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島々の精神史 第11回

隠岐は冬のソナタ

辻 信行


 落ちることは分かっていた。むしろ潜在意識では、落とされたいという気持ちすらあったのではないだろうか。それほどまでに、本命よりも二番手のほうに、魅力を感じ始めていた。


 いきなり何を言い出すのかと思われるかもしれないが、これは草食系男子が二人の肉食系女子に落とされる話ではなく、高校受験の真面目な話である。「なんだ、じゃあ読むのやめた」と言われそうだが、あまり堅苦しい話にはならないので、もう少しだけ辛抱してお付き合いいただきたい。


 ぼくは第一志望の公立高校が掲げる「大平凡主義」の中身を知れば知るほど、その平凡さに魅力を感じなくなった。その代わり、滑り止めにしか考えていなかった第二志望の私立高校が掲げる「Wise Freedom」(賢明な自由)に魅かれていった。そうなると、がぜん受験勉強には身が入らなくなる。第二志望の入学試験には手ごたえを感じ、なんとか合格したが、第一志望の入学試験当日は、終始冷や汗をかき続けた。


 そして迎えた第一志望の合格発表。あえて時間をずらし、人もまばらな校内に行く。受付で通知書を受け取る。「不合格」。分かってはいたものの、15歳で初めて受け取った不合格通知は、それなりに身に応えた。


 校門を出ると、20歳代のスーツ姿の男女に声をかけられた。「教育委員会の者ですが、いま現役の高校生を対象に、社会に対して不満があるかどうか、アンケートをしています。あなたは、社会に対して不満がありますか?」


 「不満はありますけど、とにかく、自分にウソは付けないということが分かりましたね」

 「えーっと、それは政治家の失言問題のことですか?」

 「それもありますけど、ぼくはいまさっき、自分もそんな人間の一人であるということを発見したわけですよ」

 「それはとても興味深いお話です! もう少し詳しく聞かせてくれませんか?」

 「スミマセンが、ぼくは高校生じゃないので。これで失礼します」


 あっけにとられる男女二人をあとにして、ぼくは帰宅した。本来であるなら、そのまま自分の中学校へ行って受験結果を報告しなければならないのだが、ちょっと景気づけをしてから出直そうと思ったのである。


 世は「冬のソナタ」が大流行していた。NHKのBSと地上波での放送に続き、未公開シーンを含めた「完全版」がBSで放送されると、話題をさらった。このブームに、ぼくはどっぷりとハマっていた。「だから受験に落ちたんだろ?」と言われればぐうの音も出ないが、恋愛ドラマに限らず、ここまでテレビドラマに魅せられたのも初めてのことであった。


 そのため、まずは冬ソナの最終話を見て、頭の中を感動でいっぱいにしてから、「不合格の報告」をしに行こうと算段したわけである。結果的にこの作戦はうまくいった。冬ソナの結末でチュンサンが視力を失ったから悲しいのか、自分が高校に落ちたから悲しいのか、よく分からない心持ちで担任に報告することができたのである。


 「ショックだろうけど、人生は高校じゃ決まらないよ。3年後の大学受験でリベンジだ!」

 「そうですよね。たとえ視力を失ったとしても、本当に愛している者同士なら、絶対に結ばれると思うんです。ぼくはやっぱり、”愛の力”を信じたいです!」


 いまいち噛み合わない返答を前に、「こいつ、ショックで頭がおかしくなったのか?」と心配そうにのぞき込む担任の表情が、いまでも忘れられない。


 前置きが長くなってしまったが、なぜこんなくだらないエピソードを思い出したのかと言うと、隠岐に行ったからである。隠岐の西ノ島に泊まる晩、どこの宿もいっぱいだということで、我々は観光協会の仲介で、リニューアルオープン前の海福屋という民宿に泊まることとなった。高齢の女将が一人で切り盛りしている宿である。


 夕食時、やれやれという感じで疲労困憊の女将がやってきて、一緒に食卓を囲む。

 「お母さんは、隠岐の外に出かけますか?」と同行のイ・ヒョンナン先生が尋ねる。

 「若い頃はたまに出かけた!」と女将が答える。

 「一番遠いところはどこに行きましたか?」

 「韓国! 3回も行った!」

 「なんで3回も行ったんですか?」

 「冬ソナのロケ地巡り!」


 これには全員の頬が緩む。同行の新井先輩はハマらなかったらしいが、ぼくとヒョンナン先生は冬ソナの大ファンである。ヒョンナン先生は数日間にわたり、徹夜で一気に見たという。ちなみに「宮廷女官チャングムの誓い」も、一週間ほど徹夜して一気に見たという。ヒョンナン先生は、冬ソナとチャングムで韓国ドラマにのめりこむ自分が恐ろしくなり、それ以来、テレビドラマは一切見なくなった。なかなかハッキリした性格である。ヒョンナン先生は言う。「冬ソナは本当に中高年の女性がよく見ましたよね。やっぱりどこか、純粋なものを求める気持ちがあるんだと思います」


 中高年の女性ではないが、鎌田東二先生も冬ソナにハマった一人である。物語のもつ神話的構造に魅かれたと語っている。たしかに兄妹の近親相姦のモチーフなど、まさに神話を匂わせる。それにしても、国生み神話で3番目に生み出された隠岐で、神話的モチーフの冬ソナにハマるというのは、なんとも似つかわしい。おまけに隠岐は、国境問題に揺れる竹島や鬱陵島の近くに位置している。そんな隠岐の女将が、冬ソナが好きで韓国へ3回も行ったというのだから、心あたたまるではないか。


 隠岐と韓国・朝鮮の関係性を紐解くと、古くは朝鮮半島からやってきた渡来人に遡るが、近代にいたるまで、隠岐の漁師が竹島や鬱陵島方面へ出漁するのは一般的で、隠岐の島民たちにとって韓国は身近な存在であった。金達寿『日本の中の朝鮮文化8 因幡・出雲・隠岐・長門ほか』(講談社、1991年)では、隠岐の「牛突き」について触れられており、朝鮮でもあちこちでおこなわれていたものだから、朝鮮から伝わった習俗ではないかと推測している。


 韓国の済州島では夜間に漁火でおこなうイカ釣り漁が盛んであるが、隠岐の西ノ島には「イカ寄せの浜」がある。かつて11~1月になると、ここら一帯に大量のイカが打ち寄せられ、人々はそれを拾うようにして収獲した。ここには、イカが寄るのを見張る「番小屋」があり、そのすぐ近くに、由良比女神社が建っている。伝承によると、神社の祭神・由良比女命が芋桶に乗って海を渡っているとき、一匹のイカが海水に浸した由良比女命の手に嚙みついたという。そのお詫びのしるしに、イカたちが群をなし、毎年由良の浜に押し寄せるようになったとされる。


 無粋なことを言うようだが、あまりに虫のいい話ではないだろうか。百歩譲って、噛みついたイカがお詫びのしるしに浜に寄るというなら分かるが、なぜその子孫までもが、ちょっと噛みついた先祖の行為を詫びて、毎年自分たちの身を捧げるために大挙してやってこなければならないのだろうか。近年は環境の変化や、浜に辿り着く前に獲られてしまうのが原因で、イカたちが寄らなくなったというが、伝承を信じる視点に立てば、イカたちも自分たちのお人よし(おイカよし)過ぎる行為に懲りたのではないだろうか。


 さて、新井先輩は隠岐に来てから一度もコーヒーを飲んでいないため、重度の欠乏症を引き起こし、そろそろ死んでしまうと言う。そこで、Sailing Coffeeという洒落たカフェに立ち寄った。もっぱら紅茶派のぼくにとっては、コーヒーよりも充実した本棚の選書のほうに目が行った。隠岐の郷土本のコーナーに、西ノ島町が1978年に刊行した『運河のある町』という写真集があった。


「この島に運河があるわけ?」とヒョンナン先生が聞く。

「どうもそうみたいですね」

「あなたたち、分かる? 運河というのは、大変なものなのよ。ただの川じゃないんだから。この島に本当にあるの? あるなら見せて!」


 いきなり、運河を作った経験者のように責め立てるヒョンナン先生に圧倒されて、急いでカフェの店員さんに運河の場所を聞き込む。どうやら西ノ島には、船引運河というのがあるらしい。1915年(大正4年)に島のほぼ真ん中にある地峡を開いて造られた。運河ができる前は、内海から外海へ出るために船を陸に引っ張り上げて越える必要があった。そのためこの地は「船越」と名付けられていた。しかし運河によって内海と外海が結ばれ、島民の生活にとって欠かせない存在になったのである。


船引運河

 実際に行ってみると、スエズ運河(全長193キロメートル)やパナマ運河(全長82キロメートル)に比べるとやや小ぶりであるものの、全長340メートル、幅12メートル、水深3メートルのれっきとした運河である。その見た目は、「お堀」に近いかもしれない。「ちゃんとした運河じゃない!」とヒョンナン先生もご満悦である。


 こうして、レヴィ=ストロースが風景と食と儀礼に感銘を受けた隠岐に行ったら、なぜか冬ソナをめぐる一連の記憶が強烈に想起され、最終的に、運河は小さくても実際に見ると感動するという結論に至った。「この文章の筆者がもっとも言いたいことを、一文で答えなさい」と問われたら、何が正解になるのだろうか。少なくとも筆者本人にはさっぱり分からない。だから高校受験に落ちたのだろう。

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