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島々の精神史 第8回

ホ短調の心臓音

辻 信行


 「あの先生、坂本龍一の最初のピアノの先生なんだってさ」

 自分の記憶のもっとも底のほうにある会話である。少し誇らしげに語る友達の表情、湿っぽくてうす暗い廊下の臭いが、ありありと思い起こされる。


 4歳になる年、ぼくは幼稚園に行くことをひどく嫌がっていた。近所にあるいくつかの幼稚園に見学に連れて行かれたが、跳び箱や鉄棒で活発に遊び、友達と大騒ぎして走り回る園児たちの姿に恐れおののいた。一人っ子で物静かなぼくには、いきなりヤクザだらけの刑務所に叩き込まれるような恐怖を感じたのだ。


 入園を全力で拒否するぼくに困った両親は、こんな我が子にも向いている幼稚園はないだろうかと色々な人に尋ねまわった。その結果、週に1度だけ行けば事が済む幼稚園が見つかった。幼児生活団。羽仁もと子が1939年に創立した自由学園の幼稚園である。


 入団するためには、一応面接に合格しなければならない。とは言え、面接に行くことを事前にぼくに伝えれば、地団駄踏んで行かないに決まっている。そこで母は、「今日はちょっと遠くまでお散歩に行こうね」と言って、渋い顔をするぼくを自転車の後ろに乗せて生活団に向かった。


 面接会場の様子は異常であった。緊張で真っ青な顔をしている3歳児たちの前を、面接会場から出てきた同志たちが、ギャーギャー泣き叫びながら帰ってゆく。人間はこんなにも大きな声を出せるのかというぐらいの阿鼻叫喚である。部屋の中で一体何がおこなわれているかは分からない。しかし、こんな幼稚園に入ったら最後であることだけは、ハッキリしている。そう悟ったぼくは、一計を案じた。柄ではないが、暴れてやろう。


 ついに自分の番が回ってきた。重い鉄の扉を押して面接会場に入る。「指導者」と呼ばれる50~60歳代の真面目で神経質そうな女性たちが5人、こちらを射るように並んで座っている。「どうぞおかけください」。ぼくはスリッパを履いたまま、椅子の上に立ち上がった。指導者たちは目ん玉が飛び出そうなほど驚いている。


 一瞬の間があって、「あなた、お名前は?」

 「知らな~~~い!!」

 ぼくは数日前に行った野毛山動物園のチンパンジーになりきり、鼻の下を伸ばしてアゴの下を搔きながら答えた。


 「あなた、どこから来たんですか?」

 「う~~~んとねぇ、宇宙!!!」

 今度は、チンパンジーの隣で飼われている発情期のクジャクのオスを思い出し、羽を全開しているイメージで手を広げながら答えた。


 隣席した母は、この面接が人生でもっとも恥辱を感じたひとときであったと言う。普段はおとなしい我が子が、幼稚園に行きたくないばかりに、道化に豹変している。そして指導者たちの怒りはぼくではなく、当然のこととして母に向かう。


 「お母様は、ご子息にどのような説明をなすって、今日を迎えられたのですか?」

 「お母様は日頃、教育と呼ぶに値する行為をご子息に施していらっしゃいますか?」

 この上なく丁寧な言葉で、この上なくドギツイ説教を食らった。


 帰り道、顔面蒼白で言葉少なな母を横目に、ぼくはしめしめとほくそ笑んだ。「これで幼稚園に行かなくて済むぞ!」しかし、この見通しは甘かった。あろうことか、合格通知が届いてしまったのである。指導者たちの後日談によると、幼児生活団が始まって以来、入団面接でチンパンジーとクジャクのモノマネを披露して面接官を茶化した幼児はぼくが初めてで、このような幼児は他のどんな幼稚園にも受け入れられないだろうし、そんな救いようのない幼児こそ、我が生活団で徹底的に鍛えてやらなければならない、という結論に達したらしい。まったくもって、迷惑な話である。


 それにしても、幼児生活団の教育はユニークであった。週に一度の登団日に、一週間分の課題が出される。4歳組の初期の課題は「一人で顔を洗う」「一人で身支度をする」。6歳組の最後のほうの課題は「玄関を掃除する」「食事作りを手伝う」といった具合である。登団日には一週間を振り返り、毎日記録している「励み表」を見せながら、自分の到達度がどうであったか、全員の前でスピーチしなければならない。このスピーチは、どんなに嫌でも絶対にしなければ許されない。ぼくはこれによってかなり鍛えられたと思う。


 4歳組は週に1度で良いが、5歳組から週に2度行くことになる。「ピアノの日」が追加されるのだ。20人強の同組生が、全員でソルフェージュをした後、5人のピアノの先生に割り振られ、20分ほどの個別レッスンを受ける。待ち時間で廊下の椅子に座っているとき、友達が冒頭の発言をした。おそらく母親から伝え聞いたのだろう。


 坂本龍一の名前すら知らなかった5歳児のぼくにとって、生活団ではピアノよりも動物のほうがインパクトを持っていた。4歳組ではジュウシマツ、5歳組ではモルモット、6歳組では伝書鳩を動物小屋で飼う。6歳組の遠足では、一羽ずつ異なる足輪をつけた伝書鳩たちを籠に入れ、みんなで電車に乗る。もちろん、まわりの乗客からは奇異な目で見られる。無事に目的地に着き、見晴らしの良い場所に出ると、そこで伝書鳩たちを籠から出して解き放つ。ほとんどの伝書鳩は、100kmほど離れた生活団の鳩小屋に戻って来る。しかし、毎回1~2羽ほど、戻らない鳩がいる。


 なぜ、戻らないのか。遠足の翌週に話し合いの場がもたれる。

 「迷っちゃったのかなぁ」

 「車にひかれちゃったんじゃない?」

 「かわいそう。死んじゃったんだね」

 「そうかなぁ。ほんとは生きてるんじゃない?」

 「そうだよ!自由になりたくて、帰ってこないんだよ」

 「でも、伝書鳩はかならず自分の巣に戻ってくるんでしょ?」

 「そうかもしんないけど、みんながみんな、いつもそうじゃないよね」


 このような「鳩飛ばし」を含めた遠足の成果は、それぞれが作詞作曲してみずから歌う形で発表される。「♪国府津に来たよ、ここは海」から始まるぼくの歌は、「なんか演歌みたい」と同組生たちから一蹴された(ちなみに小学生になり、自分の小遣いで初めて買ったCDは「美空ひばり全曲集」、2枚目に買ったのは「谷村新司全曲集」である)。


 生活団で音楽の才能が芽生え、坂本龍一のようになった人もいるし、オノ・ヨーコや三善晃も卒団生である。ぼくの同窓生にも東京藝大を卒業してヨーロッパのプロオーケストラでヴァイオリンを弾いている友人がいる。


 ぼくは生活団を卒団してから、地元の公立小学校に通った。ピアノについては、いまいち身が入らなかったものの、なんとなく習い事としてだらだら続け、14歳のある日、中学校の音楽の授業でスメタナの「ヴルタヴァ」を聞いて雷に打たれた。「これだ! 自分が探していた音楽は!」これをきっかけにクラシック音楽にのめりこむようになる。そして高校を卒業するまで、人が変わったようにピアノを弾きまくった。


 しばらくして気が付いたのは、自分はホ短調の曲が好きだということである。スメタナの「ヴルタヴァ」、ブラームスの「交響曲第4番」、エルガーの「チェロ協奏曲」、ショパンの「夜想曲第19番」。どれもホ短調である。その特徴は、哀愁を帯びているが決して暗くはなく、胸に迫りくる叙情性がある、といったところだろうか。それにしても、なぜいつもホ短調なのだろう。


 そんな疑問を胸の奥に持ち続けていたある日、坂本龍一の画期的な作品『Forest Symphony』に出会った。樹木のなかを流れる微弱な生体電位の変化を、そのまま楽曲にしたのである。つまり、樹木の生命が織りなす息吹そのものを音楽に置き換えた試みである。ノイズとも環境音楽ともとれるようなかそけき高音を聴きながら、これは紛れもなく「坂本龍一の音」でありながら、どこまでも「自然の音」と感じることができた。


 そしてハッとした。人間にも生体電位が流れている。心電図、脳波、筋電図、皮膚電位……。これらを音に変換して楽曲にしたら、どうなるだろう。その人だけの音楽というものになるのだろうか。それは調に変換することもできるのだろうか。長調の人、短調の人。自分の身体を流れる生体電位は、ホ短調なのだろうか。


 そんな思い付きに捉われていたこともあり、瀬戸内の豊島を訪ねたとき、迷うことなく「心臓音のアーカイブ」(クリスチャン・ボルタンスキー作品)に向かった。ここは、人々の心臓音を録音し、永久に保存する場所なのだ。中に入ると、まずは暗闇の「ハートルーム」に案内される。ドクッドクッという大音量の心臓音と、それに連動して明滅する電球が展示されている。この暗室に1分も佇んでいると、不思議と懐かしい気持ちになってくる。胎内にいるようだ、という表現がこの上なく相応しい。暗室から出ると、流れていた心臓音の持ち主が電光掲示板に表示されている。


<フィリップさん 男性 フランス人 2009年収録>


 ぼくは数分間、フィリップさんという男性の胎内(?)にいたことになる。続いて、自分の心臓音を録音する「レコーディング・ルーム」に移動する。ここでは40秒間、心臓音を録音する。さきほどの「ハートルーム」で作品として流れたり、アーカイブを訪れる人が自由に聴いたりすることができる。まず自分の情報をパソコン画面に入力する。名前・性別・年齢・国籍。ここまでは簡単である。しかし次に「メッセージ」を入力するよう求められた。考えあぐねた結果、数年前に聴診器で心音をきいた医師が放った不思議なことばを入力しておいた。


 いざ録音である。服の上から聴診器を当てて録音するので、少しでも深く呼吸すると、服がこすれて雑音が混じってしまう。そこで録音の40秒間、なるべく息を殺すことにした。録音開始。息を止める。するとどうだろう、心臓音がみるみる早まってくるではないか。これはまずいと思えば思うほど、早まってしまう。40秒後、なんとか無事に録音を終えた。しかし、「お前、心拍数早すぎだろ!」と言われるのがオチである。スタッフの男性からぼくの心臓音を録音したCDを受け取って、その場を後にする。


 それから3年後。「辻さんの心臓音、聴いてきましたよ!」と後輩が言う。

 「言っときますけど、最初に辻さんを検索したわけじゃないですからね。豊島に行ったって言ってた仲のいい子とか、元カレとか、色んな人を検索したけど、全然ヒットしなかったんです。で、辻さんも行ったの思い出しちゃって。検索したら出てきたじゃないですか。とりあえず聴いてみました。そしたらね、変なんですよ。どんどん早くなって。おかしくないですか? なんで興奮してんだろうと思って」


 そういうわけで、豊島の「心臓音のアーカイブ」に収蔵されている登録番号09757がぼくの心臓音である。音楽に変換すれば、ホ短調の奇想曲といったところだろうか。大切な人や気になる人の心臓音をお聴きになった後で、万が一思い出してしまったら、どうぞご試聴ください。

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