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奥歯からオペラが聞こえる 第21回

  • 中村昇
  • 9 時間前
  • 読了時間: 16分

中村昇

吉本隆明の「舞踏論」


 今回は、『病める舞姫』の本文から少し離れて、吉本隆明(1924年-2012年)の土方巽論を見てみよう。さまざまな人たちが土方やその舞踏について書いているが、吉本の土方論ほど、舞踏そして土方巽の本質を剔出したものはないと思う。

 最初は、つぎのように始まる。

 

 耳から身体にはいるリズムがどこかで堰きとめられ、失調している。また音階が入ってきても身体をうごかす言葉になるまえに、あとかたもなく消えてしまって、身体が律動からとりのこされる。わたしはそのため舞踏にちかづいたことはない。あれは人間のやることでも、人間にできることでもないという先入見がとりのぞけないからだ。言葉だけの舞踏論があるとすればそれしかできないし、それはやってみたい。言葉は定型によって舞踊するが、暗喩によって舞踏するといってよい。(「舞踏論」『吉本隆明全集24』晶文社、2021年、7頁)


 耳からリズムがはいってくると、それを堰きとめ失調させ、音階を消し、身体を律動からとりのこされるようにしむける。それが、吉本の舞踏に対する印象だ。人間であれば、自然に受けとるリズムや音階や律動が、不自然に抹消される。だから、吉本にとって舞踏とは、「人間のやることでも、人間にできることでもない」。だから、ある意味で、吉本にとって土方巽とは、人間ではないもの、人ならざる異形の者だということになるだろう。

 吉本の舞踏論の中心概念は、「暗喩」だ。吉本によれば、「暗喩によって舞踏する」というのが、土方の本質なのである。「暗喩」とは何か。吉本は丁寧に説明する。土方の公私にわたる同志であった元藤燁子の文章についての吉本の説明を見てみよう。

 

銀蠅がくる。私がその姿態に美しいと嘆声を挙げる。土方は克明にその動きを目で追う。それが身体の動きに転換される。土方はどんな些細な動物の動きでも即座にそれを舞踏の動きにしてしまう素晴らしい才能を持っていた。(元藤燁子「土方巽とともに」、同書、23頁)


またどんなちいさな動物の動きでもすぐに身体の動きにしてしまう修練は、身体の動きを暗喩にするための基本だといえよう。たとえば身体の動きがここにいわれている「銀蠅」の動きの暗喩になるためには、はじめに<銀蠅のような>という直喩の動きが基本になくてはならない。そしてそのあとに身体が<銀蠅である>暗喩の動きがやってくる。(同書、26頁)


 <銀蠅のような>という直喩は、銀蠅と私とを切り離して、私が銀蠅のように動くことを目指している。銀蠅と私とはあくまでもべつで、私は銀蠅のまねをするというわけだ。それに対して<銀蠅である私>という暗喩は、私がそのまま銀蠅であるということになる。銀蠅のまねをするわけでも、銀蠅の動きのような人の動きをするのでもない。銀蠅そのものになるのである。

 これが、土方の舞踏の基本だと吉本は言う。さらに舞踊・舞踏という言葉と土方とのかかわりについて、つぎのように言う。

 

いままでのところこの舞踊とか舞踏とかいう言葉を、素人の常識的な語感がさす様式上のちがいとは、まったくちがう次元に、一挙にもっていっているのは、土方巽の文章だとおもえた。かれの文章を読むと身体による物語、散文の表現、リズムをもった型の反復、物象の動きを近似的に模倣する身体行為などに与えられた舞踊とか舞踏とかいう言葉は、まるで放棄されていることがわかる。土方巽のつかっている舞踊とか舞踏とかは、身体をちょうど文字みたいに使った暗喩の連続した重畳法、つまり自己表出の冪乗(べきじょう)法を意味しているとおもえた。(同書、7-8頁)


 吉本は、土方が放棄したものを列挙する。まずは、「身体による物語」。われわれが日常的に意識、無意識に知っている「物語」を、身体によって表現すること。ようするに、われわれが共有する先入見の身体表現、つまりストーリーのある舞踏劇を土方が徹底して忌避したのは、明らかだ。土方の舞踏は、われわれの日々の暮らしがもっている心地よくわかりやすい物語とは、一切かかわりをもたない。


 つぎに「散文の表現」。言葉によって一つひとつ説明されるような散文を、身体によって再現するなどということは決してしない。散文による言語理解を身体表現の地平に映すだけなどということから、土方は、遥かに隔絶している。


 さらに「リズムをもった型の反復」。リズムは同一のパターンを反復する。その同一のパターンにより、こちら側は、安定した心持を覚え、つぎの瞬間を容易に予想することができるようになる。思いもしないパターンが現れないという安堵に浸ることもできるだろう。土方は、そのようなものは求めていない。土方が求めているのは、根源的なそのつどの偶然、そのつどの災厄のようなものだ。予想できるものには、何の力もない。


 そして「物象の動きを近似的に模倣する身体行為」。これは、土方の舞踏の根源にあると吉本が言う「暗喩」とは、まったく逆の身体行為だろう。「直喩的な」(~のような)身体行為など、暗黒舞踏には、まったく存在しないというわけだ。舞踏にあるのは、「物自体」だけであり、「器官なき身体」であり、「直喩なき身体行為」だけなのである。


 そして、このような土方の舞踏を、吉本は、「身体をちょうど文字みたいに使った暗喩の連続した重畳法、つまり自己表出の冪乗法」だと表現する。身体が暗喩そのものになるということは、身体が言語化して(文字みたいに使う)暗喩そのものの動きをするということだろう。身体が暗喩的に文字に変容して、その行為(身体=文字行為)が、舞踏そのものにたたみこまれていくのが、土方の舞踏だということになる。そしてそれは、何ものの模倣でもない<身体=文字>それ自体の冪乗行為(その場での生成消滅の積み重なり)だということになるだろう。

 さらに吉本は、つぎのように言う。

 

舞踊とか舞踏とかいう言葉がなくても、そんな言葉であらわされる身体行為の伝統や様式がなくても、身体を暗喩のように動かす欲求の必然性があるところでは、舞踊とか舞踏とかは、概念として成り立つはずだ。土方巽の文章を読むと舞踊とか舞踏とかいう言葉をそこまでもっていったことがわかる。(同書、8頁)


 これは、どういうことを言っているのだろうか。舞踏や舞踊という形式や行為が、歴史的に成立してきたからこそ、現在、舞踏や舞踊が存在している。そして舞踏の稽古や公演が実際おこなわれている。そこでは、それなりの体系や動機や欲求が渦巻いているはずだ。しかし、そのような形式や現実などとはべつに、土方は、人間の身体の根源の欲求として「身体を暗喩のように動かす欲求」があることを指摘したということだろう。そのような現在の制度となった舞踊や舞踏などとはべつのところに、舞踏は、強固に存在している。

 

 われわれは、自然や外界や風や昆虫や草花になりたいということ、それらの<他者>に暗喩的に変身したいという欲求をもつ。このことこそが、舞踊であり舞踏であることを土方は強く示唆したのだ。だから、「舞踊・舞踏」が、まったく新しい概念として、土方によって創造されたと吉本は言うのである。

 さらに吉本は、「飯詰」についても、つぎのような指摘をする。

 

乳幼児のとき、ご飯をいれる藁のまるい桶(飯詰)のなかに身体ごとすっぽり入れられ、まわりに布きれかなにかで詰めものをされ、身体が傾いたり、出たりしないようにゆわえつけられて、田んぼの畔に、朝から月の出まで放っておかれた。食事どきになると、母親がおっぱいや液汁を飲ませにやってきた。たれ流して泣いても田んぼで働いている親たちにはとどかない。夕暮れ帰りどきになると藁の桶からひきぬかれるが、足が折り畳まれていたのでしびれて立てずに感覚がなくなり、身体から足がスーッと逃げてゆく気がする。(同書、8頁)


 この経験を吉本は、夏目漱石の経験と並べる。

 

土方巽の文章を読むと、漱石が里子にやられた家で、縁日の夜店に籠に入れられたまま店晒しにされていたのを、姉が通りかかって実家へ連れ帰ってくれたと語っている『硝子戸の中』の文章をおもいだす。(中略)墻をつくり幕をひき、すべての「世間」をあちら側にまわして、かれの敵のように孤独に身構える仕方がそこから生みだされた。このやわらかい無意識の振舞いは漱石の舞踊や舞踏の基本的な型になったといってよい。土方巽が言葉でやっているように、舞踊とか舞踏とかいう概念をおきかえてしまえば、ひとは誰でもほんのすこしなら舞踊や舞踏をやっていることになる。(同書、8-9頁)


 世間や大人たちの世界から無理やりひきはがされて、孤独な「飯詰宇宙」にひとり取り残される。このような状態を漱石もまた縁日の夜店の籠のなかで経験していたと吉本は言うのである。土方の舞踏というのは、このような経験をもとにして、身体を暗喩のように動かし、物や虫や人以外の万象に変容することになる行為だというのだ。世界や外界に対する根源的な違和状態(飯詰・籠)のなかに独り閉じこもり、暗喩的変身行為に従事するようになるということだろう。

 さらに吉本は、つぎのようにこの事態を説明する。

 

わたしたちの身体は、多様な了解系の時間の、多様な度合からやってくる多様なリズムをかさねるようにしてもっている。ただその了解の中枢に亀裂がはいる体験があれば、身体はリズムを失調するにちがいない。また感官が受容の空間的な差異を混乱させれば、おなじように身体はリズムを失調してしまうにちがいない。体験はわたしたちを大なり小なり舞踊や舞踏にちかづけるはずなのに、そのおなじ体験がわたしたちをリズムの失調者にしてしまう。これは身体のもつ深い特権のようにおもえる。

土方巽もまた舞踊や舞踏の概念を、この乳幼児の失調体験からつくりだし、わたしたちの常識とまったく別の次元までもっていった。(同書、9頁)


 われわれは、この世界に存在し、この世界の物質や他の存在者たち(動物・植物・人間)のもつ時間やリズムに同調して生きている。しかし、その同調状態に亀裂が入ると(飯詰・夜店の籠)、身体の根源レベルでリズム(世界との同調)を失調してしまう。この失調体験から土方は出発したと言っているのだ。この失調から、われわれの常識とはまったく別次元の舞踏を土方巽は創出したと吉本は言うのである。

 吉本は、『病める舞姫』を引用したあとで、つぎのように言う。

 

「私」(『病める舞姫』の「私」―中村註)にとって<暗さ>は必要で欠くことができない地勢みたいなもので、いつか明るさがさしてくるものだというのとちがっていた。それはリズムやメロディの失調を言葉の舞踏の大きな柱にしたような「私」の舞踏の概念にふかくかかわっているとおもえる。リズムとメロディの失調は土方巽の舞踏にとって本質的なものだった。このことはかれほどの天才と資質の必然をもたない舞踏のばあい、もっとはっきりとあらわれてくる。「私はちょっとばかり長くこの暗がりに浸り過ぎたようだ。蝦蟇や蝸牛の眠りはそれこそ誰のものでもないのだからな。」というのが、この言葉の舞踏家のこころの片隅の内省だとすれば、風の裏側を急いでいる虫の迅さ(テンポ)や虫の抜殻や、ひとにぎりの霞の自然さは、どこかでこの舞踏家の願望につながっていたかも知れない。(同書、32頁)


 世界を支配しているリズムやメロディの予定調和的な同調状態から逸脱し、亀裂が入ったままの暗がりで密かに蠢きつづけることを強いられるとき、土方巽の舞踏は誕生したとも言えるだろう。「蝦蟇や蝸牛の眠り」のもつ普遍的な失調にこそ、この世界の本質を見いだし、それを噴出させたのが、土方の「天才」だと言える。「蝦蟇や蝸牛の眠り」が「誰のものでもない」と見破ったところに、土方の畏るべき炯眼があったと言ってもいいかもしれない。

 べつの個所では、カフカの日記を吉本は引用する。

 

九月二三日

この『判決』という物語を、ぼくは二二日から二三日にかけての夜、晩の十時から朝の六時にかけて一気に書いた。坐りっ放しでこわばってしまった足は、机の下から引き出すこともできないほどだった。


二月一一日

なぜなら、この物語はまるで本物の誕生のように脂や粘膜で蔽われてぼくのなかから生れてきたものであり、ぼくだけがその体に届くことのできる、またそうする気のある手をもっているからだ。(カフカ『日記』谷口茂訳)(同書、20-21頁)


 吉本は、これらのカフカの経験は、舞踏だと言う。この引用のあと、吉本は、つぎのようにつづける。

 

足をいざるように机の下からひきだし、じぶんが分娩している瞬間の散文で描かれた姿態と物語の胎児が「脂や粘液」でおおわれて出てくる様子をみている視線とが、舞踊や舞踏なのだといえる。だが土方巽とはっきりと違っているところがある。(中略)土方巽の舞踊や舞踏は、暗喩を連続的に使って内側へ内側へと重畳されてゆくように見かけ上はみえる。でもほんとは内側と外側の差異を拡大し、分裂させている。内側は凝固して凍って死体のイメージの方へゆき、外側は窮乏をとりだし、それを身体からひき剥がして保存できる昨日の博物館にひきいれている。(同書、21頁)


 たしかにカフカも舞踏だと吉本は言う。しかし、土方とはちがう。カフカが暗喩そのものになり、「脂や粘膜に蔽われて」いたとしても、土方の舞踏は、それだけではない。たしかに、土方も暗喩のなかに深く沈みこんでいく。しかし、その暗喩は、死体となり凍りついてしまう。そして、土方は、その死体をひきはがし、外側の博物館へ(死体だけが展示されている昨日の博物館)へ運びこむ。そこでは、ひからびた死骸が、生命を失った概念として展示されている、というわけだ。土方本人は、死体でありつつ、昨日の博物館で展示されているのだ。

 おそらく吉本は、この博物館に入館したものたちが眼にするのが、「命がけで突っ立った死体」であることを知っていたにちがいない。

 さらに吉本は、従来の舞踊や舞踏とのちがいも明解に説明していく。

 

わたしなどがもっている舞踊とか舞踏とかの概念は、つぎのように組立てられている。まず手と足の動き、身体の全体としての動きについて、基本的にいくつかの型ができている。この型は美しいとかここちよい とかいう感覚をあたえる姿勢が、経験としてつみかさねられ、組みあげられてできたものだ。型に習熟したうえでまたあたらしい姿勢を型にまでつくりあげ、この型をいくつもつなげ、反復して、起承と転結をもった舞踊や舞踏をつくりあげる。こんな過程がひとつの主題に沿ってやられるとき、わたしたちは美や快の感覚をうけとることになる。わたしなどが知っている舞踊や舞踏の概念はここまでだ。(同書、21-22頁)


 とてもわかりやすい説明だ。われわれがもっている、土方巽登場以前の舞踊や舞踏に対する考えが正確に叙述されていると思う。そしてむろん、これらの舞踊・舞踏概念とは、土方のそれは、はっきり断絶している。美や快を目指す舞踊・舞踏とは、まったく異なる。

 吉本は、つぎのように言う。

 

身体とおなじように、言葉は暗喩の連続によって舞踏する。いや逆に言葉とおなじように身体は暗喩の連続によって舞踏するといってもよいはずだ。(中略)土方巽自身には言葉を舞踏させている技術はあるのだが、言葉を舞踏させるための技術論はない。おなじことは身体の舞踏についてもあてはまる。かれはいつも舞踏していたので、日常の生活をやりながら、その上に舞踊や舞踏があったのではないからだ。(同書、22頁)


 土方のなかには、舞踏の訓練や技術という概念はなかった。土方がよくわれわれに言っていたのは、「私は、教えることは何もない」ということだった。技術的なことを外側から教えるなどということは、土方の舞踏においては不可能だったということだろう。舞踏は、技術ではなく、日常なのだから。

 技術について、吉本は、元藤燁子の次の文章に着目する。

 

堀内完のクラシックバレエの本格的なテクニックに土方は到底及ばないと驚嘆したという。同じように踊れない自分を確認した。そして考えた。ヨシ俺は、<跳ばない跳ぶ><廻れない廻る>をやってみよう。(元藤燁子「土方巽と共に」)(同書、23頁)


 堀内完のクラシックバレエの技術水準の高さに土方は圧倒される。そこから、技術を追究するのではない舞踏を創り始める。技術が成立するために必須の身体そのものに着目するのである。身体のもろもろの微細な暗がりを凝視しはじめる。これは、言語によって表現する詩や物語の技術的な達成を目指すのではなく、言語そのもののあり方に目を注ぎ、言葉という身体を解体していく、という方法論と同じことだろう。これは、吉本も引用している日向あき子のいう「土方巽の文章はマラルメ的だ」(同書、23頁)というときの「マラルメ的」な方法だと言えるかもしれない。

 そして、土方は、舞踏を技術ではなく、日常にした。吉本の言葉を引こう。

 

土方巽の言葉は吐き出されたときすでに舞踏であって歩行ではない。これはかれが書き言葉と身体とを舞踏として同一とみなしていたからだ。また生活と舞踊や舞踏とのあいだに、ほとんど境目がないように存在した。この途方もない錯誤がかれの宿命の核心にちがいなかった。(同書、25-26頁)


 もちろん、ここで言われている「歩行」は、「舞踏」の稽古の「歩行」ではない。日常的に「歩くこと」を意味している。そして、生活と舞踏との全面的混融という「途方もない錯誤」こそ、土方が「途方もない天才」であったことの証明であると言えるだろう。そんなことは誰にもできないからだ。土方しかなしえなかった途轍もない「錯誤」なのだ。

 言葉と身体と生活が同じものになる。かつ、技術的なものを目指さない身体のあり方に固執する。そうなると土方のなかでは、この地点から、舞踏身体は、死体へと、あるいは、不具というあり方へと近づいていく。

 つぎのように吉本は言う。

 

<跳ばない跳ぶ>、<廻れない廻る>は、「五体が満足でありながら、しかも、不具者でありたい、いっそのこと俺は不具者に生まれついていた方が良かったのだ、という願いを持つようになりますと、ようやく舞踏の第一歩が始まります。」という土方巽の言葉に照応しているとおもえる。(同書、26頁)


 身体芸術の技術的達成によって、美や快の共通認識や共通感覚(常識)をもつ人たちをひきつけるのではなく、それらの認識や感覚を逆なでする「死体」や「不具」へと向かい、身体のもつ根源的舞踏性(森羅万象との暗喩的同一)を提示するのが、暗黒舞踏だと言えそうである。

 吉本隆明は、土方巽の舞踏について結論を言う。

 

土方巽は舞踊や舞踏の動きを、物や出来事の動きの暗喩にまで近づけたかったにちがいない。そのためにはまず生活の歩行を消滅させてしまい、生活そのものをかけ値なしに舞踏化してしまうより仕方がない。もうひとつは言葉と身体をそれが表出とみられるところでは、実在する物や出来事の暗喩にしてしまうことだ。かれにとって舞踏というのは歩行との境目の区別をなくしてしまうことであり、もっといえば歩行の起源にまで舞踏という概念をつなげてしまうことだ。(同書、28-29頁)


 ここまでくると、「歩行」が「舞踏」の稽古の最初にあり、暗黒舞踏そのものの本質をなすものであることもわかるだろう。

 最後に吉本が、『病める舞姫』について語っているところを引用して終わりにしたい。『病める舞姫』に対して、これ以上の讃辞はないだろう。

 

『病める舞姫』の全体について言ってもさしつかえないが、全体が幼少年期のおどろくほどたくさんの細密な断片的感覚の記憶から舞踏化された言葉になっている。ふつうの追想でもなく、物語や自己劇化でもなくて、ただ舞踏化する意志だけで飽くことなく言葉の暗喩を畳みかけている。暗喩をかくべつ内側へ幼少年期の環界を外側へと分裂させ、際立たせようとしなければ、この『病める舞姫』の全体が舞踏そのものにほかならない。それは始めも終りもない言葉の「テクスチャー」の無限移動に似ている。(同書、31頁)

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