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宗教の名著巡礼 第23回

  • 7 日前
  • 読了時間: 13分

ゴッホ作品はなぜ見る者の心をつかみ揺さぶるのか(4)

──正田倫顕『ゴッホの宇宙』教文館、2025年──

島薗進


宮沢賢治と糸杉とひのき

 この連載では、正田倫顕氏の2冊の著作に触発されてゴッホの宗教性について論じており、今回が4回目となる。3回目にはやや寄り道をして、ゴッホと宮沢賢治の関係、両者の似ているところなどについて述べた。とくに父との葛藤と伝統宗教との葛藤という点で両者に大いにつながりがあることに触発されて調べてきた。そして、実際、賢治がゴッホから大きなインピレーションを受けた可能性があることを知り、両者の響き合うところについて述べることとなった。

 

 その際、ヒントになったのは、賢治が短歌や詩において糸杉(英語cypress=サイプレス、ドイツ語ZYPRESSEN)にふれていること、そして糸杉は「西洋ひのき」であり、ひのきは「日本糸杉」でもあることだ。そこで、賢治のひのきについての短歌も見てみると、早い時期に賢治が糸杉とひのきに深く惹かれ、そこに修羅と菩薩の双方を見ていたことが推測できた。加えて賢治が星について多くの叙述をしていること、星座のなかでも「さそり座」への言及が多いことなどが関連して思い起こされた。ゴッホの糸杉と星、賢治のひのきとさそり座というテーマの類似性も興味深いものだ。

 

 しかし、宮沢賢治への寄り道はここまででとどめ、今度はゴッホの最晩年、糸杉についてよく知られた作品をいくつか残していること、それらはまた星月夜をめぐる作品とも重なりあっていることに関心を向ける。そして、それらの作品から何が見えてくるのかについて、主に正田氏の2冊目の著書、『ゴッホの宇宙』に学びつつ考えを進めていきたい。主に同書の第三章「《星月夜》の宇宙」に導かれながら、死を前にした時期(36歳から37歳にかけて)のゴッホの宗教性について考えていきたい。

 

アルルのゴッホとひまわり

 1889年6月の《星月夜》は糸杉と星と月が描かれた作品だが、このときゴッホはサン・レミの精神病院に居た。前年の12月23日にゴッホはアルルで自分の片方の耳を切り落とした。そして、アルルの精神病院に入ることになる。サン・レミの精神病院に移動するのは89年の5月である。糸杉の絵はサン・レミで描かれたものが多い。ところが、星の絵はアルルで描かれていて、よく知られている《夜のカフェテラス》や《ローヌ川の星月夜》などは1888年の中頃の作品だ。


 

 ゴッホがパリからアルルに向かったのは1888年2月のことだ。その後もゴッホ(フィンセント)の生活を支えてくれた、弟で画商だったテオとのパリでの2年間の生活が耐え難いものになったようだ。地中海沿岸地域の光あふれるアルルで、ゴッホは芸術家共同体の建設という夢を実現しようとした。明るく自然に恵まれ、浮世絵を作った「日本」に類するものがそこにあると考えたりしたようだ。そして、ゴーギャンの到来を待ちながら「黄色い家」に住み、ひまわりの絵をいくつも描き続けたりした。

 

 それがどのような意味をもっているのかについて、『ゴッホの宇宙』第二章「ゴッホの《ひまわり》」の論述からも最小限、引いておかないわけにはいかない。正田氏はゴッホの描くひまわりを次のような言葉で表現している。 

 

花々は背後から照らされながら、こちらを照らし出してもいる。光に貫かれるだけでなく、自ら発光体となっている。ここでは能動と受動、隆盛と衰退、生と死が一体である。実のところ、これらのひまわりはもはやわれわれが通常の感覚で認識する月並みな植物ではない。むしろ光の結晶化した存在になっている。ゴッホはひまわりを描きながら、ひまわりをこえたものまでを表わしてしまったのではないか。それは尋常ならざる光であり、過剰なまでの明るさであり、端的にいのちそのものである。根源的なエネルギーが前面に出てきて、ひまわりをひまわりたらしめているのだ。(100ページ)

 


 ゴッホが描くひまわりは「ただあるがままにある」、「いわば当たり前の姿で当たり前にあるにすぎないが、その姿が名状しがたいほどに神々しく、光輝にあふれているのである」。こうしたゴッホのひまわりを、正田氏はマタイ福音書26章28−30節の次の叙述に通じるものだとも述べ、イエスの言葉を自らの訳文で引いている。

 

草花がどのよう育つか、つぶさに見よ。労することをせず、紡ぐこともしない。しかし私はあなたたちに言う、栄華の極みのソロモンですら、これらの[草花の]一つほどにも装ってくださるのであれば、ましてあなたたちを[装って下さるのは]なおさらのことであろう、信仰の薄い者らよ。(同前)

 

ひまわり・星月夜・糸杉

 ゴッホのひまわりが、ゴッホにとっての「日本」と通じるものだったという点についても、正田氏の叙述を引いておきたい。

 

ゴッホは「日本人」のことを評する際、「まるで自分自身が花であるかのように自然の中で生きる」と述べていた。彼もまた「自分自身が花であるかのように」、いやもっと正確に言えば「自分自身が花になって」ひまわりを描いたのではないか。本来、何かを描くとは何かになりきること。花を向こう側にある外部の対象として捉えているだけでは、その本質は描けないだろう。ひまわりと画家の間にある隔たりが消えなければならない。そのためには自分がひまわりを描いているという余計なはからいがなくなる必要があるだろう。ここではゴッホがひまわりを捉えたのではなく、ひまわりがゴッホを把捉してしまったのではないか。(104ページ)

 

 ゴッホが集中して描き続けたひまわり(向日葵)についての正田氏の捉え方は以上のようなもので、日本語の「無我」とか「無心」とか「自他不二」というような言葉を思い起こさせるものだ。正田氏が述べるようなこの作品の特徴を、私自身必ずしも「よく理解できた」とか「納得した」と言えるものではない。しかし、ゴッホがアルルに着いてから半年ほど後の時期、88年夏から89年初めにかけてのゴッホの絵画作品の向日的な一面とその背後の宗教性をよく表しているように感じる。

 

 ところが、ゴーギャンとの共同生活とその破綻、そして耳の切断が起こる年末をはさむ時期に、ゴッホは「星月夜」と「糸杉」が描かれるいくつかの作品を描いてもいた。《夜のカフェテラス》、《ローヌ川の星月夜》(ともに1888年9月)、そしてサン・レミで描かれた《星月夜》や《糸杉》(ともに1889年6月)などだ。同時期の《ウージェーヌ・ボックの肖像》にも人物像の背後に星空が描かれている。

 


 まず、正田氏が手掛かりとして引いている1888年9月29日の弟テオへの手紙を見てみよう。この手紙には《ローヌ川の星月夜》のための線描画のデッサンが同封されていたようだ。以下、ゴッホのテオへの9月29日の手紙である。

 

ここに同封したのは、30号の四角い。キャンパスの小さなスケッチだ。――とうとうまさに夜、ガス灯の下で描いた星空だ。空は緑がかった青色で、水はウルトラマリン。地表は薄紫色だ。町は青と紫。ガス灯は黄色で、その反射は赤褐色がかかった金色だが、緑がかった青銅色にまで変化していく。空の青緑の領域には大熊座が緑やバラ色でまたたいている。慎み深いその弱い光はガス灯の容赦ない金色と対照をなす。

 前景には色のついた二人の恋人の小さな姿がある。……この言葉を使ってみようか、ぼくはやはりどうしても「宗教」が必要なので、夜、戸外に出て星を描く。そして生きている仲間の群像とともに、そのような絵を夢想するのだ。(『ゴッホの宇宙』134ページ)

 


星月夜と「宗教」の関わり

 ここに登場する「宗教」の語は注目に値する。高階秀爾『ゴッホの眼』(青土社、1984年)もこの手紙の「宗教」の語に注目し、「星月夜」のテーマとゴッホの「宗教」への関心とを次のように関連づけている。

 

だが、昼間の孤独を、夜は優しく癒してくれる。夜は、すべてを闇の中に包みこんでしまう故に、現実の時空の隔りを越えた魂の交流を可能ならしめる。ゴッホが「宗教」に対する「恐ろしいほどの欲求」を感じた時、夜、外に出て星を描いたように、星はつねに、孤独に悩む者の心の友であり、希望のしるしであった。キリスト教美術において、星が重要な象徴的役割を果していることは改めて指摘するまでもないが、救世主の誕生や聖母マリアの伝説を離れてもなお、星が「宗教的」役割を果し得ることは、ルオーが、戦争の悲惨を激しく告発した作品《人は互いに狼である》(パリ国立近代美術館)において、おぞましい夜の絞首台の彼方に、希望の星を輝かせたことからも明らかである。おそらくゴッホも、夜空の星に、遠く離れた親しい人々、さらには今は亡き友人たちとの交流さえ、託すことができたに違いない。(『ゴッホの眼』190ページ)

 

 この連載の前回に、正田氏が西洋文化において糸杉は死と関係が深いものだと指摘していること、また、「ゴッホは人間は死後に星に行くと考えていた」と述べていることに触れておいた。高階氏も少し異なる視角から、ゴッホの星空が死者への想いと結びついていると考えられることについて述べている。「彼が弟に宛てて「糸杉のある星月夜を描かなければならない」と告げた上記の手紙(474番)の一節は、実は、親しかった友人マウフェの死がいかに大きな心の打撃であったかを語った直後に書かれているものである。ゴッホは、まるで、星月夜を描くことによって、マウフェの魂と語り合いたいとでも望んでいるかのようである」(『ゴッホの眼』190-191ページ)。

 

ホイットマンの夜と星空

 高階氏はここからさらに、ゴッホが星と死を結びつけて考えるについては、アメリカの詩人、ホイットマンの影響があったのではないかと示唆している。《ローヌ川の星月夜》を描いたちょうどその時期、ゴッホは妹ウィレミーンにあてた手紙で次のように書いていたことを証拠としてあげている。

 

……君はホイットマンのアメリカの詩をもう読んだだろうか。テオが持っている筈だから、是非とも読むようにすすめる。何故と言って、第一にそれは本当に美しいし、第二に今イギリス人たちのあいだで大評判だからだ。彼は未来のなかに、いや現在のなかにさえ、健康と大らかで率直な肉体の愛と、友情と、労働の世界を見ている、そしてその世界の上に、星をちりばめた壮大な天空、つまり結局は神としか呼びようのない何かと永遠とがきちんとしかるべき場所に置かれているのを見ている。それは、あまりにも素朴で純粋なので、最初は微笑を誘う。だが同じ理由から人を考えさせもするのだ……(W八番)(『ゴッホの眼』192ページ)

 

 ゴッホは続いて「「コロンブスの祈り」は殊にすばらしい」と述べている。ホイットマンの「コロンブスの祈り 」について、高階氏は「老いたコロンブスが、異国の浜辺で、老いさらばえ、疲れはてて、「神」と最後の対話をかわすというもので、人々から見離されたこの孤独な探究者の苦悩に、ゴッホの心境に強く訴えるものがあったことは容易に想像できる」と述べている(同前)。高階氏はさらに、「ホイットマンにおいては、夜空の星のイメージが、しばしば死と、死を越えた別の世界と結びつけられて登場して来る」(同前)という。

 

 「大草原の夜」という詩には、「わたしはひとりで歩き――立ちどまっては星を眺める、今にして初めてわたしは星に気づく」、「今やわたしは不死と平和を吸収し、/死を讃え、さまざまな命題を検証する」、「昼でないものが見せてくれるものを目の当たりにするまでわたしは昼がもっともすばらしいと思っていた」、「わたしには分る、やがて死の見せてくれるものを待たねばならぬことが」といった詩句が見られる。(同、194−195ページ)

 

高階氏はさらに、ホイットマンの「雲ひとつない真夜中」という作品の次のような詩句もあげている。

 

 これこそあなたの時、おお「魂」よ、言葉なき世界へのあなたの自由な飛翔、

 書物から離れ、芸術から離れ、昼は消え去り、日課は終り、

 今あなたは全身で立ち現われ、沈黙のうちに凝視し、あなたのこよなく愛する主題たちに、

 夜に、眠りに、死と星たちに、じっと思いをひそめ。(同、195ページ)

 

ゴッホが夜と星空を描くわけ

 ゴッホが星空を描くようになったのはアルルに来てからで、すでに1888年の4月の友人のベルナール宛の手紙には、「ぼくはまた糸杉のある星月夜を描く必要がある」と述べていたことを正田氏は指摘している。正田氏はゴッホが尊敬していた先輩画家や同時代の画家たちの「夜」を描いた作品にも注意を促している。とくにミレーの影響が大きかった可能性があるとしている。実際、ミレーの《星月夜》を見た可能性があるという。

 


レンブラントの《夜警》に星空は現われていないが、ミレーの《星月夜》では二つの流星をはじめとした星々が目をひく。流れ星の右手にはオリオン座も認められる。ゴッホは農民画家ミレーに憧れ、サン・レミでも彼の白黒版画をもとに農作業に従事する人々の姿を模写している。農民たちが伏し目がちに働く大地の上にはふと目を転じると、星々が燦然と輝いている。その宇宙的な感覚、存在の背景へのまなざしがミレーにもゴッホにもある。ゴッホは記憶を探って、ミレーの絵からも《星月夜》の発想を得たのかもしれない。(『ゴッホの宇宙』128ページ)

 

 加えて正田氏が注目するのは、《ローヌ川の星月夜》に北斗七星つまり大熊座の一部が描き込まれていることである。

 

《ローヌ川の星月夜》は堤の上から、南西に広がる夜景を見渡して作られた。ゴッホはその夜空に北斗七星つまり大熊座の一部を描いている。しかしよく考えてみれば、いやよく考えるまでもなく、この星座は南の空には絶対に見えないものである。大熊座は本来、北の空すなわちゴッホの背後にあって、南西を向く画家の視界には入ってこない。現実に忠実であろうとすれば、画中に描くべきではないのだ。ところが不思議なことに、彼は南の実景と北の空を画面の中で一つに縒り合わせている。何故このように作為的なことをしたのだろうか。(同、136ページ)

 


夜空と星と無限・永遠

 ゴッホは現実に目の前に見えるものを描くタイプの画家だが、パリでゴーギャンやベルナールと接触することで、想像や記憶で描くことにも取り組むようになった。この場合、ゴッホは「敬愛するミレーの《星月夜》も想起していたのではないか。ミレーが一目で分るオリオン座を夜空に描いたように、誰もが判別できる北斗七星を天空に描いたのだろう。ただその場所は北ではなく、南の空であった」(同、137ページ)

 

 なぜ、南の空に北の空の光景を描いたのか。

 

それは何故か、夜空を見上げれば、あらゆる星はいつも北極星を中心に回転している。北は星空の中心軸とも言える場所なのだ。存在の根拠や根源を探究し続ける宗教的人間には軸の位置が何よりも重要に思えたのではないか。だからこそ北の空を代表する大熊座を選び、南を描いた夜景に導入したのだろう。また眼前の実景に逆方向の空を組み合わせることで、一方向ではなく全方位を象徴的に表わしたのではないか。(同前)

 


  夜空と星が永遠や無限を表し、「宗教」に通じる何かとして描かれる。これは、《ウージェーヌ・ボックの肖像》についても言えることだ。「E.ボックはベルギー出身の画家で、アルル近郊に滞在中、ゴッホと友情を結んでいた。二人は連れ立って《夜のカフェテラス》で描かれたカフェにもよく通っていた」(同前)。ゴッホの手紙には、「ぼくはこの絵に、彼に対する自分の評価を、愛情を注ぎ込みたい。……頭部の後ろには――みすぼらしいアパルトマンの平凡な壁など描かずに、ぼくは無限を描く。――豊麗な青い背景の上に照らし出されたブロンドの頭は、深い紺碧の中の星のように、神秘的な効果を獲得する」と述べられている。

 

 正田氏は次のように論じている。

 

ゴッホな平凡な壁の代わりに、「無限」を描くと言っていた。そしてボックの背後には星空が現れている。彼にとって夜空は「無限」を象徴し、仲間たちとのつながりを示す重要なモチーフであったことが読み取れる。さらにゴッホは「宗教」が必要なので星を描くとも述べていた。星空は「宗教」とも関係が深いテーマということになる。(同、140ページ)

 

 《星月夜》と同時期の夜空と星を描いた作品には、「宗教」をめぐるゴッホの想念が込められていたと正田氏は捉えている。では、この「宗教」とは何だったのか。次回はその問いから、『ゴッホの宇宙』に触発された考察をさらに先へと進めていきたい。

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