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宗教の名著巡礼 第2回


結婚から見える、イスラムの「人間らしさ」

──八木久美子『神の嘉する結婚──イスラムの規範と現代社会』

   東京外国語大学出版会、2020年7月──

島薗進



 現代のイスラム教徒、とくにエジプトのイスラム教徒にとって、結婚はどのような問いを投げかけているのか。この問題と関連してもう一つの問題がある。20世紀の最後の四半世紀にイスラム復興が進んだが、それが女性にどのように受け止められているのか。アラビア語に堪能で宗教学を修め、エジプトを中心に現代イスラムを研究している著者は、この2つの問いを重ね合わせながら、「生きられる現代イスラム」を描き出している。


 後者の問題は日本や西洋諸国では、しばしば報道され、イスラム圏における女性の抑圧の問題として取り上げられる。最近も、アフガニスタンでは女性が教育を受けられず、抑圧されているという報道がなされている。だが、2006年にエジプトに短期(6週間)滞在した私の印象はだいぶ異なる。


 カイロ大学の女子大生はたいへん明るく元気で、男性の前で臆するようなことがない。だが、彼女たちのほとんどがベールを被り、イスラム教徒であることを明言し、その信仰に自信をもっている。本書にも数値が示されているが、2010年代の後半には大学進学率は男女ほぼ同等である。1897年には識字率5.8%で男女比は約40対1だった。とくに女性の大学進学率の上昇は新しい(190−191ページ)。


 ところが、その間に学生たちはイスラム教徒であることを強く意識し、それを服装でも現すようになってきた。60年代、70年代にはベールをつける女子学生はほとんどいなかったが(148ページ)、80年代、90年代を経て大多数の女子学生がベールをつけるようになった。「ベールは後進性、女性の抑圧の象徴ではなくなり、新しい意味を獲得した。髪を覆うベールは慎みや道徳心の象徴となり、イスラム教徒としての誇りを示すものとなった」(160ページ)。


 結婚式も大きく変化してきている。かつては、にぎやかに音楽を鳴らし男女が交じって行列を作った。公証人の前で行われる式も男女が分かれて座るようなことはなかった。ところが昨今は、男女の席がきっちり分けられるようになった。シャリーア(イスラム法)にのっとった結婚という理念は、ますます際立つようになっている。


 法体系が近代西洋法を取り込んで形成されていくなかで、身分法だけがイスラム法を成文化したものになり、ますます強く意識されてきている。結婚が決まる前に男女がデートをするようなことは許されない。妻は夫に服従し、夫は妻を扶養する義務を負う。夫は経済的な責任を一人で負い、妻は外出にあたって夫の許可を得なければならない。夫には一方的な離婚権と複数の妻を迎える権利がある。


 これは妻にとってひどく不当な処遇となりうる。1985年、2000年の法改正によって女性からも離婚できるよう離婚の条件が緩和されたが、これもコーランを根拠としたものだ。コーランには女性差別の肯定と見なされている箇所があり、イスラムを掲げ再解釈を求めるフェニミストたちの批判も続いている。女性裁判官は2003年に初めて登場しているが、まだまだ数は少ない。


 イスラム法による結婚規範によって窮地に陥るのは女性だけではない。男性も結婚するためには住居をもたなくてはならないという規範がまだ生きており、一方、若いうちに高い収入を得るのは困難で、なかなか結婚できないことになる。これは体制への不満につながるから、「結婚危機」と「社会危機」が重なり合うことにもなる。


 こうした苦境を脱するために1990年代になって目立つようになり、批判の対象となったのが「慣習婚(ウルフィー婚)」だ。正式の結婚が困難ななかで、公証人の前での契約を軸とした儀式も経ず、それぞれが経済的にも独立したまま、ときには同居もせずに成り立つ結婚だ。かつてイスラム法にのっとっていない慣習として否定的に見なされていたものを、若者らがコーランから逸脱しないものとして、苦肉の策で意図的に実践しているものだ。


 これは性的純潔を否定し、欲望に身を任せることと見なして批判する書物が多数刊行されているが、他方、ウラマー(イスラム法学者)のなかにもそれがコーランに反するものではないと支持する者もいる。これはエジプトだけのことではなく、サウジアラビア、イランなどでも並行現象が生じている。


 著者は文化人類学者タラル・アサドの「言説的伝統」という語を複数回、引いている。イスラムは変化していく言説伝統であって。社会の実情のなかで再解釈を繰り返されながら、形を変えていく。生きている人間がイスラムを新たに形づくっていく、そのようなものとしてイスラムを、また宗教を捉える見方である。


 そして、宗教の基底にあるものであり、イスラムでとくに強調されているとも言えるものに「人間らしさ」がある。ムハンマドの妻、アーイシャは嫉妬にかられ、他の妻たちを遠ざけようとした。他の妻たちも同様だ。その様子を描く、アーイシャ・アブドゥッラフマーン(1913−98)という女性研究者の『預言者の妻たち』という書物から、著者が引用している箇所に以下のようにある。


 「預言者が人間らしさのあるふつうの男であったのと同じように、アーイシャも、他の妻たちも、人間らしさに欠けてはいなかった。だから彼女はそうしたのである」。これについて著者はこう解説している──イスラムではムハンマドも使徒たちも、みな人間であると強調する。そこには、神と人間の隔絶性を強調する意味もある。「人間らしいということは、欠陥もあれば間違いを犯すと同時に、人間味という温かさを持つことでもある。妻たちの見せる嫉妬心もそういうふうに捉えるべきであるというのが、アーイシャ・アブドゥッラフマーンの考え方なのである。」(61−62ページ)


 イスラムを理解する上で重要な視点であるとともに、著者の宗教観にも深く関わる論点のように思う。イスラームの根強さを理解する一つの鍵になるかもしれない。本書の基底にこうした宗教観があり、それが映画やテレビ・ドラマなどを引く本書の叙述のあちこちで姿を表す、「人間味」にもなり温かさにもつながっている。イスラム理解とともに宗教理解を深めるためにも味読したい書物である。

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