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幸せのありかを探して 第16回

  • 2月7日
  • 読了時間: 5分

「伝統文化と現代社会」―「対立」から「融合」へ

川口真子


 ブータン王国にいると、日本にいるとき以上に「伝統文化と現代化」が交錯する場面を目にする。私が学生時代からブータン王国に強く惹かれていた理由も、日本ではなかなか感じられない、「昔ながらの生活」が体験できるのではないか、と期待したからだ。

 しかし、実際に初めてブータン王国を訪れたとき、衝撃を受けた。僧侶はスマートフォンを手に町中を歩き回っているし、音楽はCDではなくデータで聞くのが当たり前、他人とのコミュニケーションはSNSで行うブータンの人々の様子を見たからだ。その一方で、地方へ行けば、浴室がなく、電気も安定していない環境の中で、人々が自給自足の生活を送っている地域もある。さらに印象的だったのは、そんなインフラが十分でない場所でも、村人たちが携帯電話で通話している姿だった。この「伝統」と「現代」が同時に存在する光景に、私はますます興味を持った。


 一般的に、伝統文化と比較して、それらを脅かす現代的な産物は「悪」とされることが多い。国内でも言語や民族衣装といった目に見える独自文化が、特に首都部で薄れつつあることが社会問題として取り上げられ始めている。

 ブータン王国に住む素人の外国人からすると、王族や政府が伝統文化の保護を強く打ち出している間は急激な衰退は起きないだろうと楽観的に考えている部分があるのだが、ブータン王国は中国とインドという二大国に挟まれている小国であり、独自文化を失うことは、国家としての存在意義を失うことにも直結しかねない。隣国シッキムがインドに併合された前例もあるため、国内外の専門家は伝統文化を守る重要性を国民に訴えてきたという背景があるのだ。


 そんなことをもやもやと考えていた年始、1つのニュースがふと目に入った。

 毎年1月2日に祝われるブータン王国の冬至「Nyilo(ニロ)」の習慣が薄れてきているのではないか、という記事だった。

 Nyiloとは、農民が1年の労働を終え、新たな年に備えて休息する1日で、ブータン王国でのお正月の前に祝われる行事だ。グレゴリオ暦の新年と時期が重なるため、若者の中には「New Year」の祝いと混同している人もいるが、日本の「お正月」とは異なる意味合いを持つ。


 このNyiloには、特に西側の地域で伝統行事「Lolay(ロレイ)」が行われる。子どもたちがグループに分かれ、地域の家々や店を訪ね回りながら、歌にのせて新年の幸運や平和、繁栄などを祈るもので、西洋のハロウィーンを思いうかべると、イメージしやすいかもしれない。

 子どもたちは歌う代わりに、家や店の人々から米や肉などの食料を受け取るのが昔ながらの習慣だったが、近年では現金を渡すケースも増えているという。


 Lolayは王宮でも行われており、毎年ニュースで国王一家が子どもたちを迎えて、Nyiloを共に祝う様子が報じられる。ところが、今年は、「その伝統を知らない」、「経験したことがないから、どう対応すればいいのか分からない」と感じる人々が首都で増えているという内容も併せて

紹介されていた。

 Lolayの習慣がない地域から移住してきた人の戸惑いは理解できる。しかし、首都で生まれ育った人ですら、実際に子どもたちが訪ねて来ると、「戸惑う」、「迷惑だ」と感じるという現実は考えさせられる。


(2026年1月2日のLolayの様子 Queen Ashi Jetsun Pema Wangchuck Facebookページより)


 私はこのLolayこそ、ブータン人の強みである「強固なコミュニティー」の象徴だと感じているし、すばらしい習慣だと思っている。だから、この伝統を守り続けてほしい、と願っているが、それは外国人である私の余計なお世話なのだろうか。伝統を残したくても残せない国や地域もある中で、自分たちで手放してしまう様子を見るのは、どうも寂しさを覚えてしまう。

 しかし、この状況は決して他人事ではなく、日本を含め、どの国、どの地域でも、いつでも起こり得る話だ。

 だからこそ、今の状況を嘆くだけではなく、「どうすれば現代社会の中で伝統を残していけるのか」を、私も考えなければならない。


 そもそも、私たちはどれだけ自分たちの伝統文化を知り、理解しているのだろうか。

 情けない話だが、私は日本語教師になり、学習者に日本文化を紹介することで初めて、自分の文化をしっかりと理解していないと気がついた。

 家庭や学校で経験していた季節の行事でさえ、その始まりや1つ1つの意味が説明できず、恥ずかしい思いをした。

 しかし、その経験のお陰で、改めて自分の文化や、当たり前のように思っていた習慣を見直し、学び直すことができた。そして、いろいろ調べてみると、SNSやインターネット上には日本の伝統文化を紹介するコンテンツが溢れていた。

 私は、こうやって若者たちが自分の得意なツールで伝統文化を学び、発信し続ければ、それが完全に失われることはないのではないか、と希望が見えた気がした。


 ブータン王国でも、スマートフォンやSNSは生活の中でなくてはならない物になっている。そんな現代のツールを「悪」として伝統文化と対立させてしまうのではなく、伝統文化を理解、継承していくための手段の1つとして活用していけたら、今まで以上に伝統文化への興味、関心が広まり、保護への動きも活発になりうるはずだ。

 伝統の保護や継承に必要なのは、特別な機材や知識などでは決してなく、彼らの身近にある物をいかにツールとして活用できるかといった、彼らにとっては新しい視点やアイディアを発信し続けていくことなのだと思う。

 国も、世代も、ツールも関係なく、それぞれがそれぞれにできることをして、末永く伝統文化を守り続けていきたいと強く願っている。

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背景画像:「精霊の巌」彩蘭弥

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