見えない島
辻 信行
この連載を始める少し前のことである。日本画家のAさんとJR青梅線に乗っていた。「次は、昭島、昭島です」と車内放送が流れる。さらに乗っていると、「次は、拝島、拝島です」と流れる。
「なんで島なんでしょうね?島じゃないのに」とAさんが言う。たしかにそうなのだ。ここは島ではない。少なくとも、海に浮かぶ島では。ということは、と思って調べてみると、川に浮かぶ島であった。「昭島」は、昭和町の「昭」と拝島村の「島」を合わせた地名である。よって「なぜ島なのか?」という疑問は 、「拝島」の由縁を解き明かすことによって明らかとなる。その昔、多摩川の中州の玉川花井の島に、日原村の日原鍾乳洞に安置されていた大日如来像が洪水で流れ着いたという。村人たちはお堂を建ててその像を拝むようになった。村人が「拝」む中州の「島」。こうして「拝島」と呼ばれるようになったのである。
地名として「島」が入っている場所には、大阪の中之島や徳島の善入寺島、東京の妙見島のように、川の中州(川中島)に由来するところもかなりある。拝島のように、普段は島と意識されていなくても、地名に残っていることで通りがかりのよそ者も島の存在に気付くことができる。つまり、普段は「見えない島」であるが、あることをきっかけに「見える島」になるというわけである。
このような「島探し」に興じるのはとても面白いと思うが、その対象を地理上に限るのはもったいない。たとえば、我々の身体に求めてみても良い。村上春樹のエッセイによって有名になった「ランゲルハンス島」がその好例である。「膵島」と呼ばれるこの器官は、膵臓に存在する内分泌腺の細胞群で、インシュリンやグルカゴンなどを分泌している。膵臓の内部で、実際に島の形状で散在していることから、この名が付いたのである。
そして私たちの身体には、島と名が付く器官があるだけではない。島そのものをつくることもできる。と書くと奇妙に感じられるだろうか。島の最小単位が岩だとしたら、岩の最小単位は石である。その石を、我々の身体はつくっている。今夏、江ノ島で開催された造形作家のKさんの展覧会「静物彫刻―石になっていく―」のギャラリートークで、ぼくはこんな質問をした。
「尿管結石はどのような作品にできるでしょうか? 中高年の男性で、自分の尿管結石を大切に保管したり、スマートフォンに写真を保存したりして、お互いに自慢しあっているのを見たことがあります。『オレの方がデカい!』『オレの方がきれいだ!』とか。本当にくだらないですよね。でも、身体によって無意識につくられた石は、寄せ集めれば岩になるし、それをさらに寄せ集めれば島になります。人間の身体によって領土をつくりあげることも可能なわけです。そうして出来上がった「尿管結石島」の領土争いによって、「尿管結石戦争」が激化する前に、私たちは尿管結石をアート作品として積極的に鑑賞=緩衝してゆく試みも必要ではないでしょうか」
ギャラリーのオーナーで彫刻家のIさんは、尿管結石についてはあまり考えたことがなかったが、もしかしたら考えるべきことなのかもしれない、と額に汗をかきながら優しく応じてくれた。尿管結石島をめぐる尿管結石戦争。まだ見ぬ島をめぐる人間の欲望を想う時、それは恐ろしいというより、滑稽である。
さて、「見えない島」に戻ろう。日本の地名で「島」と付くところには、海に浮かぶ島、川に浮かぶ島、そして他にも川沿いの耕地、特定の集落、盆地の小高い場所などが含まれる。縄張りや勢力の及ぶ所という「島」の意味を考えた時、ぼくの頭に思い浮かぶのは、金時鐘『見えない町』である。
なくても ある町。
そのままのままで
なくなっている町
電車はなるたけ 遠くを走り
火葬場だけは すぐそこに
しつらえてある町。
みんなが知っていて
地図になく
地図にないから
日本でなく
日本でないから
消えててもよく
どうでもいいから
気ままなものよ
在日朝鮮人の暮らす大阪・猪飼野を「見えない町」と表現した金。ここは日本の政府や行政から存在を疎まれ、不可視化されてきた町であり、歴史に翻弄されて日本に辿り着いた人々が、互いの生活を支え合って暮らす共同体を形成してきた。
1986年に『ごく普通の在日韓国人』でデビューした作家の姜信子さんは、当時、金時鐘『「在日」のはざまで』を読むよう編集者から薦められたという。しかし若き日の姜さんは、民族から距離を置きたかった。猪飼野からも離れたかった。24年後の2010年。姜さんはハンセン病の療養所を訪ね歩いた。そこは世間から隔離された「見えない島」である。ハンセン病詩人の谺雄二と出会い、彼が詩人の小野十三郎に打たれて詩作を始めたことを知る。
見えない島、小野十三郎…。そこから姜さんは金時鐘を思い出した。金もまた、抒情詩を否定して詩をうたう小野十三郎に魅かれ、在日朝鮮人の暮らす猪飼野という「見えない町」から詩作を続けてきたのだった。
姜さんがこの話をしたのは新大久保 のすぐ近くのホールであった。新大久保はいまや韓国に限らず、ネパールやタイ、ベトナム、中国などの食堂や食料品店が立ち並び、町の光景も町ゆく人々も、さながら「アジアの町」である。それに比べ、先日筆者が歩いてみた猪飼野は、圧倒的に「韓国の町」という感じがした。
ようやく猪飼野を歩いてみようと思い立ったのは、「見えない島」への通奏低音的な関心があったからだが、直近で天草を訪ねたことがとても大きい。なぜ天草なのか。次回からしばらく、その話をしてみようと思う。
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