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宗教の名著巡礼 第8回


危機に臨む神話と詩の力(2)

──鎌田東二『悲嘆とケアの神話論──須佐之男と大国主』春秋社、2023年5月──

島薗進



大国主の重なる苦難と再生

 だが、残酷な死によって地下に閉じこもったイザナミに発し、出雲が代表するこの世界の悲しみを、より根源的に癒し、甦りへと転換させる働きは大国主によってもたらされた。こう論じられる。大国主はひとり痛み泣いている稲羽の白ウサギの話をよく聞き、癒す方法を教える医療神、「癒しの神」として現れる。だが、その後に大国主神話のクライマックスがある。兄弟神の嫉妬によって大国主(オホナムヂ)は二度も殺された。一度目はだまし討ちのように真っ赤に焼けた大石を受け止めようとして下敷きになり、二度目は大木にくさびを差し込みそこにはさまれて圧死した。まことに残虐な兄弟殺しだ。

だが、それでも、二度とも母や祖神や女神たちの力で甦った。この救けられる神としての徹底度において、大国主神ほど鮮烈な物語は少ない。こうして、終には、須佐之男命のいる根の堅洲国に行くこととなった。/このようにして、二度甦ることのできたオホナムヂは根の国に赴いた。そしてそこで、一人前の神となり、父祖神のスサノヲから「大国主神」の名を授けられることになる。(213ページ)

 二度の甦りは「妹の力」にまれて起こった。そこでさらに須佐乃男に過酷な試練を課される。が、それも妻となったスセリビメに助けられ、ネズミにも助けられる。そして「国作り」を行うのだが、そこでさらにスクナビコナに助けられる。

したがって、大国主神は、紛うことなく、さまざまな力を引き出しつないでいくコーディネーター、つまり「縁結び」の神なのである。大国主神は、自力ではほとんど何も達成したようには描かれず、すべて他力を得て危難を切り抜け、国作りという大業を達成したということになる。(215ページ)

 大国主像の豊かな再構成であり、出雲神話の重要性の再認識を促すものである。


「国譲り」という難問

 続いて「国譲り」に光が当てられ、その解釈に多くの紙数が割かれている。この国譲りについての解釈はオリジナリティが高いものだが、従来、ここに深く切り込む解釈が乏しかったことへの問いかけが背後にある。つまり、これは記紀神話理解において核心的な問題の一つなのだが、人々はその意味を深く考えてこなかった。こう言いたいのだと私は受け止めた。「主の神」ともされた大国主神は、なぜ自らが国作りした国をアマテラスとその孫ニニギノミコトに国譲りなどしたのか。鎌田氏はそれを「考えられないような行動」だという。

だとすれば、天照大御神は二宮尊徳が彼の主張する道徳律の「推譲」の道を開いた神などではなく、「国奪い」の道を指令した神ということになる。一般には「略奪」とか「征服」とかになるはずであるが、しかし、そのいずれでもなく、『古事記』では「国譲り」という特異な“和解策”が編み出されたことになっている。だとすれば、大国主神の「国譲り」とはどのような精神性と思想性を内包しているのか?それが問題となるだろう。(216ページ)

 確かにこれは問われるべくして、十分に問われて来なかった問いではないか。そもそもアマテラスからニニギノミコトへの天孫降臨、その後数代での神武東征の神話があれば、大和朝廷の支配の正統性は確保されるはずだ。それなのに、なぜ、延々と出雲神話がさしはさまれているのか。記紀神話では、敗れたはずの国津神になぜこれほど大きな役割が与えられているのか。私はこれが日本の神道というものの特徴を理解する上できわめて重要な問いだと考えている。


「国譲り」は大国主のスピリチュアルな戦略

 鎌田氏もここで同様の問いを提示している。だが、鎌田氏の問いの立て方と答え方は私のそれとは少し異なる。それはきわめて興味深く、かつ大胆なものだ。鎌田氏は、ふつうなら戦うことで決着をつけるはずだという。確かにそうだ。詩篇「国譲り」では以下のように述べている。

しかしながら そのような仕方ではなく/まさに掟破りの/超法規的なウルトラC/それが「国譲り」という想定外の外交戦略/くわえて 冥府の王 幽冥界の主神となるという スピリチュアル戦略(74ページ)

 だが、それを巧みな戦略と素直に受け取れるだろうか。「これはしかし 戦わずして勝つ という至高の戦略であったのか?/それとも 単なる負けであり 敗北であり 敗退だったのか?」。「表に現われていないが 隠された恨み 憎しみ 流された血がある それを隠蔽して いる」(75ページ)。そう受け取られてもしかたがないだろう。

 だが、鎌田氏はここできわめて独自な解釈をする。これが「その後の日本の歴史の平和交渉と平和実現の原型的なモデルとなった」(217ページ)といい、明治維新の前の大政奉還にも、アジア太平洋戦争敗戦時も「国譲り」のパターンが見られる、と。そして、以下のように述べる。

大国主神は極めて日本的な神である。スサノヲが戦うアグレッシブな戦士的な普遍的英雄神であるとするならば、大国主神は、その反対に、自らは戦わない神、戦わずに和解や和睦を生み出す神である。そしてそれが、「縁結び」の神とされる原基的な理由ともなる。自らの意思決定と主体性によって成し遂げる神ではなく、さまざまなものの助けと協力によって国土開拓の大事業である「国作り」を成し遂げ、大いなる和と協調を生み出す神、戦いによって奪い取るのではなく、耕作と協調によって和楽の世界を築き上げる神、そのような神性・神徳を持つ神が出雲の神・大国主神である。(同前)

 この解釈は「和」の源泉を日本神話に求めるこれまでのさまざまな解釈と響き合うところがある。たとえば、河合隼雄の『中空構造日本の深層』(中央公論社、1982年)とも通じ合うところがある。だが、それを大国主神の存在に集約して捉えたという点でオリジナリティが高い。須佐之男系統の国津神に焦点を合わせた解釈であるとともに、ウクライナ戦争や日本の軍備増強といった現代的な事態に向き合いながら生み出された大国主像として、今後、問い直しが進められていくだろう。


スピリチュアルな実践性と学術

 以上、「痛みとケアの神としての大国主神」という観点に軸を置いて、『悲嘆とケアの神話論』の論旨を紹介するとともに、本書の独自性とそのスピリチュアルな実践性について述べてきた。このスピリチュアルな実践性という点については、さらに付け加えて述べていきたい。

 本書には、鎌田氏の人生の途上でのさまざまな転機についても述べられている。10歳のときの『古事記』との出会い(8ページ)、学生時代の神道神学との関わり(193ページ)、1981年のデルフォイの神殿での悟り(151−152ページ)、飲酒を断ち神道ソングライターとなった1998年(8、263ページ)など。

 鎌田氏の「神話と詩」、そして学術と生き方は密接につながっている。私はそれを横目にちらちら見ながら歩いてきた。50年ほど前に知り合った頃、それをまぶしいように感じたものだ。自分は「ああいうふうにはなれない」と寂しく思うこともあった。ただ者ではないなと感心しながら、うしろをついて行く感じの時期も長かった。

 本書においても、第2章「世界神話詩」、第3章「悲嘆の神話詩」を読むと似た思いにとらわれる。神話詩の朗読を聞けば、その力に唸って感嘆するしかない。いずれ1000回に及ぶであろう「東山修験道」、石笛、ほら貝、バック転、神道ソングライターとしての実演や詩の朗読、いずれも感嘆とともにうっとり見惚れてきた。自分にはない率直さと奥深い感受性に鼓舞され続けてきたことを思い返す。

 しかし、「遺言」という意味を込めて書かれた本書において、学術の実践性について鎌田氏が述べていることにあまり距離を感じなくなっている。これは鎌田氏の人生の歩みにおいて、その言葉と人柄が円熟していくに従って私がそう感じるようになったのか、私自身がアカデミズムの束縛から離れ、さまざまな活動に関与するようになってそう感じるようになったのか、たぶん両方の要因があるだろう。若かった私の異質性への心踊りを、老いた私が親しみ深さとして反復しているようでもある。記紀神話論、神道論、「詩と神話」論として、また死に向き合う苦難のなかから産み落とされた実存的な文芸作品として、座右に置いておきたい、また霊界にも持ち運びたい大事な書物である。

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