほとんど知識がなかったが、そのプログラムの「2か国で教育実習を行う」という部分に惹かれて、軽い気持ちで応募したのだ。しかし、いざ「日本語教育」について学んでみると、日本や日本語に興味がある人、あるいはまったく知らない人に、自分の力だけで伝えられることに魅力を感じ、必死に学んだ。そして、無事に2度の海外での教育実習を終え、時間ができたところで、ブータン王国を訪れた。元々、ブータン王国には1つだけ日本語学校があると知っていたので、さっそく見学させてもらいに門戸をたたいた。


 私の教育実習は、イギリスとオーストラリアで、だれもが日本の文化に触れたことがあったり、日本についてよく知っている学習者ばかりだったが、ブータン王国の学習者は違った。先生以外の日本人を見るのが初めての学習者もいたし、私が発表した日本の生活に関するプレゼンテーションの1つ1つを目を輝かせながら見てくれた学習者も多かった。そんな学習者の姿を見て、「日本で日本語を教えるよりも、海外の、特に日本にあまり親しみのない所で日本語を教えたい」という夢ができた。


 しかし、当時はまだ大学も卒業しておらず、実務経験もほとんどなかったため、すぐに海外で日本語を教えるのは難しいだろうと思った。でも、ブータン王国の日本語学校の方々がオファーをくれ、私は迷うことなく働くことに決めた。


 以来、2015年から2021年までは現地の日本語学校で、2022年以降は、国の組織の下で日本語研修担当として日本語を教えている。もうブータン王国で教え始めて8年が経つが、今も変わらないのは、学習者たちのキラキラとした目である。日本のアニメや映画が流行したこともあり、以前よりも日本について何かしらの知識がある学習者は増えたが、実際に日本の文化を体験したり、日本人と交流したりする機会は非常に限られているため、新しいクラスを持つたびに、日本語を学ぶときのワクワクした表情に出会うことができる。


 そんな環境下で学ぶ学習者たちだからこそ、何でも吸収してくれ、どんなことも楽しんでくれる。私自身も、彼らから学んでいることは多い。携帯電話ですぐに調べられる情報でも、実際に人に聞いて、コミュニケーションを始めたり、失敗を恐れず、覚えたこと、聞いたことを使ってみたりする姿、そして何よりも日本語学習を楽しむ姿は、近年効率化が求められる語学学習においても、大切なステップなのだと実感させられた。


 それ故、私のクラスではとにかく話す機会を多く設けるようにしている。何を話せばいいかわからない学習者もいるし、途中で詰まってしまう学習者もいる。しかし、私は待つ。そして、学習者が何かしら言葉にしたら、全て拾うようにしている。効率的とは真逆のクラス運営だが、彼らの根本に「人との強い繋がり」があるので、多少時間はかかっても、コミュニケーションを通して彼らの日本語力をあげることが実は一番の近道なのだと思う。実際、新しいクラスを始めても、しばらくしてお互いに打ち解けあえば、彼らが日本語を使う機会が増え、どんどんと上達していく。その上達していく姿を見るのも、また私の楽しみの一つである。

 

 日本語教師として、現地の文化を学び、その習慣にあったクラス作りをすることは、私の新しく、大切なポリシーとなっている。いま、私はだれよりもブータン王国の日本語教育について、日本語学習者について知っているという自負がある。そんな私に成長させてくれたのも、ブータン王国の純粋な学習者たちだった。

 

 今では、大学を出て初めての現場がブータン王国でよかったと思っている。そして、これからも、できる限りここで日本語を教えていきたい。





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