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宗教の名著巡礼 第4回


ロシアの人々の精神文化の現在

──中村逸郎著『ろくでなしのロシア──プーチンとロシア正教』

講談社、2013年2月──

島薗進



 冒頭に引かれるエピソードはこんなものだ。「まったくろくでなしのロシアめ!」と人が自国を罵る。たとえば、著者がモスクワ市内で出会したことだ。満員のバスで車内放送が予告していて、停まるはずのバス停に止まらない。乗客たちがあわてて運転手に訴えようとする。赤い非常ボタンを押すが故障している。乗客をかきわけて運転席に詰め寄る。運転手は平然と「バス停は撤去された」という。「それはおかしい。けさ、停留所はあった。そこからのった」。ところが、たぶん道路工事か何かのため、何の予告もなくバス停はその日に撤去されたらしい。運転手は平然と次のバス停も通り過ぎてしまう。

 ロシア文学作品で出会ったような光景と感じるが、プーチン統治下の現在のロシアの情景だ。たとえ「抗議に立ち上がったとしても、原因と「究極の責任者」を見つけることはできず、けっきょくは無責任という果てしない原野に放り出されるだけというわけだ」(14ページ)。だが、この痛罵のなかには愛国心が宿っている。「ロシアへのつよい愛情があるからこそ、あからさまに感情をむきだしにできるのだろう」。絶望のロシアに強烈な愛国心がひそんでいるのだという。

 本書で具体的に述べられていくのは、ウラジーミル・プーチンがロシア正教会を味方にし利用することで、国民からの支持を強化しようとしている状況を、正教会の聖職者らとのやりとりの経験から描き出すことである。著者の専攻は政治学であるが、フィールドワーク的な宗教研究の手法と似ている。2008年の世論調査では、正教会の信者と回答した人は71%で、イスラム教の5%を大きく引き離している。2003年の調査では59%だったものだ。宗教をもっていないと答える人は、2003年の18%から15%に下がっている。また、2010年の調査では、この数年間で正教会への信頼が高まったと回答した人は20%にのぼり、低くなったとの回答者3%を大きく上回った(29ページ)。

 著者が2009年12月に訪れたモスクワのジヴォナチャーリナヤ・トローイツァ寺院に入ると、会衆所への通り道の通路の左手の壁にプーチンの大きな肖像が掲げられている。この寺院は、2004年のチェチェン独立派のテロでロシア南部の町の小学校が占領され300人以上が犠牲になった後、プーチンが犠牲者を悼み祈りを捧げたという経緯がある。この寺院には正教会の長であるキリール総主教のポートレートも掲げられているが、もっと目立たない場所だという。

 著者の経験では、たとえ信者の面前に飾っていなくても、司祭の執務室や事務室、食堂などに飾られている寺院も多いという。聖人に並ぶかのような扱いだ、2012年の世論調査ではプーチンと正教会の結びつきが強まっていると感じる回答者は50%に達し、2年前と比べて6%増えているという。

 2000年に初めて大統領となったプーチンだが、それ以前から始まっていた教会財産の返却を積極的に進めていく。共産主義革命後のソビエト時代に奪われたプロセスが大幅に進み、教会は経済組織としても有力になってきている。早くも1994年に正教会は人道支援の名目で政府の支援を得て、外国製のワインとタバコを非関税で輸入する特権を得て、「人道支援本部」の責任者にはキリールが就いた。慈善事業団〈ニーカ〉に利益が集まるが、〈ニーカ〉は今やあいついで設立される関連企業の中心的な組織となり、巨大産業を統括する司令塔に転じている(61ページ)。

 スターリン時代に落とされアメリカの実業家に買い取られハーバード大学に寄贈されていたダニーロフ修道院の18個の鐘がプーチン治世下に返却された。それを記念してダニーロフ修道院で、プーチンとキリール総主教が面会したのは2010年のことだ。キリール「神が崇高な御心でもって、あなたを救済されるようにお祈りします。あなたのおかげで、これまでロシアが達成した成果を切り崩すことなく金融危機をのりきることができました。人びとは生活の苦悩を深めずにすみました」。プーチン「正教会が権利として有していたかつてのすべての旧財産を、しかるべき形態で返還します。そのさいには、正教会に財政援助も実施します」(66−67ページ)

 2010年のロシア連邦議会下院は連邦と自治体が所有する財産を正教会に返還する法律を可決した。寺院、教会、修道院、礼拝堂や歴史的な記念碑等の所有権が正教会に移行するが、その総数は1万1千件を超え、動産も含めると2万件に達する。週刊誌『イトーギ』はすべての財産が正教会に返還されると、その財産規模はロシア国内の財閥の総資産をしのぐことになると推定している(78ページ)。

 こうしたプーチンの正教会との結託に抗議する人々もいる。2012年にロシア人女性パンクバンド「プッシー・ライオット」がクレムリンに近い救世主ハリストス大聖堂内で公然とプーチン批判のライブを行った。「神様、助けてください。プーチンを追いだして」。地区裁判所はこれに対して、2年の実刑を言い渡した(220ページ)。重い判決である。

 クリメーント寺院の長司祭であるカリーニンはメドヴェージェフの私的聴聞僧だが、そのカリーニンと著者は長時間の会話を行った。「モスクワ市内の教会では、プーチンを聖人とあがめています。またスールコフ大統領府第一副長官は、プーチンを神の使者と評しています。どう思いますか」。カリーニン「バカな話だよ。プーチンを聖人とよぶなんて……」。プーチンとも親交が深いカリーニンは、世俗権力が正教会に影響を強め利用することを警戒している。「為政者が正教会を支配する状態が五十年も続けば、正教会は政治権力とともに凋落することになります。ロシアは動乱の時代を迎え、それに乗じてイスラム教徒の大統領が誕生します。ああ、なんてことだ……」(228−229ページ)。

 だが、彼自身、経済的利益を追求する正教会の高い地位にあるわけで、精神的な空洞化を招きかねない時流に乗っていることはよく分かっている。こんな正教会の現状にも、「ろくでなしのロシア」が現れている、と著者は捉える。

 現代ロシアの実情に疎い筆者は、著者の描くロシア正教会と現代ロシア人の心情を適切に評価できるとは思わない。だが、深く惹き込まれ大いに興味をそそられる叙述である。それは現代日本の「政治と宗教」の危うい状況を身近に感じていることと無関係ではない。宗教勢力、宗教資源を利用しようとする政治の荒廃とともに、政治力にすり寄り力を行使しようとする宗教勢力の叙述に既視感を覚えるからでもあろう。

 

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