青ヶ島の洗礼 前篇
辻 信行
八丈島空港に降り立ち、底土港へ向かう。今日は波が高い。遥か南海上で台風が発生したらしい。もしかして、という予感は的中し、青ヶ島行きの船は欠航である。
ぼくに青ヶ島のことを教えてくれた離島研究者の土屋久先生に電話する。やはり船はなかなか出ないので、定期便のヘリで行くことを考えたほうがいいと言う。今日は土屋先生の定宿である八丈島のガーデン荘にお世話になることとなった。
八丈島での滞在は、一日で済まないかもしれない。今回の限られた滞在期間中に行けるかどうかも分からない。とにかく青ヶ島の近海は台風が近づかなくても年中波が高い。八丈島からフェリーで3時間という距離も手伝って、いまだに絶海の孤島である。
ガーデン荘は文化人の溜り場のような民宿で、図書館並みの蔵書とレコードの多さに驚く。オーナーは元新聞記者で仙人のような風貌をしている。名物女将「えいこば(栄子ばあ)」は、とてもがめつい。夕食時には宿の食堂で宿泊客と一緒に焼酎をあおり、大声で議論する。ぼくはさっそく「青ヶ島」と名付けられ、格好の餌食となった。
「おい!青ヶ島!」えいこばがどやしつける。
「おめえ、なんで青ヶ島に行きたいんだ?」
ぼくは、青ヶ島が天空の城のようにユニークな地形であること、ミコによる祭祀が盛んなシャーマニズムの島であったこと、戦後になっても他火小屋と呼ばれる月経小屋が使われていたことなどを挙げ、とにかく民俗学的に興味深い島なので、一度行ってみたいのだと語った。ぼくが話せば話すほど、えいこばの表情は険しくなってゆく。ついにその怒りは頂点に達し、机をぶっ叩きながらこう叫んだ。
「おめえ、青ヶ島には一度や二度じゃ行けねぇよ! 何度も行き損なって、はじめて呼ばれるんだ! それに、おめえが考えてるような青ヶ島は、もうねえんだよ! この馬鹿!!」
この後もえいこばの説教は延々と続いたが、このご高説、言い方こそドギツイものの、けっこう真理を言い当てている、といろいろな離島を訪ねるうちに思うようになった。青ヶ島に限らず、橋などの陸路で行くことのできない離島は、そう簡単に行くことはできない。波が高ければ船は出ないし、風が強ければ飛行機は降りられない。ご縁がなければ辿り着けないわけで、「呼ばれる」という感覚は理解できる。
また、かつて離島に存在した民俗文化は、総じて期待できるほど残っていない。一概には言えないものの、絶海の孤島で近代化が立ち遅れた青ヶ島でさえそうなのだから、推して知るべしである。
さて、えいこばに怒鳴られた翌朝、ぼくは目覚めてすぐに港へ電話した。案の定、今日も青ヶ島行きの船は出ない。定期便のヘリで行くしかない。とは言えネットで調べたところ、一日一便、9人乗りのヘリは既に予約で満席だ。空港のカウンターに行ってキャンセル待ちをするしかない。昨夜とは別人のように柔和な笑みを浮かべるえいこばに別れを告げると、ぼくはレンタサイクルを疾走させて空港に滑り込み、そこからは猛ダッシュでカウンターに走り込んだ。「すいません!青ヶ島に行きたいんです!」「少々お待ちください。えーと、定期便は満席ですね。でも、今日はチャーター便が出ることになったんです。空席照会してみますね。あっ、ご搭乗頂けますよ!」
このときの喜びを、なんと表現すればいいのだろう。青ヶ島に呼ばれたんだ! 二度も三度も行き損なったわけじゃないのに、たった一晩えいこばに怒鳴られただけで、行くことができるんだ!
しかしこの半日後、ぼくは思ってもみなかった地獄を見ることになる。2014年8月6日の出来事であった。
これから始まる連載「島々の精神史」において、ぼくはこれまでに訪ねてきた島々での記憶を辿り、そこから精神史と呼べそうなものを掬い取ってみたい。日本は6852の島から成り立っており、地球上には3000万~4000万の島がある。いわゆる大陸だって巨大な島に他ならないのだから、地球上に住む人間は、誰もが島と無縁でいられない。
「島」という言葉には、ヤクザの縄張りや遊郭という意味もある。それら陸地の上に存在する「島」は、輪郭が曖昧で不可視だが、たしかに存在するのである。そういった島も対象として捉えると、かなり大風呂敷なテーマになるが、「すべての道は島に通ず」の精神で、ひょっこりひょっこりやっていきたい。
島が外部と交渉を持つ境界領域が、「なぎさ」である。「なぎさ」と名付けられたこのウェブマガジンに寄せられる連載の一つ一つが、打ち上げられた「寄り物」に他ならない。読者のみなさんには、それらの「寄り物」をじっくり吟味したり、心のポケットにしまったり、SNSという大海原に向かって放り投げたりしていただければと思う。ウェブマガジン「なぎさ」を、末永くよろしくお願いいたします。
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