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少女漫画と物語 第3回

セリーヌ・シアマの音楽

——『燃ゆる女の肖像』と『秘密の森の、その向こう』

鈴木愛美



 

 先日、セリーヌ・シアマの『燃ゆる女の肖像』と『秘密の森の、その向こう』(以下『秘密の森』と表記)を続けて観た。前者は18世紀のフランス・ブルゴーニュの孤島を舞台に二人の女性、画家マリアンヌと貴族の娘エロイーズとの愛を描く物語、後者は8歳の少女ネリーが、子ども時代の母マリオンと森の中で出会う物語である。どちらも音楽が印象的な作品だった。といってもいわゆるサントラとして流れる曲はそれぞれ一曲ずつしかない。むしろ、一曲だけだからいっそう印象に残るのだろう。『燃ゆる女の肖像』の祭りの場面で歌われる女性たちのアカペラ、『秘密の森』で、物語の終盤、ネリーとマリオンがゴムボートに乗って湖へと漕ぎ出す場面で流れるシンセ曲“La Musique du Futur——Mon cœur”は劇中とエンドロールでそれぞれ一度ずつ流れ、観客を物語の世界へ引き込み鑑賞後の余韻を残す。


 興味深いのは、サントラと呼べそうな音楽は一曲ずつながら、劇中の彼女たちの日常には音楽が頻繁に登場するところである。『燃ゆる女の肖像』で、オーケストラの演奏を聴いてみたいと憧れるエロイーズに、マリアンヌが鍵盤を叩き聴かせるヴィヴァルディの《夏》。この曲はクライマックスで二人が偶然居合わせた劇場で、オーケストラの壮大な演奏として再び流れる。『秘密の森』では、マリオンの誕生日にネリーとマリオンの母が彼女のために二度バースデーソングを歌う。アンコールをせがむマリオンの笑顔には、大好きな人たちに祝ってもらえる嬉しさがあふれている。マリオンが直後に手術を控え、「私、帰ってこないかも」とネリーに不安を吐露することを思えば、年齢を重ねる誕生日の場面は示唆的であり、それだけに彼女の喜びの表情が切なさを喚起する。手術の朝、ネリーがイヤホンで音楽を聴いているのを見たマリオンは「未来の音楽?」と問いかけ聴かせてもらう。この「未来の音楽」がどんな曲なのか観客には明かされないが、シアマはサントラ“La Musique du Futur——Mon cœur”を「未来の曲」と述べており[1]、辻佐保子が指摘するように、二人が聴いていたのはこの曲なのだろうと私も思う[2]。


 つまり逆の見方をすればサントラの二曲も物語中の日常に流れる音楽の一つなのである。実際、現実の私たちの日常に効果音や挿入歌が入る場面などそうそうないことを思えば、映画でも劇中の日常に流れる音楽のみを扱うシアマの手法は至極リアリズム的といえる。

 一方で、上に列挙した場面を見渡してみるとわかるように、音楽が日常に特別な時間を演出するものであることにもシアマはきわめて意識的である。ネリーとマリオンが聴いていた曲をひとまず“La Musique du Futur——Mon cœur”と仮定するなら、このシンフォニックなシンセ曲、手拍子と反復されるフレーズとともに盛り上がっていく女性たちのアカペラ、オーケストラの《夏》、大人と子どもの高低音が美しいハーモニーを醸し出すバースデーソング。どれもがグルーヴィーな、感情を掻き立ててゆく音楽であり、登場人物たちの感情の解放とリンクしている。『燃ゆる女の肖像』で、アカペラの盛り上がりとともに祭りの場面は海岸の場面へと切り替わり、そこでマリアンヌとエロイーズは互いへの愛を解放し合う[3]。それから私はあまり覚えていなかったのだが、『秘密の森』でも「曲が流れた時だけ、マリオンが今後のことを尋ねる」という[4]


 以上を『秘密の森』の「未来の曲」についての仮定を交えながら書いてきたが、日常の音楽ということに関していえば、『燃ゆる女の肖像』で村の女性たちが歌うアカペラが、バラッドのように代々共同体で伝承されてきた曲であることが想定されるのに対して、ネリーとマリオンが聴く「未来の音楽」がサントラ“La Musique du Futur——Mon cœur”とイコールであるかどうかは結局のところはっきりしない。だからこのサントラは、ネリーの日常にある「未来の音楽」なのかもしれないし、ただ映画のテーマ曲なのかもしれない。だが二人が聴いている音楽であることを思わせながらも、それとして劇中で流すことがない未知性が曲に未来の感覚を与え、子ども時代のマリオンの日常には存在しない「未来の音楽」であるように思わせるのだろう。そこに監督の徹底したリアリズムが感じられる。





 

[1] 『秘密の森の、その向こう』映画パンフレット、15頁。 [2] 辻佐保子「音楽へ『新たに加わること』をめぐって——セリーヌ・シアマ監督作品における踊ること、歌うこと、聴くこと」『ユリイカ』2022年10月号、187頁

[3] 祭りの音楽とマリアンヌとエロイーズの愛の解放との関係については横田祐美子も指摘しているが、その契機として横田は祭りの火の描写に着目している。(横田祐美子「セリーヌ・シアマのエレメント」『ユリイカ』2022年10月号、63-64) [4] 『秘密の森の、その向こう』映画パンフレット、15頁。

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